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インチョーのブログ(表)( ´∀`)

「東京つばめ鍼灸」インチョーの独り言ブログ。インチョーのブログ(裏)はこちら→http://ameblo.jp/ryudoumizuki

続・2011年前後

砂丘は島根にあると思い込んでいた自称シティーボーイにとって、島根での生活は不安だらけだった。

 

2010年の7月中には、前院長であったTさんから島根の北京堂を引き継がねばなかった。それゆえ、出来るだけ早く島根へ行っておかねばならなかった。しかし、私の島根行きが突然の話だったのと、Tさんがなるたけ早く退職したいとのことで、私の東京での弟子入り期間は実質3ヶ月しかなかった。

 

北京堂の弟子は通常、最初の3~6ヶ月くらいは治療の見学と抜針だけで、実際に患者に鍼を打たせてもらえるようになるのは、弟子入りしてから半年後程度、ということになっている。しかし私は3か月後に島根の北京堂を引き継がねばならなかったため、弟子入りして1ヶ月くらいで患者に鍼を打たねばならぬような状況を強いられた。しかし幸いなことに、弟子入りする前の1年間は卒業した鍼灸学校の付属施術所で実際に患者に触れたり、毎週末は狭いワンルームの自宅に友人を招いて刺鍼練習をしていたから、とりあえず弟子入り1ヶ月後には何とか針が刺せるようになっていた。あの頃練習台になってくれた友人達には今でも感謝している。

 

ちなみに、鍼灸学校を卒業すればすぐにマトモな治療が出来るようになる、と思い込んでいる人が少なくないが、実際には卒業してすぐに治せるようになる鍼灸師なんて皆無に等しい。高い学費を払い、専門性習得を謳う厚生労働省お墨付きの学校を卒業してもスペシャリストになれぬとは何とも皮肉なことだが、未だに卒業後10年経ってもロクに治せない鍼灸師は珍しくない。会員ビジネスの餌食となって徒党を組んで安心感を得るだけで、患者と真剣に向き合おうとしないようなケースも、日本の鍼灸業界ではアルアルである。

 

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島根には事前に日通の単身パックで荷物を送っておき、バイクで行くことにした。島根で生活するためにはバイクがあった方が便利だと思ったからだ。私のバイクは「スポーツツアラー」と呼ばれるジャンルで一部の変人から愛されていた、スズキのRFというバイクだった。これまで、スズキは刀やガンマ、TL1000Rなどと変態的なバイクを量産してきたが、RFは私の好みにピッタリのバイクだった。

 

RFは1992年に製造された旧車で、島根東京間1600キロをよくノントラブルで走ったと思う。今思えば恐ろしいことだ。結局、RFは2015年に廃車にするまで50000キロ以上、大きなトラブルもなく走ってくれた。キャブ車は燃料タンク内のサビやスラッジでニードルジェットが詰まって走行不能になるのが定番だけれど、定期的なキャブのオーバーホールやタンクの交換、ワコーズフューエル1の定期注入で、何とか走行不能は免れることが出来た。RF唯一の構造欠陥として、スタータスイッチ部分に水が入るという事例があったが、これは自分でうまく改造して問題なく走れた。チョークワイヤーは固着しやすかったが、寒い日はエンジンがかかりにくくなるから、これも定期的な交換と注油が必須だった。あとはイグニッションコイルクラッチワイヤー、アクセルワイヤー、プラグ、バッテリーの交換、フロントフォークのオーバーホールが必要だったが、エンジンやミッションは触らずに済んだ。

 

結局、2010年の7月に島根へ移住したのだが、北京堂を引き継いだ当初はヒマすぎて、本当に食っていけるかどうか不安だった。しかし、師匠がすでに島根で20年ほど北京堂をやっていたこともあり、徐々に患者が戻ってきて、何とか生活していけるようになった。あまりにもヒマな時は、一人で市内を観光したり、鍼灸院のウェブサイトを作ったり、南北相法を翻訳したりした。ウェブサイトの作成は独学で一から始めたから大変だったけれど、今となってはコツコツやってきて良かったと思っている。

 

そういえば去年だか一昨年くらいに、某出版社からの依頼で南北相法の一部を抜粋して、現代語に翻訳したことがあった。結局その翻訳は雑誌で公開・出版されたが、つい最近、その翻訳をウリにした別冊を出版するとのことで、出版社から転載承諾の許可を乞うメールがあった。私は二つ返事で承諾したが、結局担当者からは返信がなく、そのまま新たな特集本が出版された。私の翻訳を最大のウリにしたような本なのだから、報酬は無くとも、どんな感じで刷り上がったのか1冊見本を送ってくれたって良いじゃないかと思ったりした。まぁ昨今の出版社なんてそんなものなのかもしれない。

 

島根では師匠のお父さんとお母さんにお世話になった。師匠のお父さんは針治療も好きだったが、特に灸施術が好きで、1ヶ月に1~2回くらいのペースで私の治療を受けに来ていた。毎回灸を据える前に「私はね。熱いのが平気なんですよ」と言っては、遠回しに熱めの灸を要求した。

 

私は針を刺し終えると、いびきをかいてすぐに寝落ちするお父さんの横で、付き添いで来ていたお母さんとおしゃべりするのが常だった。お母さんは色々な話を聞かせてくれたが、毎度同じような話を何度も繰り返すので、毎回初めて聞いたような素振りで相槌を打たねばならなかった。お母さんは来院するたびに、東出雲町で最も美味いという越野の天ぷら(魚のすり身を揚げた山陰名物)を手土産に持参してくれて、話疲れると待合室の長椅子でリッラクマのティッシュケースを枕にして、お父さんの治療が終わるまで昼寝していた。師匠も疲れるとすぐに横になる習性があるが、お母さんの寝姿は師匠とソックリだった。お母さんとお父さんは、たまに私を自宅に招いてくれて、松江の名物である茶菓子やら魚料理やらをご馳走してくれた。お母さんは夕方になると、ホースで庭の植木に水をやるのが日課になっていた。

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お父さんは山陰の郷土史について語ることが好きで、ヒマを見ては私を松江近辺の名所に案内してくれた。お父さんは毎日ヒマを持て余していたのか、私をどこかへ連れて行くことが楽しい様子だった。

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東出雲の一番の名所であると思しき黄泉比良坂(よもつひらさか)へ一緒に行った時、お父さんは「これは黄泉(死者のいる場所)に通じる入口を塞いだ石だと言われていますが、この石は我々が若い頃に運ばされたものです」と出雲訛りの標準語で言った。お父さんは神話やら仏教説話には懐疑的で、どちらかと言えば唯物論者に近かった。まぁ一応、東出雲町の名誉のために言っておこう。

 

ここには黄泉の入口が存在します。

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島根で初めて迎えた冬は大変だった。2010年の大晦日から降り始めた雪がずっと止まず、一夜明けた正月には、松江の学園通り付近で積雪が60cmを超えた。

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豪雪地域では何てことのない積雪量なのかもしれないが、ほとんど雪の降らぬ東京で育った人間にとっては、メジャーで深さを測りたくなるほど衝撃的な量だった。

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島根の大東町という場所から来ていた患者の話では、山間部は積雪が1mを超えており、玄関から公道まで自家用車を出すための除雪が大変だったそうだ。公道は市の除雪車が走るから時間が経てば何とか通れるようになるが、当然ながら自分の敷地は自分で除雪せねばならぬから、自宅の庭が広い人は地獄を見ることになるのだった。松江の北京堂では、マンションから30mくらい離れた場所に患者用の駐車場を2台分借りていたのだが、たかだかそれだけの範囲でも、1人で除雪するのに1時間以上はかかった。何より、マトモな道具が無かったのと、慣れていなかったので大変だった。 

