インチョーのブログ(表)( ´∀`)

「東京つばめ鍼灸」インチョーの独り言ブログ。「南北相法」の翻訳ページはこちら→http://www.varianttuning.com/index.html

ある夏の日の晩餐(後)

穂掛祭は曜日に関わらず、毎年8月28日に行われている。東出雲に隣接する、中海の神石である「一つ石」から揖夜(いや)神社まで、約1kmの陸路を、舟で往来する神事だ。日本の沿岸部では、豊漁を祈願した、舟を使う神事がよく見られるが、実際にこういった祭りを見るのは初めてだった。

 

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北京堂発祥ハウスから揖夜神社までは、揖屋駅の上にかかる歩道橋を渡り、そこからさらに10分ほど歩かねばならなかった。お父さんは80歳を超えているにも関わらず、毎日しんぶん赤旗をせっせと配っていたゆえか健脚で、ついていくのが大変だった。

 

 

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歩道橋を渡って少し歩くと、中海から商店街に舟が戻ってきているのが見えた。船の底には車輪が付いていて、それを山車のように数人のオッサンが曳(ひ)いていた。舟は数種あり、子供が乗り、お囃子(はやし)をしている船もあった。

 

 

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荷台に、ねぶた祭で使うような灯籠や提灯を載せて、のんびり走っている軽トラもあった。

 

 

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松江市にはこんなに人がおったんか、というくらいの人出で、立ち止まって写真を撮るのに一苦労だった。私が「出店(でみせ)が沢山並んでますね」と言うと、お父さんは、「昔は出店がもっと沢山ありました。〇〇から来ているテキヤも多く、〇〇もありました」と、地元民しか知らないような衝撃的なネタをサラリと語った。都会に比べて娯楽の少ない地域であるから、地元民にとっては今も重要なイベントの1つになっているのであろうな、と想像した。

 

 

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結局、揖夜神社に来てみたものの、すでに神楽や安来節などの演目は終わっていたようだった。とりあえず、揖夜神社の由来が書かれた看板を眺めることにした。どうやら、揖夜神社は揖屋ではなく揖夜と書くらしい、ということをここで知った。出雲大社と同様、大社造のようだった。

 

 

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揖夜神社の創建については不明だが、日本書紀出雲国風土記延喜式神明帳などに、揖夜神社と思しき記載があり、平安期より前には存在していたらしい。また、三代實録には、清和天皇貞観十三年に、正五位下の御神階を賜ったとの記載があるそうだ。

 

特に神社で見るべきものがなかったので、北京堂発祥ハウスへ戻ることにした。実際には「戻ることにした」というより、我々はお父さんの後ろを、お父さんの意思に従って、お父さんの行きたい方向に歩いていただけだった。祭りのメイン通りから離れると人がまばらで、まさに田舎の商店街、という雰囲気が露骨に感じられた。

 

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お父さんは往路よりもゆったりと歩きながら、時々立ち止まっては、観光ガイドのように建物の歴史などを語った。くみたけ百貨店は親戚が経営しているそうだ。現在は、近くにコンビニやイオンが進出したためか、大そう哀愁漂う感じだったけれど、半世紀くらい前は、本当に百貨店のような存在だったのかもしれない。

 

しかし、組嶽とは珍しい苗字だ。店頭には祭りを眺めるためと思しき椅子が、2つ置かれていた。そういえば以前、お母さんが、「周はこの時期になると必ずこっちへ帰ってきて、友達とお酒を飲みながらお祭りを眺めるのが好きなのよ」と、言っていたことがあった。きっと師匠は、くみたけ百貨店の前の椅子に座っていたのかもしれないな、と想像した。

 

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くみたけ百貨店のすぐ近くには、越野とうふ店があった。お母さんはここの天ぷらが大好きだった。私が松江の北京堂にいた頃は、お母さんは出来立ての越野の天ぷらを買い、定期的に持って来てくれた。ちなみに、アルコールで脳が委縮していたためかどうかは今となってはわからないが、お母さんは毎回、「東京の人はこういうものを食べたことがないでしょう」と言っていた。慈悲深い私はその都度、「はい、食べたことがありません」と答え、天ぷらを受け取らねばならなかった。

 

松江には他のメーカーの天ぷらもあったけれど、やはり越野のモノが一番美味かった。松江では、天ぷらよりもあごの野焼きが有名だけれど、私は越野の天ぷらの方が好きだった。ちなみに、松江で言う天ぷらとは、魚のすり身を挙げた薩摩揚げみたいなモノのことだ。

 

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しばらく歩くと、揖屋駅を示す看板の手前に、「いやタクシー」と書かれた看板が見えた。「揖屋タクシー」と書くと読めない人が多いから、あえて平仮名の屋号にしたのであろうが、どうもタクシーを毛嫌いしている個人が掲げている看板のようにしか見えなかった。かつて、B級雑誌として一世を風靡したGON!が生き残っていたら、微妙な看板として、雑誌に掲載されていたかもしれない。

 

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商店街を抜けると、右手にローソンが見えた。まだ開店して間もない雰囲気で、物珍しそうに中を伺う地元民で賑わっていた。

 

さらに先へ行くと、「三菱農機」と記された看板が見えた。ここから先は三菱農機の工場地帯らしかった。東出雲と言えば、農業機械のパイオニアとされる三菱農機が最も有名かもしれない。三菱農機の全盛期は、町内にはもっと活気があったらしい。

 

お父さんは我々の前を歩きながら、「東出雲町松江市との合併を頑(かたく)なに拒んでいたのは、三菱農機に勢いがあったからです」と、出雲訛りの標準語で言った。

 