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例年の松江市では12/15頃から冷え込んで徐々に雪が降り始めるのだが、毎年積もっても10cmくらいらしい。大雪が降ったのは幸い大晦日から正月までだったから仕事に大きな影響はなかった。1/2からは駐車場に積もった雪を除雪するため、川津にあるジュンテンドーというホームセンターまで歩いて行った。途中、ローソンの前でスタックしている小型車があり、後輪が滑ってローソンの駐車場から抜け出せなくなっていた。店長らしき男が迷惑そうに眺めていたが、可哀想なので手伝ってやることにした。小型車の運転手らしき小柄なオバハンは申し訳なさそうにしていて、スコップは持っていないと言うから、見知らぬ通りがかりの男と一緒に後輪付近の雪を手で除けて、ローソンの外に置いてあった段ボールをタイヤの下に敷いて、何とか脱した。結局ジュンテンドーに行くまでに、スタックした車を男が数人がかりで押している光景を2回見た。島根では車にスコップを積んでおくべきだと思った。 

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ジュンテンドーの前にはすでに開店を待つ10人くらいの市民が座っていた。みな除雪用のスコップを求めているようだった。開店してすぐに「スコップはありません!」と店員が叫んだので、みな残念そうに散っていった。その後、田和山と春日にある「いない」と、東出雲にあるナフコに電話してスコップの在庫を問い合わせたが、どこも売り切れだった。どうやら在庫切れというより、そもそも在庫を持っていないらしかった。東京と違ってどの店も店舗数が限られていたから、こりゃ困ったな、と思った。

 

仕方がないので東京に住む母親に電話して、宅急便でスコップを送ってもらうことにした。スコップが届くまで、除雪が出来なかった。かつて「サンパチ豪雪」と呼ばれた大雪が松江市を襲ったらしいが、今回はそれ以来の大雪だったと、後で患者から聞いた。寺田寅吉が言ったように、概して災害は忘れた頃にやってくるもんだから、常々備えておかねばならぬと痛感した。

 

島根から戻って来て、改めて東京の冬は過ごしやすいと感じるようになった。30年くらい前には東京でも庭でカマクラが作れるほどの雪が降ったものだけれど、最近は雪景色を忘れてしまう程の暖冬が続いている。

 

確かに東京は雪がほとんど降らないから楽だけれど、山陰でしばらく雪に囲まれて生活をしていたせいか今では時折雪が恋しくなって、冬になるとわざわざ雪の降る町へ出かけたくなったりする。

2011年前後

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島根に住んでいた時の話。

 

島根の北京堂は、まだ八束郡と呼ばれていた頃の東出雲町で、師匠が30年ほど前に開業した。今も9号線を米子方面に走っていると「北京堂鍼灸」と書かれた看板が見える。ちなみに東出雲町と言えば三菱農機と黄泉比良坂(よもつひらさか)が有名だが、私は島根へ行くまで知らず、師匠のお父さんに案内されて初めて知った。 

 

2008年頃には短期間であったが、松江の菅田町あたりで師匠が営業していたらしい。学園通りの北京堂は2009年から営業している。最初は師匠の中国時代の旧友であった鍼灸師のTさんが経営していたのだが、イロイロと諸事情があり、2010年から私が一時的に北京堂を引き継いでいた。現在は師匠の弟子の研修所というか、訓練施設のような感じで、新しい弟子が数年ごとに引き継ぐようなスタイルになっている。 

 

2010年も学園通りの北京堂は松江駅から徒歩10分くらいの場所にある、茶色い外壁のビルの6階で営業していた。このビルは7階建てで築30年ほどになるが、完成当初は松江で最も高いビルとして、市内でもひと際目立つ存在だったらしい。今は1階におしゃれなカフェが入っているそうだ。 

 

基本的に鍼灸院の立地は、可能な限りバリアフリーである方が良いため、師匠は6階に鍼灸院を構えることに反対していた。しかし、友人であったTさんが「眺めが良い方が良いでしょ」と主張したため、断ることが不得手な師匠はTさんに言われるがまま、606号室の賃貸契約書にペタンと判子を押してしまった。師匠はあとになってから、「馬鹿と煙はなんとやら、だからなぁ」と言い訳がましくTさんの陰口を叩いていた。 

 

鍼灸院には様々な患者が訪れる。特に強度のぎっくり腰や捻挫、肉離れ、脳血管障害後遺症などの患者は歩行困難であることが多いから、上階まで上がるのには多大な労力を費やさねばならぬ可能性がある。さらに、北京堂のような響きの強い針灸治療は施術後のダメージが大きいため、数段の階段さえ降りることが困難になるケースが珍しくない。 

 

ゆえに北京堂のような鍼灸院の立地は1階かつ、入口付近に段差がないのが理想だ。エレベーターがついていれば問題なかろうと思う人もいるかもしれないが、マトモなビルであればエレベーターの定期点検が必ずあるから、ビルによっては1ヶ月に数回エレベーターが使えなくなることもある。 

 

実際に北京堂が入っていたビルでも、定期的かつ予告なしにエレベーターが止まるもんだから、運悪くその時間に予約を入れていた患者は、ヒイヒイ言いながら6階までの階段を上らねばならなかった。島根人は普段は車の移動が主であって、東京人のように歩く習慣が少ないから、たかだか6階までの移動であっても相当な負担を強いられるらしかった。また、島根の北京堂は東京と違って高齢者も多く来院していたから、90歳前後の老人が息を切らせながら階段を使う時は、昇降途中で逝ってしまって焼香が必要になるのではないかとヒヤヒヤした。

 

そういえば、オスマン・サンコン氏は日本で初めて通夜に参列した時、焼香のやり方がわからなかったらしい。それで前に並んでいた人の作法を真似ようと思ったそうだが、「ご愁傷様です」と言う日本語が「ご馳走様です」と聞こえ、香木を額に近づける仕草を後ろから見た時、香木を食べているように見えたため、香炉へ落とすはずの香木を口の中へ入れて食べてしまったそうだ。

 

松江の北京堂を引き継いで数か月ほど経つと、日中ずっと日が当たらない玄関横の部屋で、カビと結露が大発生していることに気が付いた。和室だったが、畳が一部腐っていて、置いていた物のほとんどがカビていた。 

 

このカビ事件を管理会社に伝えると「すぐに確認に行きます」とのことで、本当に管理人が数分で飛んできた。どうやら、この部屋は北向きであったことと、壁に断熱材が入ってなかったため、カビと結露が大量発生したらしかった。ちなみに現在、島根のように寒くて多湿な地域ではペアガラスと呼ばれる2重窓が主流になっているらしいが、このビルは古いためか、窓は1重にしかなっていなかった。とにかく断熱材を入れていないのは致命的だと思った。 

 

その後、管理会社は断熱材が入っていないことが不味いと思ったのか、606号室を含めた空き部屋は全てペアガラスと断熱材を入れるリフォームを施していた。これ以降しばらくは、患者との会話はカビ事件の話で持ち切りになった。なにせ田舎にいると話題が乏しいから、ちょっとした事件でも針小棒大なネタになる。 

 

するとある日、いつも不動産経営でガッポリ儲けて笑いが止まらないような顔をしていた患者のEさんが「うちの自社ビルの1階のテナントが空いてるけん。安くしちゃるで」と言った。島大近くの学園通り沿いで、川津のバス停も近くて、立地はまぁまぁ良い物件だった。Eさんはその物件の上をオフィスとして使っていたから、その下に鍼灸院が入れば、気軽に鍼灸治療を受けられるようになるだろうという魂胆があったらしい。

 

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しかし師匠にこの件を話したら「移動するのは困るよ。患者さんが混乱するから」と言ったため、結局、2012年に同じビルの7階へ移動するという妥協案に至った。管理会社は悪いと思ったのか、家賃を据え置きにしてくれた。松江城が見える眺めの良い部屋だった。南向き、角部屋、最上階の7階だったから、湿気の害から逃れることは出来たが、相変わらずエレベーターの点検問題は解決出来ないままになった。 

 

2011年に東日本大震災が起きた時は、まだ6階で営業していた。3LDKの間取りで、ベランダ側の2部屋を治療部屋にして、4畳半くらいのリビングダイニングを待合所にしていた。待合所にはテレビを置いていて、患者が暇を持て余さぬよう、テレビをつけっぱなしにしながら治療する、というスタイルだった。 

 

東北から島根までは直線距離でも1000キロくらいはあるからか、さすがに揺れは感じられなかった。現在のようにスマホが普及していなかったから、おそらくテレビをつけていなかったら、地震があったことには気が付かなかっただろう。テレビをつけておいて良かったと思った。 

 

ちょうど私は患者に鍼を刺し終わったあとで、水道で手を洗っていた。すると突然テレビの画面が騒がしくなり、キャスターが大地震が起こったと興奮しながらしゃべっているのが見えた。しばらくすると津波警報が発令され、画面に映し出された日本地図の沿岸が赤く点滅し始めた。赤いマーカーが点滅している場所に津波が来るから注意して下さい、という報道だったが、島根県鳥取県沿岸だけは何故か赤いマーカーが点滅していなかった。針を刺されたまま、うつ伏せになっていた80歳過ぎの女性患者に地震があったことを伝えると、「島根は神の国じゃけん。地震は起こらんし、津波も来ない」と悟りを開いた聖人のように、落ち着いた様子で答えた。 

 

その後しばらくは、患者との会話は地震の話で持ち切りになったが、「島根は神の国であるゆえに災害が少ない」と語る人が少なくなかったことに少々驚いた。東京で生まれ育った自称シティーボーイにとって、これは島根で初めて受けたカルチャーショックだった。 

 

そういえば、島根県雲南市大東町には、知る人ぞ知る海潮温泉という秘湯がある。海潮温泉は出雲風土記にも載っているという古い温泉で、無色透明の湯だ。この温泉が好きだと言って、毎日のように入り浸っている患者がいた。彼は東日本大震災が起こる前日にも湯船に浸かっていたが、その時急に湯船が茶色くなって、驚いたそうだ。これまで海潮温泉で茶色い湯が出たことはないらしく、のちに彼は「あれは大地震の前兆だったんだろうか」と語った。東北から島根まではかなりの距離があるし、フォッサマグナを隔てているけれども、結局は同じ地殻の上にあるわけだし、地球規模で見れば1000キロなんてのはわずかな距離であるから、そういうこともあるかもしれないな、と思った。 

 

地震が起きて数日後、仙川で店を経営している高校時代の先輩から、「東京はどこも電池が売り切れで困っている。そっちで買って送ってくれないか」と電話があった。その日の夜に春日町の、あるのに「いない」というホームセンターに行って、電池を大量に買った。駅前のイオンでは東北に住む親戚に送る物資を沢山買ったが、店内は予想外にも在庫であふれていた。

 

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2012年には島根から師匠と北京へ行った。北京では針灸用具店で大量の棒灸を買って船便で送ってもらった。薬監証明書などの面倒な書類を厚生局やら税関やらとやりとりして、苦労して手に入れた棒灸だったけれど、数箱使っただけで、残りは全て東日本大震災の被災地に送ってしまった。

 

定期的に被災地へ訪問し、物資を届けているという某会社のお偉いさんであったSさんという患者がいた。鍼灸師として現地へ行って何か出来ないかと思ったが、針灸に対する誤解が多く、針灸治療の社会的許容度が低い日本においては、行かずに物質的な援助をする方が良いだろうと考えた。で、ライター、ロウソク、棒灸、棒灸の使い方を書いた説明書を1セットずつに個別包装して箱詰めし、Sさんに荷物を託した。Sさんはとある仮設住宅で、この棒灸をすべて配ってくれたそうだ。 

 

しかし今考えれば、あれは失敗だったな、と思う。当時の私はまだ棒灸を使い慣れていなかったため、棒灸の煙の酷さに気が付いていなかったのだった。狭い仮設住宅で有煙棒灸を使ったら、衣類やカーテンに臭いが付くし、部屋中がモクモクになって大変なことになるだろう、という想像が出来なかったのは愚かだった。今は台湾製の良い無煙棒灸があるけれど、当時は細くて小さな、火力の弱い無煙棒灸しか販売されていなかった。

花甲

先日、師匠の還暦パーティーがあった。私は予約しておいたホールのケーキと、還暦祝いに剪纸を持参することにした。 

 

ケーキは最も見た目が美しく、実際に食べても美味しそうなケーキを選んだ。近所では見当たらなかったので、新宿のアンテノールで予約注文した。ケーキに載せる板チョコには「祝愿师父万寿无疆!(師匠が永遠に逝きませんように!)」と、チョコペンで書いてもらった。「师傅」と書いてもらっても良かったが、おそらく細かすぎて字がつぶれるだろうと予想したので、「师父」にしておいた。ロウソクは60本用意しようかと思ったが、数字のロウソクがあったので、6と0のロウソクを買っておいた。便利な世の中になったものだ。 

 

剪纸(jianzhi)は中国で2000年以上前に始まったとされる民間芸術の一つで、中国では現在、非物質文化遺産に登録されている。

 

剪纸というと赤紙の単色が多いが、影絵芝居で使われる皮影(piying)と呼ばれるカラフルな切り絵を買った。種類は色々あったが、無難なデザインにした。「吉祥如意(jixiang ruyi)」とはお祝いなどで使用されるメジャーな成语で、要するに「幸運が訪れますように」みたいな意味だ。ガラス製だから、北京から割れないように持って帰るのが大変だった。 

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今回、王府井書店では針灸関係の古典の繁体字本を沢山買った。画像の本は『中医古籍珍本集成』という湖南科学技術出版社のシリーズ本で、木版刷りの内容がそのまま印刷されている。去年あたりから発売されていて、有名な古典、経典はほとんど網羅されている。中医関係の本はいつ売り切れになるかわからないから、在庫があるうちに買っておくのが賢明だ。とりあえずアホな鍼灸師と思われないように、針灸大成、甲乙経、聚英、内経、霊枢、問対、摘英集、玉龍経あたりを買っておいた。その他に本草綱目やら成语大全なんぞも買ったら、荷物の総重量が40キロを超えてしまい、帰国時に地獄を見た。まぁ、これで私もアホ鍼灸師のカテゴリーからは何とか離脱したであろうと思う。

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ついでに、経穴図もやっと良いのが発売されていたので買っておいた。人民衛生出版社が出した第4版の穴位図で、確か4枚セットで40元(約600円)だった。針灸中医関係の本もそうだが、こんな良質な穴位挂图は日本では一生手に入らないかもしれない。特に4枚目には頭部や顔面部の細かい穴位が記されていて、非常に良い。これでいちいち本を開く必要がないし、患者さんや見学者にツボの位置を説明しやすくなる。額はネットでオーダーメイドしてもらった。1つ7000円くらい。

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西单の北京图书大厦にも『中医古籍珍本集成』の在庫があったが、王府井書店に比べると種類が少なかった。大胆にも壁際で寝読みしている輩がいた。 北京の本屋では、以前から座り読みは頻繁に目撃してきたが、寝そべって読む輩は初めて見た。