私とこびとは、東出雲にこんな大きな工場があったんか、と驚きつつ、お父さんと最初で最後の夜のお散歩を終えることにした。別れ際、お父さんが、「明日、一緒に黄泉比良坂(よもつひらさか)へ行きませんか」と言った。私は、黄泉への入口とされる黄泉比良坂には以前から行ってみたいと思っていたため、快諾した。

 

ある夏の日の晩餐(前)

2013年の8月28日は、今でも昨日のことのように覚えている。

 

私は松江での3年余りの任期を終え、9月からは師匠がいる三鷹の北京堂を引き継ぐため、東京へ戻ることになっていた。

 

私が島根を離れることを知った師匠のお父さんは、「8月28日に東出雲の祭りがありますが、ウチで一緒に夕飯を食べませんか?」と言った。実は、それ以前にも、武内神社の夜通しの祭りを見に来ないかと何度か誘われていた。しかし、鍼灸院の都合で止むを得ず断っていた。

 

何故か、今回は最期の機会になるかもしれないな、という思いが脳裏をよぎった。それゆえ、断らないことにした。独りで行くのも何だか侘(わび)しい気がしたので、「こびとを連れて行っても良いですか?」と聞くと、お父さんは「どうぞ、どうぞ」と言った。東出雲の祭りは穂掛祭と言い、毎年行われる、揖夜神社の神事らしかった。

 

この日は水曜日で、仕事を終えてからバイクで東出雲へ向かった。松江の学園通りから東出雲までは、バイクで10分くらいだ。すでに日が暮れかけ、周囲は薄暗くなっていた。

 

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師匠の実家は9号線沿いにある。9号線は出雲から松江、米子をつなぐ山陰の大動脈だから、比較的車の往来が激しい。それゆえ、車で行くと駐車場の出入りが難儀なので、バイクで行くことにしたのだった。何とか、19時前に到着した。

 

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とりあえず、島根を離れる前に、記念として北京堂発祥ハウスの外観を撮っておくことにした。

 

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ボタンだけのインターホンを押し、見慣れた引き戸を開けると、待ってましたとばかりに、お母さんが出迎えてくれた。

 

股関節をかばうように、肩を左右に大きく揺らして歩くお母さんについてゆくと、8畳の和室に通された。部屋の真ん中には、こげ茶色の四角い座卓があり、左右に座布団が2つずつ敷いてあった。

 

こびととお母さんは初対面だった。私がお母さんにこびとを紹介すると、お母さんは何の脈絡も無く、「あら!あなたバレーボールやってるの!」と叫んだ。こびととバレーボールを結びつけるような情報は一切見当たらなかったが、どうやらお母さんは、こびとがバレーボールの選手か何かであると思い込んだ様子だった。お母さんはビールが好きで毎日飲んでいるとのことだったから、アルコールによって側頭葉が委縮し幻覚が見えているのではなかろうか、と想像した。

 

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我々が返答に困っていると、お母さんはおもむろに窓を開け、庭の植木に水をやり始めた。もはや、こびとがバレーボールをやっているか否かはどうでも良い様子であった。

 

 

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お母さんが水やりをしている間、かつて、師匠が治療部屋に使っていた部屋を覗いてみることにした。お父さんは私を信用していたから、普段から、治療部屋は自由に見て良いと言ってくれていた。そういえば、東京にいた師匠から、「〇〇の本を探して送って」と頼まれたことがあったが、本が多すぎて探すのが大変だった。

 

北京堂が松江の学園通りに移って以来、ここは徐々に物置部屋に変わっていったようだった。本棚には、師匠が中国でコツコツと買い集めた、中医関係の本がギッシリと並べられていた。どれも、今では絶版になった貴重なモノばかりだった。鴨居の上には、青い箱に入った、特注の4寸鍼が無造作に並べられていた。

 

私が弟子入りして間もない頃、師匠は「実家には鍼灸湯液の本が1000冊以上あるだろうなぁ」と呟いていたことがあったが、確かにそれくらいはありそうだった。30年前の中医書は紙質が悪く、古いペーパーバックのようで、貧しかった中国を垣間見た気がした。

 

しばらく本棚を眺めたあと、客間へ戻ることにした。座布団に座り、窓越しにお母さんを眺めていると、お父さんが急須と湯呑をお盆に載せて、客間に入ってきた。湯呑に注がれたお茶をすするや否や、お父さんが、「風呂を沸かしてありますから、先にお風呂に入ってください」と言った。今の東京では考えられないことだが、これが田舎における、客人のもてなし方なのであろうな、と想像した。

 

風呂場は昭和を感じさせる作りで、正方形の水色の風呂釜の横に、小さなスノコが置いてあるだけだった。シャンプーやリンス、コンディショナーなどは無く、固形石鹸が1つ置いてあるだけだった。とりあえず、シャワーで体を流し、湯船に浸かった。

 

風呂の北側には小さな窓が付いていて、窓の外には青々と密生した稲穂が、その向こう側には山陰本線の線路が見えた。湯船に浸かってしばらくすると、ガタンゴトンと、電車が通り過ぎる音が聞こえた。平和なひと時だった。そういえば、お父さんとお母さんは、山陰本線のことを電車とは言わず、汽車と言っていたな、と思い出した。

 

風呂から上がり、脱衣所に用意してあったタオルで体を拭いた。風呂に入る前に、予めドライヤーが無いことを確認していたから、頭は洗わなかった。以前、僻地にある温泉へ行ったとき、脱衣所にあると思い込んでいたドライヤーが無くて、後悔したことがあった。それ以来、自宅以外で風呂に入るときは、必ずドライヤーの有無を確認してから、頭を洗うかどうかを決めることにしていた。

 

 

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少しスッキリした気分で客間へ戻ると、座卓には料理が並べられていた。お母さんは私を見て、「今、お父さんが魚を焼いていますから、座っていて下さい」と言った。

 

お母さんとこびとと与太話をしながら10分ほど待っていると、お父さんがニコニコしながら、焼いたばかりの魚を運んできた。お母さんは、「お父さんは魚を焼くのが上手なのよ」と言った。

 

私が、「鯛と鮎なんて、東京じゃ滅多に食べられませんよ」と言うと、お母さんは、「あら、そうなの」と笑みを浮かべながら興味深そうに言った。

 

 

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島根にいた頃は境港が近いせいもあり、美味い寿司は散々食べた。しかし、お父さんが買ってきてくれた五右衛門鮓の鯖寿司は、一度も食べたことがなかった。お父さんは、「米子に本店があってね。中々美味しい寿司ですよ」と言った。お父さんは、さりげなく、五右衛門鮓の小冊子を置いてくれていた。確かに、これは美味かった。

 

一方、お父さんが焼いた鯛と鮎は焼くのが上手と言うわりに、少し生焼けのような気がした。しかし、心優しい私は、「美味しいですね」と連呼しながら食べた。

 

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島根に来て間もない頃、そもそも師匠が何故に鍼灸の道を選んだのかを、お母さんに問うたことがあった。当時、師匠は東京の大学に進学し、桜上水に住んでいた。しかし、甲州街道近辺を漂う排気ガスの影響か、呼吸器を悪くし、一時的に島根に戻ることになった。ある日、家族でテレビを見ていた時、ドキュメンタリー番組か何かで、中医が西医に見放された患者を針灸で治す、というシーンが放映された。

 

で、これを見ていた師匠は「おかあちゃん!これからは針灸の時代だよ!僕は針灸学校に行く!」と言ったそうだ。要するに、お母さん曰く、師匠が鍼灸の道に入ったきっかけは、テレビ番組だった。どこまでが本当の話なのかはわからなかったけれど、師匠の昔話となると、お母さんは大そう嬉しそうに語ったものだった。この日もお母さんは、何度も聞いたことがある師匠の昔話を、延々と語り続けた。

 

食事が終わり、デザートにブドウが出てきたが、さすがに食べきれなかった。すでに、20時30分を過ぎ、外は真っ暗だった。私が何気なく時計を見やると、お母さんが、「あなた達、せっかくだからお祭りに行って来たら。東京の人は田舎のお祭りを見たことが無いでしょう」と言った。

 

すると、お父さんが間、髪を入れず、「私が案内しましょう」と言った。お母さんは股関節が悪いせいか、室内を歩くのもしんどい様子で、「私は家にいますから」と言った。結局、これが、お母さんとの最期の会話になった。

 

 

 

 

原風景

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最近は、とにかく忙しすぎて、ブログを書くヒマがない。

 

刷新したウェブサイトをアップロードしている合間に、何とかこのブログを書いている。今日は17時間ぐらいぶっ通しで働いているから、さすがに眠い。最近は曜日に関わらず忙しいが、やはり日曜日の夜が一番身に応える。

 

弟子入りした当初から、師匠に教わった通りにやっていれば、日を追うごとに忙しくなってくるだろうと予想していたが、確かにそんな感じになっている。

 

中国の針灸書を読み漁るようになってからは、技術的にはまだまだ満足してはいないけれど、これまで治せなかったような病態も少しずつ治せるようになってきたように思う。

 

先月、長年使用しているウェブソフトのBiNDがまたクラッシュし、ウェブサイトの更新ができなくなった。クラッシュはこれまで何度となく経験しているから、バックアップを小まめにやっておいたおかげで、大事には至らなかった。

 

BiND8になっても未だに変わらぬバグが起こるとはソフトとしてはどうかと思うが、とりあえずは対処法を身に着けているから、何とかウェブサイトを維持できている。

 

BiNDには容量の上限はないと公表されているが、どうやら5Gが上限になっているようだ。容量に上限がないと言っているのに、実際には「ファイルアップロードの上限設定が5368709120バイトです…」というサイトデータインポートエラーの画面が出るのだから、不信感が募る。

 

サポートセンターに問い合わせたところ、BiNDはパソコンのスペックによってかなり動作が変わるという話だったから、秋葉原まで行って、最新のパソコンを買いなおした。6コアになった最新のCore i5-8400搭載デスクトップパソコンだから、ちょっと高かったが、相当に快適になった。秋葉原駅から歩いて数分の場所にある某店舗で、明らかに電脳戦士な雰囲気の店員とおしゃべりして、「Core i5、8G、2TBもありゃあ十分だろう」ということになった。

 

1週間後に出来立てホヤホヤのパソコンが届いたが、確かに、その通りだった。これでBiNDが快適に動くだろうか、と期待した。

 

しかし、このクソ忙しい時にパソコンのデータを移さねばならぬ上に、BiNDのサイトデータを修復しなくてはならぬとは、本当に嫌になったが、やるしかなかった。

 

結局、パソコンがハイスペックになっても、6Gを超えたサイトデータはインポートできなかった。サポートセンターはサイトデータを分割するしか方法がないと言ったが、そもそも5Gの制限がかかっているソフト上で6Gのウェブサイトを構築できたこと自体がおかしいし、クラッシュしたあとでウェブサイトを分割しようにも、ソフトがサイトデータを取り込まぬのだから、どうにもならない。

 