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今年も北京の大気汚染は例年通りな感じだった。最近は植林など緑地化の成果が出て来ていて黄砂は減ったらしいが、PM2.5はまだ減っているという感じがない。今は中国よりも、むしろインドの方が酷いらしい。

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師匠には8月にグンゼ製の真紅のパンツをプレゼントしておいた。中国では日本と違い年男は凶だから、赤いモノを身に着けておくことで、魔除けになると言われている。ちなみに赤いパンツは1枚しかあげていないが、大そう気に入ったらしく、毎日履いているらしい。 

 

また中国ではお祝いの時に爆竹をならす習慣があるが、あれは元々、ある村を害していた年(nian)という怪物を、どこからともなく現れた自称仙人が爆竹で撃退したという逸話が起源になっていると言われている。空を飛ぶとか、空中浮遊をするとか噂されている仙人が爆竹を使うのもどうかと思うが、まぁあの爆発音を聞いたら、怪物でなくとも大抵の動物は逃げ出すに違いない。北京へ行ったついでに爆竹を買ってきて師匠ハウスで鳴らそうかと思ったが、空港の保安検査で別室へ連れて行かれるのも嫌なので諦めた。 

 

還暦パーティーの参加者は9人であったが、主役がわかるように赤い三角帽子と眼鏡を買い、師匠にプレゼントした。師匠はこれを装着したまま、針灸について熱く語っていた。

 

師匠が「ついでに本の宣伝もしてもらいましょう」と言うので、刷たてホヤホヤの本と一緒に写真を撮った。治せず路頭に迷っている鍼灸師は、淺野周著「鍼灸院治療マニュアル」をどうぞ。AKBのCDのように、1人50冊も買えば師匠も喜ぶでしょう。私は1冊買いました。

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これまで師匠とマトモに写真を撮ったことがなかったので、集まったみんなで還暦記念の集合写真を撮った。三脚を装着したキャノンの一眼レフで撮ったので、綺麗に撮れて良かった。最近の一眼レフはオートタイマーで連続撮影が出来るから便利だな、と思った。

*プライバシーに配慮し、一部画像処理してあります。

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またバインド

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BiND8で上海での日記をまとめていたら、突然編集画面がシャットダウンした。それから全く起動しなくなってしまった。どうやらインポートした画像が増えたせいか、ファイルが壊れたらしい。

 

私の日記の中の、上海で暴走タクシーに遭った件(くだり)には、中国のニュースを翻訳した部分が含まれていた。何だかんだで1時間くらいかけて書いた内容だったのに、バックアップする前にファイルが壊れたもんだから、発狂しそうになった。しかし、奇跡的にファイルが壊れる前、試験的にデーターをウェブ上にアップロードしてi-phoneのブラウザで確認していたから、何とかそのブラウザのデータをメールに貼り付けて送信して、大事に至らず済んだ。

 

公式ウェブサイトによると、同じような事案がいくつも発生していて、一部の事案が未だに解決出来ていないそうだ。私のケースは0.05%のユーザーに発生しているらしいが、こんな低い確率ホンマかいなと勘ぐってしまう。確かに使いやすさは進化している。しかし、いつになったらこのソフトは不具合がなくなるのだろうかという怒りや不信感が増すばかりだが、とにかくこのソフト以外に自分の好みがないもんだから致し方ない。

 

とりあえず、毎度のようにサポートセンターに不具合を報告すると、「同様の現象が他のユーザー様や弊社複数の検証環境にて確認できておらず、明確なご案内が難しい状態です。製品の再インストールをお試しいただけますでしょうか。再度起動の操作後に下記の位置にあるログデータをお送りいただけますか。弊社専門部署にて調査をさせていただきます」と返信がきた。

 

全く、ユーザーがまるで治験者となり、無償でデータを提供し続けねばならぬような状態とは如何なものかと思うが、BiNDというソフトは私のような一部の変人、または愛あるユーザーによって進化する奇特なソフトなのかもしれない。まぁ車などの工業製品も消費者から上がってくる負のデータを拾い集めてマイナーチェンジを繰り返してゆくものだけれど、こう何度も再インストールが必要になると、いい加減嫌気が差してくる。

 

とりあえずは、面倒でもこまめにデータをバックアップして、ソフトが安定して動くようなアップデータの提供を待つしかないのだろう。おそらくデータ容量の少ないウェブサイトであれば、BiND8であってもトラブルは起きにくいのかもしれないが、余程の変人か忍耐力のある人でないと、このソフトは使い続けられないだろうと思うから、なかなか他人には勧めらたモノではない。ちなみにBiND8は再インストールすると、インポートしていた画像やらファイルが全て消えてしまうから、予め1つにまとめて別で保存しておくのが賢明かもしれない。

 

上海へ行った

連休をとって上海へ行ってきた。高校時代からの友人S氏が上海での出向を終え、9月いっぱいで日本へ戻って来るとのことだった。そんなわけで、「俺がいるうちに遊びに来いよ」ということになった。

 

いつかは上海へ行くつもりだった。上海市内の針灸用具店と書店を巡って、中国鍼灸の状況を調べてみたいと思っていたのだ。北京は師匠がすでに開拓しているが、上海の状況は不明だったから、この機会にどんなもんか調べておくことにした。だいたい、積極的に中国へ行く鍼灸師なんて日本にはほとんどいないから、日本で上海の鍼灸事情を調べるには、中国語で書かれたウェブサイトを漁るしかない。事前に5つくらい、針灸用具が売っているという通りを調べ上げ、地図をプリントアウトして、上海へ飛んだ。

 

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地下鉄乗り放題の1日乗車券を買い、いくつもの大病院の周辺を半日かけて駆け回ったが、結局、針灸用具を売っている店は見つけられなかった。さすがに上海中医薬大学と上海市鍼灸経絡研究所の近くにはあるだろうと期待していたが、それらしき薬局を見つけたものの、着いた頃にはすでに閉店していた。17時で閉店とは、なんともやる気のない店だとちょっと憤慨した。

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ちなみに、北京の東直門にある針灸用具店は、年中無休で20時くらいまでやっている。全体的に巡った感じでは、药房と呼ばれる素人向けの薬局ばかりだった。薬や車椅子、血圧計、入院時に患者が使う日用品くらいしか揃っていない店だ。詳しい事の顛末はそのうち自分のウェブサイトの日記コーナーに記そうと思う。

 

師匠から買ってきてと頼まれていた黄帝内経繁体字本は、上海書城で良いのが買えた。この本屋の中医コーナーにいた店員はオカマのような風貌だったが、随分と親切で、まるで検索機のように針灸書の在庫を熟知していて、少し感動した。内経は上下巻400元で、こりゃ高いなと思ったが、何故か上下セットだと半額で買えた。自分用のも欲しかったが、1セットしかなかった。今度北京へ行ったら探してみよう。おそらく日本では、買う鍼灸師などいないだろうから、今後半世紀経っても流通しないだろうと思う。

 

上海書城では前から欲しかった中薬大辞典も上下巻セットで、縮小版を安く買えた。オカマ店員は「縮小版は大きいのと中身が同じで安いからお勧めヨ」と言っていた。内経は高かったから、師匠には代金を請求しようと思っていたが、帰国後に「お土産は内経だけで十分です」とメールがきた。ちなみに師匠には最高級の獅峰龍井茶をお土産として渡す予定だったが、結局お土産は内経と龍井茶になった。まぁ師匠にはお世話になったから、仕方ない。きっと師匠に出逢わなかったら、私は中国語の出来ない浅針専門のアホ鍼灸師で終わっていただろう。

 