色々考えた末、ZIP形式で圧縮されたデータを再び展開し、ファイルを精査して、要らぬ画像データを削除することにした。「_src」というファイルに画像データが格納されていて、開いてみたら、何と11800枚以上の画像を詰め込んであった。ほとんどが北京日記シリーズの画像で、16年と17年以外の画像の大半を削除し、3Gほど減量させることができた。で、再びデータを圧縮し、BiNDにインポートすることにした。

 

しかし、どうやら一旦展開したサイトデータは、再び圧縮してもBiNDが認識せず、インポート不能になるということがわかった。サポートセンターが言うには、とにかく新たにサイトを作るか、容量の小さい古いサイトデータを再インポートするしかない、とのことだった。

 

仕方がないので、5G以内の古いデータを探して、再インポートすることにした。4.99GBだったので、問題なくインポートできた。

 

とりあえず、北京日記だけを搭載したサイトと、すべてを詰め込んだファットかつフラジャイル的なサイト、日記の一部を削って容量を5G以内に抑えたミラーサイトの3種に分割し、データをバックアップした。理想は2017年秋の北京日記までを搭載したサイトを完成させることで、完成の暁には、サイト容量は7Gを超えるだろうが、クラッシュ承知の上で再構築することにした。

 

ついでに、サイトデータすべてのページを見直して、一部内容を刷新した。それと、これまでは浜松町の貿易センタービルや、東京都庁の展望室から撮った写真をトップページに使っていたのだが、イマイチしっくりこないので、三鷹市のOKストア屋上駐車場から撮った写真に変えてみた。 

 

自分の頭の中にある東京の原風景は、ミスチルの「口笛」というシングルCDのジャケット内面で使われた渋谷区富ヶ谷の歩道橋から西方向を望んだような、ビルの合間を電線が絡み合うように走る、ゴミゴミとした街並みだ。

 

富ヶ谷の歩道橋から見た風景も、随分と変わってしまった。残念なことだが、このまま電線の地下埋設化が進めば、東京はファインダーを通して観ても、無機質な都市になってしまうのかもしれない。

遺産

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2010年、針灸は無形文化遺産として、ユネスコにリスト入りした。と言っても、保護対象になったのは中国針灸だけの話であって、日本鍼灸はほぼ無関係だ。これに対し韓国は猛反発しているそうだが、日本ではこの話題自体に触れる鍼灸師が皆無に等しい。

 

そんな状況を鑑みると、中国針灸に対する情報収集能力に関しては、日本よりも韓国の方が優れていると言えるかもしれない。さすがは年間50億本と言われる針の世界製造市場を、中国と二分している御国である。

 

日本の市場で流通している針の大半は中国製だ。現在、日本には針を作っている工場が数社しかなく、純日本製は中国製に比べて1本当たりの単価が割高であるため、懐具合のお寒い大方の鍼灸師の間では歓迎されていないのが実情のようだ。そもそも品質が同等で仕入れ値が半額以下であれば、安い中国針を買うのが正常な反応だろう。経営的な観点から考えても、品質に特段勝った点がなければ、コストは可能な限り低く抑えられた方が良い。コストが上がれば施術価格を上げざるを得ないから、仕入れ値を抑えることは患者のメリットにもなり得る。まぁ、我利我利亡者のような経営者であれば、仕入れ品を極限まで買い叩いた上で高額な施術料金を設定するであろうが、マトモな鍼灸師であればそんなことはしないはずだ。ちなみに日本以外では、ドイツやベトナムでも針が製造されているそうだが、世界的にみるとそのシェアは僅からしい。

 

某国の鍼灸界では、「針灸の伝統は中国よりもウチの方が上じゃ!」などと騒いでいる御仁もおられるそうだが、中医経典の豊富さを比べてみるだけでも、中国の方が格上であることは明白だ。一方、国宝にできるほどの純国産の鍼灸書を持たぬ、針灸発祥の地でない日本の鍼灸業界では、未だに鍼灸重宝記や難経のみに論拠を求め、少数精穴だとか騒いで、施術を行っているケースが少なくない。ちなみに、中国では難経のことを黄帝八十一难经とか、八十一难と呼んだりする。

 

鍼灸重宝記は、学生の頃に当時のモノを入手して既に読了済みであるが、個人的には全く役に立っておらず、本棚の片隅に埋もれている。希少本であるから読まずとも流石に捨てる気にはならないが、緊急時には燃料にでもしようかと思っている。難経はアヤシイ日本語の注釈本を学生時代に学校で読まされたが、教科書も教員も信用していなかったから、卒業後に中国語で読みなおした。

 

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そもそも、難経は経絡、臓腑、陰陽、病因、病機、営衛(気血)、腧穴、刺鍼、病証脈などについての問答集で、針について書かれているのは六十九難から八十一難だけである。つまり、実質13個の短いQ&Aだけにしか、針の情報が記載されていない。これだけを論拠にして効果的かつ再現性があり、現代中医的な針治療が行えるかと考えてみると、ほぼ不可能に近いだろうと思われる。確かに、中医は基本的な内容を暗唱するほど中医経典を臨床において重要視しており、新しい処方も刺鍼法も古典を論拠にして生まれることが多い。しかし日本より遥かに広大な中国においても、難経だけを論拠に針をしている中医などは見たことも聞いたこともない。

 

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だいたい、黄帝内経や針灸大成、針灸甲乙経、針灸聚英、針灸问对などの著名かつスタンダードな中医経典があるのに、なぜ、日本の鍼灸師はそれらを読み、治療の論拠としないのだろうか。本質的な要因としては、日本で権威とされている鍼灸師も含め、日本の鍼灸師の多くが、中国語を解せぬことが挙げられる。さらに、日本の鍼灸学校のカリキュラムに医古文の授業がなく、国内で適切な注釈書が入手できないことも問題だ。例えば刺鍼する際に最も重要な「得気」についてでさえ、未だ日本ではほとんど知られていない。今のところ、日本で素問、霊枢、針灸大成、針灸甲乙経を完訳した鍼灸師は、私が知る限り、浅野周先生だけだ。今後は、日本も中国のように良質な注釈書を数多流通させなければ、延々と中国人に見下されているばかりかもしれない。とにかく、現在、日本で流通している鍼灸書は惨憺たる内容ばかりで、読むに堪えぬものが多すぎる。

 

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中国では、1976年に朱汉章が発明した小针刀を発端に、1992年には「小针刀疗法」が出版、2003年には针刀医学が確立された。2004年には、古代九针からヒントを得た黄帝针と呼ばれる刺鍼法が中华中医药学会理事の黄枢教授によって開発され、メスを使わず低侵襲で頸椎疾患を完治させる刺鍼法が実用化されている(http://www.chinahsh.com/)。さらに、2009年の中医药健康大会では、穴位埋线を進化させた浮针疗法が発表され、1回の施術で即時に可動範囲を拡げたり、瞬時に痛みを無くすことに成功している。ここ30年で、中国はにわかには信じ難い速度で経済発展を遂げているが、中医の分野においても中西結合的な目覚ましい進歩を遂げている。

 

日本の鍼灸師が古代九針の模型を眺めながら、中国古代の針灸治療を夢想したり、極一部の古典に囚われている間に、中医はさらなる高みを目指し、進んでゆくだろう。日本には、「中国人はまだ人民服を着て生活してるんでしょ」なんて言う人もいるが、すでにデジタルアプリケーションで日本を凌いでいるように、針灸業界も日本の鍼灸師が知らぬ間に遥か彼方へ到達してしまっているのが現実だ。

 

日本の鍼灸界には、医師と鍼灸師が分業されていることや、医師であれば鍼灸学校を卒業していなくても鍼灸施術ができるということ、鍼灸師に法的な制約が多いことなど、様々な問題がある。しかし、とりあえずは、鍼灸学校で使われている教科書やカリキュラムを見直すこと、中医薬大学などから教員を招聘して日本人教員のレベルを底上げすること、国内で活躍している鍼灸師の下でのインターンを課すことなどが可能となれば、日本鍼灸もやがては変化を見せるだろうと思う。しかし、一番大事なのは、鍼灸師各々が中国針灸および日本鍼灸の現状を客観的かつ冷静に分析し、現実をしっかりと見据えておくことだ。

 

ちなみに、日本では国内最古の医学書として医心方が国宝扱いになっている。しかし医心方の内容は主に中医経典の抜粋であるから、鍼灸師としては現存する中医経典を中国で買い集めた方がメリットが多い。中国に行けば沢山の原書があるのに、わざわざ一介(いっかい)の写本にこだわる必要はない。中国語を勉強して、原本を読めば良いだけの話だ。

 

もし、かつての日本に優れた鍼灸書や、神医と呼べるような鍼灸師が存在していたら、こんなにも鍼灸が受け入れられ難い世の中にはなっていなかっただろう。日本には未だに、慢性頭痛や腰痛の類でさえ、3回程度の施術で完治させることができる鍼灸師は極めて少なく、実際に一部の学会などでは、「どうやって刺せばいいんじゃ!」などと大層な議論を続けているような状況だ。ありふれた病態さえマトモに治せぬのに、「難病は鍼灸で治せるんじゃ!」などと憑りつかれたように喧伝している御仁もいるようだ。実力のない鍼灸師が難病専門を謳い、藁にもすがる思いの患者を集め、悪評を立てられているケースもある。一般的には、まずは簡単な病態を確実に治せるように技術の基礎を固め、徐々にステップアップして、難治の患者を受け入れられるようになってくるはずだ。

 

最近は日本鍼灸を海外へ広めようという動きもあるそうだが、日本人にさえマトモに受け入れられていないのに、果たして世界に受け入れられることなどあり得るのだろうか。本業がままならず、他でアルバイトしないと食って行けぬと嘆く鍼灸師が多数派を占めるこの日本で、大衆からはエセ科学であると揶揄され鍼灸師としての社会的地位が危ういこの日本で、国際基準さえ持たぬ鍼灸師たちが、どのようにして日本鍼灸を国際化することが可能になるのであろうか。私はそういう客観的事実に気が付かない時点で、非常に胡散臭いと感じてしまうわけだが、とにかく海外へ進出したがる鍼灸師が実在するのは確かなようだ。ある人は、日本で稼働している鍼灸師約8万人のうち、5%程度が開業して成功していると言うけれど、私は1%にも満たないのではないかと推察している。

 

すでに中国では、国策として中医の世界進出が推し進められている。2013年11月には北京の同仁堂がポーランドで営業を開始し、欧州市場に参入した。同仁堂は中国で最も有名な薬屋の老舗で、欧州では中医を常駐させ、中医薬医院として機能させている。現在まで、オランダのハーグ、スウェーデンストックホルムチェコプラハなど、26か国に130店舗以上出店し、5年足らずで欧州に中医薬、針灸を広めたと言われている。

 

2014年、一帯一路政策により、ドイツ・デュースブルク-中国・重慶間、約11,000キロを結ぶ、中欧班列と呼ばれる国際鉄道が開通した。それ以来、中国の欧州進出は勢いを増している。同仁堂が短期間で支店を増やすことができた背景には、中国針灸がユネスコ入りしたことや、屠呦呦(Tu Youyou)が中国人初のノーベル生理学・医学賞を受賞したことなども、少なからず影響しているだろう。