友人S氏が連れて行ってくれた、外灘のビルマ料理(雲南料理)の店や鼎王无老锅という台湾火鍋の店では、普段御目にかかれぬ美食を大いに堪能出来て、良い思い出になった。ビルマ(Burma)と言うと旧国名だから知らない人も多かろうが、間違ってもロリコンが好きなブルマを想像してはいけない。画像の春巻きは未知の味で、本当に美味しかった。

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千葉にあるのに東京と言うディズニーランドには1回行って飽きてしまったが、上海ディズニーランドはまた来たいと思った。とにかくカリブの海賊パイレーツ・オブ・カリビアン)が面白かった。ちなみに、日本の某ウェブサイトでは「チケットはネットで事前購入しておいた方が早く入園出来て良い」とのことだったが、実際には大嘘で、現地の窓口で買った方が瞬時に入れるような具合だった。

 

ネットでチケットを事前購入していても、結局は奥の窓口で正規チケットに引換えなければならないのだが、常時空いている窓口が3~4つしかなく、常に中国人客がトラぶって窓口を塞ぎ、行列が出来ている様子だった。チケットを現地で買うなら金を出すだけで良いのだが、中国人の予約客は、「予約した」とか「予約されてない」とかでトラブルになっていたようで、欧米人と日本人がスムーズにチケット交換出来ないというのが現状のようだ。

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不眠と針灸

昔から酷く疲れると、眠れなくなることがある。20歳を過ぎてから約10年間、完全夜型の不摂生な生活を続けていたことや、遺伝的に筋肉が凝りやすいことなどが少なからず影響しているのだろう。 

 

確かに北京堂で師匠に施術してもらったり、自分で自分に鍼灸を施すようになってからは何もしていなかった頃に比べて心身の状態も良く、QOLは断然に上がっている。しかし今でも疲労が重なると、途端に眠りの質が落ちる傾向にある。昔、NIRVANAKurt Cobainが「毎日背中が痛くて、疲れているのに眠れない」と語っていたように、背中の痛みと不眠は大いに関係している。

 

もちろん仕事が第一だから、普段から食生活に気を付けたり、体調管理には人一倍気を使っているつもりだ。しかし私も所詮は凡人だから、全てを完璧にこなせているわけではない。とは言っても、酒もタバコもやらないし、適度に運動もしているし、食事の改善や鍼灸のおかげもあってか、ここ10年くらいは大きく体調を崩したことがない。鍼灸師になって以来、病気で仕事を休んだことは一度もない。多くの患者をみるようになってから、術者として己の体調を可能な限り管理することは最低限の責務だと考えているから、他の鍼灸師のように飲み会で群れることもなくなった。そもそも酒を飲むことも、集団で集まることも、あまり好きではない。

 

他人の不眠を治すことは比較的簡単だ。とりあえず、背中に鍼を刺してやれば良い。本当は首や頭部にも刺鍼すると効果的だが、何せ鍼はちゃんと刺すと痛いし、凝りが強ければ刺鍼時の痛みも増すから、特に痛がるような人には脊際に20~40本くらい、30~40分程度置針するだけでも良い。人によっては、どこへ刺鍼しても、施術当日はぐっすり眠れるようになるから、特に凝りが強いような、いわば阿是穴だけを狙って刺すのも良い。

 

私はいつも背中の真ん中あたりが凝りやすい。棘下筋や大腰筋あたりは自分で刺せても、背中の脊際あたりは手が届かず刺せないから、下肢に10~15本くらい置針して前腕に台座灸をするくらいしか出来ないが、それでも抜鍼後はすぐに快眠出来る。しかし根本的には背中が凝っているのが原因だから、背中の筋肉をゆるめなければ、またすぐに不眠が再発してしまう。

 

一般的に、中国語で「不眠症」は失眠(shimian)と言うが、中医学では失眠のほかに不寐(bumei、難経四十六難)、不得卧(budewo、霊枢大惑論第八十)、不得眠(budemian、金匮要略)、不能眠(bunengmian)などという呼称があり、その原因は多岐にわたるとされる。

 

例えば、思慮過度、内傷心脾、気鬱化火(气郁化火)、擾動心神(扰动心神)、肝胃不和、痰熱内擾、陰虚火旺、心腎不交、心脾両虚などである。これらの多くは肝気や心気の乱れによって起こるとも言われている。

 

まぁ現代医学的にみれば、自律神経の神経根付近の筋肉が凝って、自律神経のオンオフが不安定になり、交感神経が優位になり続けてしまうことに原因があるのだろうと思う。つまり、布団に入って「さて寝るか」と脳が体に命令しても、交感神経のスイッチがオフにならず、ずっと体内の電灯が点きっぱなしになっているような状態が「不能眠」な状態と言えるのかもしれない。

 

人はストレスなどによって過緊張が続くと、重心が上半身で固着しがちになり、普段から首や肩の力を自発的に抜きにくくなる。気が付くと肩が怒っていた、というような状態だ。また、常にイライラしているような人は胸式呼吸がメインになっていて、傍からみても呼吸が浅く、乱れていることが多く、近くにいる他人をもイライラさせるような雰囲気を醸し出している。それゆえ常時、上背部の筋肉が強く凝っていて、自律神経系に異常を来しやすいようだ。

 

不眠症鍼灸と言えば、日本では失眠への多壮灸が有名だ。しかし、これは全く効かないケースが多いように思えてならない。むしろ、効いたケースをみたことがない。日本には「失眠へ灸をしなさい!それだけで眠れるはずじゃ!」なんて叫ぶオエライ鍼灸師がいるけれども、『ファティマ第3の秘密』的な奇跡でも起こらない限り、効果は実感出来ないかもしれない。

 

ちなみに日本ではこれ以外の有名な针灸技术方法を聞かない。そもそも、米粒大のもぐさをひねって左右の失眠へ100壮すえるとか、「眠くなるまで灸をすえろ!」と言うのは、全くもって現実的ではない。これでは施灸の効果云々より、施灸の疲労で眠くなるとか、逆に疲労感が増すとか、眼が冴えて余計に眠れなくなるとかいう感じになるのが実態かもしれない。

 

だいたい米粒大のもぐさを沢山据えるなんて、鍼灸師でさえ麻烦なことなのに、不眠症で意識が冴えない素人には尚更面倒なことだろうと思う。むしろ、もぐさを沢山ひねらなければならぬストレスで、不眠がひどくなりそうだ。鍼灸師にやってもらうならまだマシかもしれないが、他に簡単かつ確実に効果がでやすい刺鍼法があるのだから、わざわざ「灸は効かせるものだ!」なんて騒いで、施灸のみにこだわり続ける必要はないと思う。何でもかんでも灸で解決しようなんてのは、現代中医からみたら失笑されそうなレベルの話であって、もはや針と灸をうまく使い分けたり、それらをより効果的に併用するなんてことは、議論するまでもない、当然のことだろうと思う。

 

松江にいた頃、近所に「何でも灸で治すけん!」と自称するジジイがいた。そのジジイは癌を治すと評判だったが、とにかくどんな病気でも灸だけで治すと患者から伝え聞いていた。で、評判を聞きつけた坐骨神経痛の患者が灸をすえてもらいに行ったらしいのだが、数回施術を受けたものの、全く変化がみられなかったそうだ。その後、腰部と臀部に100円玉大の有痕灸を10~20か所すえられて、ものすごい熱さに耐えてみたものの、皮膚に一生モノの大きな灸痕を残すだけで、治らなかった、と訴える患者が何人もうちへ来院した。灸痕が可哀想なほどひどく残っていた。

 