都会の妖怪

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ここ数か月、やることが多すぎて完全な休日が無かった。年末から正月は3日間休みにしたけれども、結局ほぼ3日間、帳簿やら残業やらに追われて終了した。1月4日は木曜日だったから完全なオフにして、日帰りでこびとと箱根へ行って来た。箱根ではシカゴ在住だという上海人家族に話しかけられた。10年ぶりくらいの箱根は、あまりにも中国人観光客が多すぎて、日本にいる気がしなかった。強羅は硫黄ガスがモクモクと立ち込めていてお盛んな様子だった。

 

ウェブ予約を導入して2ヶ月が経ち、電話が減ってかなり楽になったけれども、それでもやらなければならぬことが沢山あって、中々息をつくヒマが無い。知り合いの鍼灸師から講習会をやってくれないかと言われたりするけれど、私は常々患者の施術を優先すべきであると考えているから、あまり講習会なぞに時間を割く気にならない。だいたい、患者の立場になって想像すればわかることだが、症状が重度であればあるほど、患者は一刻も早く楽にしてもらいたいと思って来院するから、可能な限りその要求に応えられるよう努力しなければならない。それゆえ、ひっきりなしに患者が来るようになると、講習会やセミナーなぞに貴重な時間を費やし、鍼灸師同士で百鬼夜行の如く群れてワイワイやっている余裕など無くなってくる。

 

昔と違い、今はやる気があればDVDや動画を観るだけでも、ある程度の技術の習得は可能だ。例えば北京堂には見学者を無料で受け入れろという師匠の教えがあるから、自分で学習していて疑問点が出れば、見学時に聞けば良い。技術は自分でトライアンドエラーを繰り返すことで向上するものだから、結局は己にやる気がなければ、大そうなセミナーに参加しようとも、何も変わりゃあしないだろうと思う。

 

正月はオートクレーブの掃除をした。鍼灸学校では教えてくれなかったけれど、オートクレーブは半年または1年に1度くらいのペースで、酒石酸で洗浄すると長持ちする。もちろん、タンク内の水は週1くらいで交換が必要だけれど、ちゃんと交換していても、カルキなどが罐内に溜まってしまう。一応、ビフォア&アフターの写真でも載せておこう。洗浄後の罐内は、新品同様に綺麗になる。

 

 

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これが、

 

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こうなる。

 

年末から今日まで忙しかったのは、北京の針屋に発注しておいた針が遅れて届いたのも1つの原因だった。北京の針屋には、去年の9月に微信で特注の針を注文しておいた。しかし10月下旬に発送すると断言していたものが、工場との連絡ミスだとかで12月半ばになった。年末はただでさえクソ忙しいのに、銀行へ行って送金手続きを済ませたり、厚生局へ薬監証明の書類を送ったりして、てんやわんやで大幅に予定を狂わされた。結局、荷物はお役所が休みに入った12月29日に日本に着いた。

 

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で、やっと今日、東京税関外郵出張所へ行って、納税の手続きを済ませてきた。ちなみに針を輸入する際、針自体に関税はかからないが、消費税はかかるから、ちゃんと納めねばならない。

 

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東京税関外郵出張所の最寄駅は東西線南砂町駅であるが、駅前の大通りには、妖怪小豆とぎのように怪しげに鼻歌を歌いながら、街路樹に絡まったヘクソカズラを一心不乱にむしり取っている御婦人がいた。街路樹は公共物であるから、妖怪であろうが人間であろうが、食用の実がなっていても、許可なく取ってはいけない。帰り道、何気なく駅前に掲げてあった看板を見上げたら、吉祥寺にあるキラリナが南砂町にも出来るのかと思った。しかし、よくよく見てみると、看板には「キラリスナ」と書かれていた。どうやら新築の分譲マンションらしい。

 

夕方からは新たに導入する洗浄器を設置をしたり、洗浄用に使う特注の鍼皿の発注をしたり、突然壊れたパソコンのファイルを修復したり、バックアップを取ったり、ブログを書いたり、休日なのに全く休んだ気がしなかった。とりあえず、来週の休日くらいはのんびり過ごしたい。

未来の予約

先日、当院のウェブ予約システムが導入事例の1つとして、某社のウェブサイトにて紹介された。今後導入を検討している鍼灸師の一助となるかもしれぬので、とりあえずリンクを貼っておくことにした。

re.iqnet.co.jp

 

ウェブ予約を導入して半月が経ち、やっと登録者数が50人を超えた。まだまだ電話予約の利用者の方が遥かに多いけれど、それでも業務はかなり楽になった。患者からも便利になったと言われ、ウェブ予約を始めて本当に良かったと感じている。

 

最近は会社でも、仕事がはかどらぬとか、電話対応が面倒だとかで、メールやスマホのアプリなどでのやり取りが好まれているそうだ。会社によっては丸一日電話対応に追われ、他の仕事が全く手につかない、というケースもよくあるらしい。

 

個人経営の鍼灸院では、頻繁に施術を中断せねばならぬほど電話が鳴ると、どうにもならなくなる。さりとて受付に電話番を置いたとしても、結局は予約に関する内容だけなのに、「先生に代わってもらえませんか」と言う患者もたまにいる。

 

それと電話の音は交感神経を刺激するから、施術中は電話が鳴らぬ方が患者はリラックスできて、治療効果も上がるかもしれない。

 