そもそも、坐骨神経痛は大腰筋が強く萎縮して腰椎への張力、圧力が増大することや、梨状筋が神経を絞扼することなどに原因があるケースが多いのだから、灸で表面だけを温めても筋肉がゆるまず、効果は得難い。癌治療の一環として、蛋白変性を目的とする施灸ならそれでも効果はあるだろうが、神経痛ならばほとんどのケースで針を刺さないと効果は見込めない。結局、坐骨神経痛の患者はうちで数回針を打って完治した。

 

基本的にどんな病態でも、灸よりも針が効くケースが断然に多いから、鍼灸院では針をメインに施術してもらい、自宅で補助的に施灸するのなら良いと思う。ちなみに、灸は熱ければ熱いほど効くと信じていて、皮膚をこれでもかと言うほど焼く人がいるけれども、蛋白変性による効果を必要としなければ、痕が残るほど火傷させる必要はない。むしろ、糖尿病患者や易感染傾向にある患者のように、皮膚を焼いてはいけない病態や疾患も色々あるから、何でもかんでもすぐに皮膚を焼くような鍼灸師は信用しない方が良いかもしれない。

 

一方、中国には様々な不眠の針灸治療がある。確かに効かない治療もあるが、日本鍼灸界に比べると遥かにバリエーションが多い。「失眠」と言う言葉は中国語で不眠症の意味があるから、もちろんこのツボを使うことも多々あるけれど、主に背中に様々な灸法を試みることが多い。とにかく中国には様々な灸法がある。例えば患者をベッドに寝かせ、砂浜で砂浴させるように、もぐさと漢方薬で全身を包んで蒸したり、皮膚に保護布を敷いてから、大椎から仙骨あたりまでの脊際に仕切り板を置いて、その中に大量のもぐさと漢方薬をぶち込んで火をつけたり、下肢に巻きつけたバスタオルにアルコールランプ用のアルコールを大量にぶちまけて火をつけたりと、灸法と呼べるのかと疑うような過激な灸法も珍しくない。背中には背部脊柱灸盒と呼ばれる蓋付き箱型の温灸を当てるマイルドなやり方もある。ちなみに、バケツ数杯くらいに大量のもぐさを使う時は、煙が沢山出るから、施術者はゴーグルとマスクを着用する必要がある。おそらく煙が大量に出るから、自宅でやったら周辺住民に火事だと勘違いされて通報されるかもしれない。スプリンクラーが設置されている室内なら水浴びが出来るだろう。

 

また、神庭と本神へ刺鍼する三神針や、四神聡を進化させた靳三针の四神針などが精神や自律神経の安定に効果があるとして、不眠治療に用いられたりしている。もちろん、弁証的に肝気や心気を整えるようなツボへ刺鍼したり、例えば「単穴针灸治急症(人民衛生出版社)」という本には弁証によって神門、豊隆、後溪、照海の何れか1穴を使って治療する、という新しそうで昔ながらの方法もある。ちなみにこの本は2015年に出版された本で、山東省徳州市の苗子庆という苗族と誤解されそうな名前の中医師が書いたものだけれど、中々面白い本だ。柳谷素霊のプレミア付きの本を買うより、32元出してこの本を買った方がお得かもしれない。

 

他に奇抜な刺鍼法では、太さ0.5mmくらいの毫針で舌先(中医学で心気の状態が現れるとされる部位)へ即刺即抜を何度も繰り返す、というやり方もある。ちなみに、これは自分にやってみたが、激痛なだけで効かなかった。まぁ心気が亢進しているような、舌先に熱症状が現れているような人には効くのかもしれないが、あまりにも痛いからお勧め出来ない。さらに、脊際に沿って火針でブスブスと、ひたすら皮膚が赤くなるまで刺すという熱痛そうな刺鍼法もある。これは主に湿邪が溜まっているような人に使うが、痕が残るからあまり宜しくない。他にも刮痧や拨罐を用いた方法もあるが、これらも皮膚にエグいくらいのダメージを与える割に効果がずば抜けているわけではないから、おすすめ出来ない。

 

私は自分が眠れぬ時、夜中に自分の体へ刺鍼することがあるのだが、座位でやることもあって、腓骨筋や前脛骨筋、太衝、足三里、三陰交あたりに刺鍼することが多い。これで前腕のツボに少し台座灸をするだけでも良く眠れる。中国では足三里に毎日灸を据えると100歳以上まで寿命が延びるとか、実際に万病を治すと言って足三里だけに灸痕が残るほど強めの生姜灸をする中医師もいるくらいだが、確かに足三里は不眠にも効きそうなツボだと思う。

 

ちなみに、TVなんかではオエライ医者が「カルシウムは神経の興奮を鎮めますから、眠れない時は牛乳を飲みましょう」なんて発言することがあるが、就寝前に牛乳を飲むと血中カルシウム濃度が上昇するから、就寝中に結石が出来やすくなると言われている。最近は医学の専門家であるはずの医者が医学的に可笑しいことを公言するもんだから、病気になる人が増えて困ったことになる。まぁ確かに医者は病人が来ないと食っていけないから、あえてそういうことを言うのかもしれない。客が来なくて困った自転車屋が、近くに停めてある自転車のタイヤを片っ端からパンクさせて儲けた、という事件と似たようなものかもしれない。

 

とりあえず、不眠症には背中の筋肉をゆるめることが最も効果的であることが多いから、別に針をせずとも、ヨガやストレッチング、体操、ストレッチボールなどで背中を伸ばしたり、赤外線や温泉で背中を温めるのも良いとは思う。それらを日常的にやっていれば、再発の予防にもなるだろう。しかし仕事であまりにも疲れている人は、仕事が終わって帰宅したら何もやる気がせず、飯食ってバタンキューであろうから、体操をしたり、湯船に浸かる気力もないかもしれない。それに筋肉は凝り過ぎると体操しても温めても、どうにもならぬ様相を呈することがあるから、そんな時は針を刺すしかない。

 

台座灸なら自宅でも比較的やりやすいかもしれないが、誤って火傷するまで焼いてしまう人もいるだろうから、慣れるまでは難しいかもしれない。何より、火事の危険性もある。(灸法はこちらをご参照下さい→家庭で出来る灸治療 of 東京つばめ鍼灸

 

そうなると、ある程度筋肉がゆるむまでは、週1回くらいのペースで、しばらく鍼灸院で鍼を打ってもらうのが楽かつ効果的だと思うが、何せ鍼は痛いのと、下手くそが打つと肺に当たって気胸になる可能性もあるから、中々万人に勧められるものではない。

 

 

 

無慈悲なピーポ

久々に師匠に針を打ってもらうため、師匠ハウス(小菅の北京堂)へ行ってきた。もう何年も針を打ってもらっていないから、背中がかなり凝っていた。

 

9:30の予約だったから、遅れないように7:30に家を出た。渋滞が無ければ45分くらいで到着するが、朝はどのルートで行ってもラッシュは避けられぬから、最低でも2時間前に出ないと間に合わない。

 

甲州街道はいつも通り高井戸の交差点で渋滞していたが、何とか40分くらいで永福町を通過して、首都高に入ることが出来た。幸い首都高は空いていて、C2(環状2号線)から千住新橋まではガラガラだった。今は小菅ジャンクション付近の4車線化工事の真っ最中だから、北京堂最寄りの小菅出口は封鎖されていて出られなくなっている。

 

そもそも、神田橋から6号線を抜けて小菅へ行くルートは、C2ルートとは対照的に元々湿地帯だった場所で震災の時に崩落しないとも限らないし、何より交通量が多くて、特に小菅出口手前での車線変更がリスキーだから、C2ルートで地下を抜けてゆく方が安心感がある。