患者には予約登録直後と、予約時間の2時間前に自動送信メールが届くようになっている。ゆえに、予約時間を間違えて来院する、ということが少なくなる。当院側にも、患者が何らかの予約操作を行う度にお知らせメールが届くから、紙面の予約台帳とメールで予約状況をダブルチェックできて、間違えることがほぼなくなった。

 

ウェブ予約システムでは、24時間いつでも、予約の登録、変更、キャンセル、キャンセル待ちなどの処理ができる。患者によっては仕事中や電車の移動時など、人目を憚(はばか)り通話できぬ時でも、密かにウェブ上で予約を入れることが可能だ。

 

また、単純に電話代を節約したいとか、電話で人と話すのが好きではないとか、仕事が忙しすぎて鍼灸院の営業時間中に電話予約することができないという患者にも、ウェブ予約は役立つかもしれない。

 

しかし、そうは言っても、高度成長期以前に生まれたような患者にとっては、こういう最先端の利器でも単なる废物に成り下がってしまうことがある。

 

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そういえば先月、故宮のチケット売り場はすべて看板が下ろされ、入場券はウェブ上でしか購入できないようになったようだ。

 

ウェブ上で1日あたりのチケット販売数を制限することで、入場者数をコントロールすることが目的らしい。確かにアホみたいに長い行列が解消され、ゆっくりと観覧することができると思えば良いことなのかもしれない。でも、まぁ、ウェブが使えぬ観光客は大変だろうと思う。

 

鍼灸院もウェブ予約だけにしてしまったら、さぞや楽だろうと思うが、まだまだそういうわけにもいかない。

 

しかし、ムーアの法則の如く技術革新が進んでゆけば、10年後には電話対応はAIに任せ、ウェブ予約が当たり前となり、施術に専念できるようになるかもしれない。 

フラッシュバック

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今年も北京へ行ってきた。目的は針灸・中医関係の本の購入と、針灸用具店への顔出しだ。針灸用具は今年から微信を使って輸入しているから、わざわざ北京まで行く必要はないのだけれど、本を買うついでに針灸用具店へ手土産持参で挨拶しておくことで、ウェブ上での取引をスムーズにできている。

 

今回、こびとがHSK(汉语水平考试)の参考書を欲しいと言っていたので、とりあえず东单の図書ビルで、1~4級の単語帳と過去問を買った。私はすでに4級には受かっているが、来年あたり5級、最終的には6級を受けようと考えているので、一応5級と6級の過去問も買っておいた。ちなみに中国では、4級に合格した外国人は中国の一般的な文系国立大学への入学が許可される。北京大学清華大学などの最難関校は、5級に合格していないと入学できない。だいたい北京語言大学の本科へ入学して1~2年くらい、日本の一般的な大学で中国語を専攻して4年くらいで到達するのが4級だと言われている。6級はほぼネイティブスピーカーのレベルだ。

 

北京の本屋には、日本と違って、毎年膨大な数の針灸・中医関係の新刊が並べられる。今回で針灸の勉強に必要な中医経典や辞書類はほぼ揃えることができたから、今後は新刊や改訂版をチョコチョコ買い足すだけで済みそうだ。

 

去年あたりから店頭に並びだした「中医古籍珍本集成(湖南科学技術出版社)」は、すでに針灸推拿巻だけで15種ほどあり、黄帝内経などの医経巻も含めると数十種以上はある。とりあえず針灸推拿巻すべてと黄帝内経金匱要略傷寒論だけはこの1年で3回中国へ行き、何とか買い集めた。「实用针刀医学治疗学(人民衛生出版社)」は第2版が出ていたので、改めて買いなおした。

 

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雍和宫に行った際には、境内に併設していた土産物屋で「図解 黄帝内経」という本を見つけたので買ってみた。

 

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これは主に素人向けの内容だったが、中々良くできた本だった。日本の鍼灸学校で買わされる教科書や、日本のアヤシイ黄帝内経の注釈本を大枚はたいて買うくらいなら、68元(約1200円)出してこの本を買って読んだ方が、遥かに有意義かもしれない。鍼灸学生時代には、少なくともこれくらいの本は読んでおくべきだろうと思う。 

 

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王府井では张一元という老字号の茶屋で、おかんに頼まれていたジャスミン茶を数缶買った。老字号というのはいわゆる老舗のことで、张一元は北京では最も知られた、ジャスミン茶のシェアNO.1の店だ。確かにここのジャスミン茶は香りが素晴らしいのだが、残念ながら日本では手に入らない。

 

地下鉄で手荷物をX線に通す時、こびとがこの日本で買ったら1缶数千円は下らないと思われるジャスミン茶6缶を取り忘れたため、国貿駅から再び王府井駅へ戻ってきたわけだが、結局誰かに盗られたようで、無くなっていた。仕方なく再び张一元へ行き、同じものを6缶買いなおすことにした。私が店員のオッサンに「さっき買ったやつは駅の保安検査の時に失くした」と言うと、オッサンは西川きよしばりに目をグリグリさせて、「丢了!?(失くしたって!?)」と叫んだ。

 

だいたい北京の庶民は、未だに月に2000~3000元(約34000~51000円)程度しか稼げぬらしいから、数百元で買った茶葉を失くすのは相当な痛手なのだろう。しかし私が茶葉を買いなおすことで、オッサンの店は儲けが倍になるから、オッサンは哀れみと嬉しさが共存する複雑な心境で、「丢了!」と叫んだのかもしれないな、と思った。これを聞いたレジのオバハンは、1回目に買った時は茶缶を紙袋に無造作に詰め込んだだけだったが、2回目は茶缶をポリ袋に入れて厳重に封をしたあと、さらに紙袋に入れこして、「看好了!(気を付けてね!)」と言って手渡してくれた。