 

小菅には9:00前に到着した。早く着き過ぎるのも迷惑だろうと思い、北京堂近くのコモディイイダというスーパーで時間をつぶすことにした。

 

2Fの駐車場に車を止め、1Fの入口へ降りると、地元民らしき人々が今か今かと開店するのを待っている姿が見えた。

 

店員が自動ドアのロックを外すと、地元民が我先にと水汲みスポットへ駈け出した。どうやら、開店早々に水をもらいに来たらしい。

 

とりあえず、店内を徘徊したあと、自宅用のスリッパを2つ買って、師匠ハウスへ行くことにした。スリッパが島根なみに安くて、少し感動した。

 

9:00の予約が入っていなかったから、一番乗りだった。1Fのベッドで施術してもらうことになった。同伴していた嫁に刺鍼中の動画を撮ってもらっていたが、撮影中におかんから電話がきたため、一旦撮影を中止せねばならなかった。師匠は手を止めないもんだから、一部動画を撮り損ねてしまった。

 

おかんはこの日の前日に、渋谷のオーチャードホールで某歌手のコンサートを観ていたらしいのだが、ライブ中、突然天皇陛下が現れて、自分のすぐ近くに座ったもんだから、その興奮を誰かしらに伝えたいらしかった。 f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150057j:plain

 

与太話をしながら針を刺してもらっていると、鍼灸師のFさんが出勤してきた。最近は毎日のように見学しに来ているらしい。まことに誠実そうな人だ。師匠は鍼を刺し終えると、2Fへ上がって次の患者の治療を始めた。天井からドスドスと慌ただしく歩き回る音が聞こえたが、それほど気にならなかった。

 

10:30からは私も見学させてもらう予定だったので、30分くらいの留針で抜いてもらうことにした。とにかく三角筋への刺鍼が痛過ぎた。久々に刺鍼したこともあり、抜鍼後はしばらく動けなかったが、何とか気合で起き上がり、白衣を着て2Fに上がった。

 

2Fの患者の施術が終わると、今度は1Fに患者が来た。肩周りが異常に硬い患者で、刺鍼される度に悲鳴を上げていたが、患者が悲鳴を上げる度に、師匠はニタニタしていた。

 

午前中、最後の患者の施術が終わると、師匠は冷凍庫からおもむろに「モナ王」を箱ごと取り出し、「あんたらもせっかく来たんだから、良いものをあげましょう」と言って、アイスを1つずつ差し出した。師匠はFさんにも「あんたも食べる?」と言ったが、Fさんは「僕はいいです」と答えたため、師匠は「あっそ」と言った。

 

こういう時は、喜んでアイスを頂戴するのが北京堂の弟子の流儀である。「空きっ腹にいきなりアイスを食べたら血糖値が急上昇して危険だろう」など野暮なことを考えて、師匠の好意を拒否してはいけない。アイスを食べながら、しばし与太話をしたあと、帰ることにした。

 

外の気温はすでに30℃を軽く超えていて、日差しがジリジリと地面に照りつけていた。車に乗り、千住新橋を渡って、久しぶりに上野でブラブラしてから帰ることにした。浅草に行っても良かったが、最近の浅草ランチは暴利を貪っている感じがあるため、あまり昼時に行きたいと思わない。

 

上野に車で来た場合、上野公園下の京成上野駅駐車場に止めるのが無難だ。出入りしやすいし、丸井やヨドバシカメラで商品をなんぼか購入すると、最大2時間まで無料になる。

 

本当は恐竜展を観に行こうかと思っていたが、すでに終了しており、観たい展示がなかったので、駅前を徘徊することにした。

 

12時を回っていたので、先にランチを食べることにした。とりあえず、駐車場と提携している丸井で食べることにした。

 

食事を終えて外へ出ると、田中真紀子氏が演説していた。どうやら選挙に出馬する夫の応援らしい。田中真紀子氏は小柄なお婆さんという感じだった。テレビで観るより小さく観えた、というのはよくあることだ。大して興味が無かったので、アメ横をブラブラすることにした。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150125j:plain

 

アメ横ですれ違う人の8割以上が中国人と白人、という感じだった。最近は成金タイプの爆買い中国人が減った代わりに、ミドル層の中国人が増えているらしいが、確かにそんな風貌の中国人が多く歩いていた。

 

中高生の頃、アメ横にはよく来ていたが、あの頃の客層とは随分違ってきているように感じた。あの当時はアメ横のあちらこちらに、黒人やら中東系の外国人がうろついていて、束になった偽造テレホンカードをペラペラめくりながら近寄って来ては、「10マイ1000エンダヨ!」と耳元でささやいて、購入を迫ってきたりして、やかましかった。その当時はまだ携帯電話なんて普及しておらず、ポケットベルが大流行していた時代だったから、金の無い中高生はアヤシイ繁華街の片隅で偽造テレホンカードを購入しては、公衆電話を使って、大して内容のないメッセージをやり取りしていたものだった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150302j:plain

 

当時はスマホなんて便利なものは想像出来なかったが、本当に科学技術というものは日進月歩で、あと20年も経ったら、iPhoneなんて化石に等しいくらいガラパゴス的な存在になっているかもしれない。

 

20年前のアメ横と言えば偽造テレホンカードのほかに、中田商店のイメージが強い。中田商店は今もアメ横に健在の、マニアにはよく知られたミリタリーショップだ。私が中学生の頃は、何故か米軍のフライトジャケットが大流行していて、みな質の良いMA-1を羽織ることに憧れていたから、なけなしの金を握りしめては、中田商店へ行ったものだった。中田商店には米軍払い下げ、モノホンの軍モノが並べられていたから、涎を垂らして通い詰めるマニアも少なくなかった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150339j:plain

 

中田商店近くには、中国式に、カットしたフルーツを割りばしに刺して売っている店があった。北京でも夏になると、路上の屋台で長細くカットしたハミウリなんかを、串刺しにして売っている。ここでもスイカやメロン、パイナップルを串刺しにして売っていた。主に中国人が喜んで買っているようだった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150328j:plain

 

しばらく歩くと、ケバブ―を売っている店が見えた。ケバブ―の店は原宿と秋葉原で見た以来だ。トルコ人らしき男の店員が店頭に2人立っていて、店の前を通りかかる人を強引に引き込もうとしていた。「ケバブ、タベヨウヨ」などと馴れ馴れしい日本語で通行人を塞ぐように営業するもんだから、大抵の人は嫌がって近寄らないようだった。

 

ケバブの隣は中国人が経営するいわば小吃(軽食)な店で、店頭では揚げたての油条を売っていた。油条はいわば揚げパンみたいなもので、日本の揚げパンとはちょっと違うが、中国ではメジャーな軽食である。よく朝っぱらからこんな脂っこいもん食べるな、と思うが、北京では朝食で食べる人も少なくない。

 

東京では珍しいから、思わず「油条だ」と中国語でつぶやくと、店頭で客引きしていた中国人のオバハンが、「おいしいよ。中で座って食べてって」と中国語で話しかけてきた。昼食を食べたばかりだったので、断ることにした。何となく店にカメラを向けると、店頭のオバハンは笑顔でおどけたポーズをとった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150351j:plain

 

少し歩くと、仮面を売っている店があった。アメ横は通りを外れると途端に人気が失せる。ガード下には年季の入った小さな店が密集していたが、どうやら全面改装するのか、ほとんどの店が養生シートで覆われていた。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150402j:plain

 

御徒町まで行くのは面倒なので、Uターンして上野駅方面へ戻ることにした。再びガード下でウロウロしていると、突然、見知らぬオバハンが片言の日本語で「スイマセン」と声をかけてきた。