 

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张一元の紅い紙袋を持って外へ出ると、目の前を通り過ぎた2人の中国人を見て、思わず「あっ!」と叫んでしまった。我々の前を通り過ぎた70歳くらいの老婆と、その後ろを金魚の糞のようについて歩いていた50歳くらいの男は、いつも地下鉄1号線の車内で物乞いをしている2人に間違いないようだった。

 

この親子らしき2人は、毎週末になると観光客が多く利用する地下鉄1号線に乗り、車両の端から端までを練り歩いて乗客に金を無心するのであるが、その集金スタイルが異様であったため、私は数回見ただけで2人の顔をハッキリと覚えていたのだった。男は確かに、目を見開き、健常者と変わらぬ素振りで歩いていた。

 

いつも金を無心する役目は老婆だ。息子らしき男は無言のまま両目を閉じて全盲を装い、右手でアンプ付きのハーモニカを持ち、哀愁漂う音色を吹き鳴らす、という役目だ。そして左手は老婆に引かれ、あたかも母親が、全盲の哀れな息子を女手独りで養っている、というシチュエーションだ。

 

老婆の集金の仕方はかなり強引で、無視を決め込む乗客の手を無理矢理引っ張り、「どうか金を恵んでくだせぇ」と迫るのだ。慈悲心の強い外国人観光客などは、たまらず1元札やら10元札を手渡してしまうのだが、地元民は奴らが骗子(ペテン師)であることを見抜いているから、手を握られても完全無視で押し通す。上海ではこういう詐欺行為で小銭を集め、マンションを2つ買った輩がニュースになったそうだ。ちなみに、「骗子」の類義語で、最近CCTVの「今日说法」という番組でよく見かける言葉に「老赖」というのがあるが、これは借金を踏み倒す人のことで、いわば「債務者」の意味だ。

 

この日は、数日後に5年に1度の共産党大会を控えており、北京市内の警備が厳重であったせいか、いつもいるはずの物乞いを1人も見かけなかった。それゆえ、この親子も物乞いができず、当てもなく王府井を徘徊していたのかもしれない。

 

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滞在2日目は運行し始めて間もない、世界最速を謳う复兴号と名付けられた高铁(高速列車)の始発便に乗るため、北京南駅に隣接する某ホテルに泊まることになっていた。日本を経つ前に、予めCtrip(携程旅行网)という中国最大手のウェブサイトでホテルを予約しておいた。

 

しかし、当日ホテルへ行くと、フロントの男は「接待不了外宾(外国人客は受け入れられません)」の一点張りで、泊まることができなかった。結局、ホテルへ着く直前にCtripからメールが来ていたが、直前のメールなんて見ていないから、気が付かなかった。Ctripからきたメールの内容は、中国人が記した日本語にしては、よくできた文章だった。

 

「ホテル側より外国の方を接待する資格をもっていないため、ご予約を確定することができないといわれております。大変申しわけございませんが、ご予約を一旦キャンセルさせて頂きます。部屋料金はご利用のカードまでに返金致しました。また、一度お客様のご予約を確認してから、ご予約通りに部屋を提供できないことに対して、お詫び申しあげます。シートリップはお客様のお声を真摯に受け止め、サービスの改善、業務品質向上に活かし、お客様から信頼される旅行会社を目指しておりますので、今回の事態に招いて弊社の不手際について、反省の上責任を持って対応させていただきたいと考えられます。また、同じチェックイン日のホテルをご予約頂いた場合、ご宿泊後にて領収書の写真を弊社までご提供していただければ弊社より最大初日部屋料金620人民元に相当する差額をシーマネープラスの形でご利用のシートリップアカウントに弁償させて頂きます」

 

Ctripだけのことではないと思うが、大手の予約サイトであっても、中国国内のホテルをウェブ上で予約する場合、確実に外国人が泊まれるホテルを探さねばならない。しかし中国のホテルは、実際にチェックインしてみないと泊まれるかどうかわからないことがよくあるから、予め宿泊拒否をされる可能性があることを想定しておくべきかもしれない。

 

滞在3日目は師匠一行と簋街で会食した。本当は王府井のapmにある东来顺という老舗の火鍋屋へ行こうと思っていたのだが、師匠たちが乗った飛行機が遅れて到着したため、残念ながら営業時間内に行けなかった。王府井の飲食店はどこも21~22時で閉店してしまうようだ。一方、簋街の飲食店はほぼ24時間営業だから、飛行機が遅れた場合はだいたい簋街で夕食をとることになる。師匠は久しぶりに燕京啤酒を飲めて嬉しそうだった。

 

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そうそう、中国の空港で保安検査を受ける時は、なるべく中国人や日本人が多い列に並んだ方がよいかもしれない。何故なら人種によっては身ぐるみ剥がされるかの如く、体の細部まで厳重にチェックされるケースが珍しくないからだ。実際に、アフリカ人の多い列に並んだ結果、通常なら15分くらいで保安検査を通過できるはずが1時間以上かかってしまい、飛行機に乗り遅れそうになったことがある。ちなみに中国は建前上、アフリカを一帯一路の良きパートナーとしており、「两国关系非常友好,亲如兄弟(両国の関係は親密で、兄弟のようだ)」などと公言している。

 

軽いボディチェックですんなり通される日本人を後目(しりめ)に、裸足にされて隅々までボディチェックされている人々を目の当たりにすると、実際には見たことがないのだけれど、奴隷制度があった頃のアメリカ植民地の光景がフラッシュバックするようで、何だか切ない気持ちになる。