 

どうやら中国人観光客らしい。オバハンは中華製スマホの画面を私の方に向け、何やら日本語をしゃべろうとしているように見えたが、勉強不足なのか、それ以上、言いたい日本語が出てこない様子だった。

 

画面を見ると「百货公司」とだけ表示されていて、スマホの辞書アプリを使って表示したらしいが、日本語は表示されていないかった。私が「baihuo gongsi」と中国語で読み上げると、オバハン3人は声をそろえて「哎!」と叫んだ。日本語しか通じないと思っていた人間が、予想外にもいきなり中国語をしゃべったから、喜びつつもビックリしたらしい。

 

そもそも「百货公司」の「公司」は「~会社」の意味だと覚えていたし、「デパート」に該当する中国語は「百货商店」か「 百货大楼」のはずだろうと一瞬戸惑った。しかし、どうみても観光客らしきラフな格好をしたオバハン達が、これから何某かの会社を訪問するような雰囲気でもなかったから、きっと「百货公司」は「デパート」の意味だろうと判断して、スマホの画面を指さしながら「ここへ行きたいんですか?」と中国語で聞いてみた。

 

すると、スマホを差し出したオバハンが嬉しそうにうなずきながら、スマホを指さして「Go!Go!」とわけのわからぬ英語をしゃべるので、「この付近にデパートは無いですよ」と中国語で答えると、オバハン達が「谢谢」と言って会話が終了した。

 

そういえば、さっき行ったばかりの丸井がデパートみたいなもんだな、などと思いついたりしたが、丸井は基本的に若者向けだから、あの中年中国人の好みでは無いかもしれないな、などと勝手に判断した。

 

あまりにも暑いので、上野公園入口付近のビルにある、タリーズコーヒーへ行くことにした。嫁はタピオカ入りの冷たいミルクティーを飲みたいと言った。どうやらこのビルは最近出来たようだが、確かここには上野土産で有名な饅頭屋があったはずだ。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150426j:plain

 

タリーズコーヒーは満席だったので、しかたなくテイクアウトして、再び街を徘徊することにした。何となく、さっき見かけた中華系軽食店にあった煎饼が気になっていたので、買いに行くことにした。煎饼は北京の屋台でよく見かけるファストフードだが、北京では衛生的に危なそうな雰囲気が多かったから、これまで食べたことがなかったのだ。で、話のネタにするため、一度は食べてみようと思った。

 

店の前にはさっきと違う中国人のオバハンが立っていて、「煎饼果子を1つ下さい」と中国語で言うと、「ここで食べるか、持ち帰りか?」と聞いてきた。すかさず私が「带走,带走(持ち帰り)」と答えると、オバハンは厨房に向かって「煎饼果子一个,打抱!」と叫んだ。オバハンに300円を渡すと、オバハンはニコニコしながら「あんたら日本人?」と中国語で言い、椅子を差し出して、座って待つよう促してきた。店の奥では、中国人らしき先客が豆乳を飲んでいた。中国人は本当に豆乳が好きだな、と思った。

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改めてメニューを眺めると、あやしい日本語が書かれていることに気が付いた。メニューには「煎饼果子(菓子入り焼き餅)」と書かれていたのだ。「煎饼」は日本語的に読めば「せんべい」だが、中国語の「煎饼」はせんべいでもなければ餅でもない。「果子」は本来は「馃子」の意味で、油条や焦圈儿などの揚げパンを意味する。しかし「果子」は古い中国語では菓子を意味するらしいから、「揚げパンを挟んだ中華風クレープ」と訳すべきところを、誤って「菓子入り焼き餅」と訳してしまっていたようだった。「菓子入り焼き餅」と言ったら、日本人はアツアツのお餅の中に、アンコやぷっちょなんかが入っていると思うに違いない。これは中国人にありがちな誤訳だ、と思った。

 

5分くらいして商品が出てきた。小麦粉と刻みネギ、卵を混ぜて焼いた生地に、甜麺醤を少し塗って、レタスと油条を挟んだだけの煎饼だった。菓子など微塵も入っていなかった。

 

南方発祥の軽食らしく、甜麺醤が甘すぎて、私の嗜好には合わない感じだった。きっと甘くない北京の煎饼だったら口に合うかもしれないな、と思った。とにかく、菓子なんて入っていないから、「菓子入り焼き餅」だと思って食べた日本人は、「なんじゃこりゃあヾ(*`Д´)ノ!」と発狂するかもしれない。

 

中華系軽食店に別れを告げ、再び来た道を戻ると、中国人との会話を盗み聞きしていたらしきケバブ売りのトルコ人が、我々に向かって「ケバブ、ハオチー、ハオチー」と慣れ慣れしく話しかけてきた。どうやら私が中国語を話していたから、我々を中国人だと思ったらしい。トルコ人には中国人と日本人の見分けがつかぬのだろう。今度、機会があったらケバブを買ってあげよう。

 

アメ横を抜けて、上野公園へ行くことにした。身長に比して明らかに顔がデカすぎる西郷さんの銅像を見つつ、寛永寺へ向かった。昔は、このあたりにホームレスが沢山いたものだが、今も似たような人がチラホラいた。

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寛永寺へ行き、月の松を見た。広重が描いた松とは大違いで残念だったが、まぁ趣があって良かった。寛永寺徳川家康が天海という謎多き坊主に作らせた、鬼門封じの寺としてマニアには有名だ。江戸城から見て表鬼門、丑寅の方角に位置していて、江戸を守る結界を張るための重要な寺だったと言われている。江戸城、つまりは今の皇居の表鬼門に位置するスカイツリーと、裏鬼門に位置する東京タワーは、東京の結界を破るために秘密結社の陰謀によって建設されたとまことしやかに囁かれているが、真実はどうなのだろう。確かに、あんな電波塔があの2か所にあるのは不可解だ。荒俣宏の本を愛読していた青春時代の私なら、きっと将門の怨念だとか、わけのわからぬことを想像してしまいそうだが、きっと庶民には将来も真相などわからぬだろうと思う。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150455j:plain

 

寛永寺をお参りした後は不忍池へ行って、弁天堂へお参りすることにした。嫁と参道を歩いていると、大胆にも素手でたこ焼きを食べている白人家族がいた。このあたりは何故か中国人よりも白人が多かった。みな一眼レフを首からぶら下げて、写真を撮っていた。 f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150518j:plain

 

お堂の横にある休憩所では、観光客らしき白人少女2人が、小さな亀を片手にスマホで写真を撮っていた。どうやら、地元民らしきジジイが、自分が飼っている亀を連れてきて、観光客が座るテーブルに放して、遊んでいるようだった。老若男女が集う境内で、可愛げなteenagerばかりを相手に亀を放している様子は、どうも猥褻な感じと言うか、スケベな感じがしたが、もしかしたら私の豊かな想像力が暴走しているだけかもしれぬから、放置することにした。 f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150528j:plain

 

その後はしばらく、池の中にチョコチョコ咲いている蓮の花を眺めたりしていたが、あまりにも暑いので、帰宅することにした。  

 

自宅へ帰る途中、新宿通りでピーポ君とピー子を見つけたので、ここぞとばかりに、記念撮影しようということになった。早速、交差点を左折し、新宿2丁目付近の「男性マッサージ専門」という怪しげな看板を掲げた店の近くのコインパーキングに車を止め、急ぎ足で交差点へ向かった。

 

しかし、ピーポ君とピー子の「中の人」の勤務時間は17時までらしく、通りかかった時は16時50分くらいだったが、無慈悲にも2匹は交番に吸い込まれるように消えてしまって、記念撮影は出来なかった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150548j:plain