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インチョーのブログ(表)( ´∀`)

「東京つばめ鍼灸」インチョーの独り言ブログ。「南北相法」の翻訳ページはこちら→http://www.varianttuning.com/index.html

微信钱包

ここ最近、北朝鮮のミサイルをアメリカが迎撃するとか、北朝鮮がアメリカ本土を核攻撃するとかいう物騒なニュースが流れている。そうなれば今後、中国の情勢も激しい展開になる可能性もあるわけで、中国へ行かずに中国の針灸用具やら針灸・中医関係の本を入手する方法を考えた。

 

北京の針灸用具店の老板とはすでに顔見知りで、ここ最近は微信(ウェイシン、WeChat)を使って連絡を取り合っている。微信というのはLINEやBBMみたいなSNSの1つで、中国で最も利用されているメールサービスだ。特に中国では微信上で使える微信钱包(WeChat Pay、ウェイシンウォレット)と呼ばれる送金・決済サービスが流行っていて、中国都市部の若者は現金を持ち歩かない傾向にあるらしい。

 

北京市内でも微信支付(微信での支払い)が可能な店が増加しており、タクシーでも微信支付の利用が可能であるし、地下鉄やバスでの移動は一卡通や交通卡などのICカードを持っていれば事足りるから、年代に関わらず、現金を持つ必要性が少なくなってきている。

 

日本ではこれまで、「NFCおサイフケータイ)」やら「FeliCaフェリカ)」なんかが世に出てきたわけだが、どれも鳴かず飛ばずで、最近になって「Apple Pay(アップルペイ)」なんてのが出てきたけれども、私はこれもあまり普及しないのではなかろうかと予想している。

 

中国で電子マネーが大きく台頭できた1つの要因として、やはり紙幣のセキュリティレベルが日本よりも低いことや、未だ紙幣の偽造集団がわんさか存在することがあるのだろうと思う。中国では2015年からRMBの新券が発行され、これまでよりは紙幣のセキュリティレベルは上がったと言えども、街中にはまだまだ沢山の旧札が流通しているわけで、個人商店においても偽札鑑定機が手放せないのが現状だ。

 

紙幣への信用度が低い中国で電子マネーが発達するのは当然の理であって、偽札の心配が少なく、電子マネーのセキュリティに対する不信感が根強い日本においては電子マネーを使うメリットが中国ほど大きくない。ゆえに今後も日本では、微信钱包みたいな便利なモノがあっても流行り難いのかもしれない。

 

そんなわけで、人生の大半を日本で過ごしている私にとって微信钱包なんて必要のない代物だったのだけれども、「微信で支払ってくれないと通販できない」と北京の針灸用具店の老板に言われたので、止むを得ず微信钱包を使えるようにしなければならなくなった。

 

微信钱包を使うためには、中国国内で微信钱包に対応している銀行口座を開設しなければならない。また、旅行者が銀行口座を開設するためには、中国国内で使える電話番号と、パスポートが必要になる。中国でも年々銀行口座を開設することが困難になっているそうだが、日本に比べると今のところは外国人でも開設しやすいようだ。ちなみに、中国の銀行は口座開設時に印鑑が要らない。それと、日本と違って通帳を発行しない銀行が増えているようだ。

 

基本的には短期滞在の旅行者であっても、パスポートと中国国内で使用できる電話番号を用意しておけば、口座開設は可能だ。あとは中国語の語学力が必要だが、北京の王府井や上海の外灘など、外国人が多い都市部であれば、行員が英語を話せることが多いし、外国人の対応にも慣れているだろうから、地方に比べて口座開設は容易いかもしれない。

 

先月からhuaweiのスマホを使っているが、huaweiは中華製であるから、中国で買ったSIMを差し込めば通話は可能だろうと考えていた。で、今回は灯市口駅が最寄の北京丽亭酒店というホテルに泊まっていたから、ホテルから歩いてすぐ近くにあるhuaweiの支店で、SIMを購入出来るか聞いてみることにした。ちなみに、中国語ではSIMのことを「SIM卡」とか「手机卡」と言う。东四南大街と金鱼胡同の交差点にある店だからすぐに見つけられた。

 

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店内に入り、これこれこういうわけでSIMが欲しいが、日本で買ったhuaweiでも中国で使えるか?と店員に聞くと、店員は面倒くさそうにして、隣の店へ行け、と言った。huaweiの直営店のくせに、アップルの店員に比べるとかなり酷い対応だった。

 

隣にも携帯電話屋があり、再び同じ質問をすると、店の中にいた店員が全員寄ってきて、おそらく日本で買ったhuaweiだと中国のSIMを差しても使えぬのではないか、と議論し始めた。しばらく店員は話し合っていたが、どうにもならぬと判断したのか、通りの向こう側にある建物を指さして、「中国联通へ行け」と言った。どこにあるのかわからぬから私が「どこだ」と言うと、店員は「紅色(赤色)の看板のところだ」と言ったが、指さす方向にはオレンジの看板しかなかった。

 

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 おかしいなと思って私がキョロキョロしていると、痺れを切らした若い女性店員が「オーレンジ!」と下手くそな英語で叫んだ。最初から中国語でオレンジ色と言えばいいだろうが、と思ったが、とりあえず店員の言っている場所がわかったので、そこへ行くことにした。もしかしたら中国でも、橙色を赤色と言ったり、緑色を青色と言うことがあるのかもしれない。日本でも青信号を緑だと言う人がいるのと同じ理屈なのだろうか、と思った。

 

中国联通は中国政府が作った会社だ。日本で言うところのドコモやKDDIみたいな電話会社で、ここへ行けば外国人でも中国国内で携帯電話を使えるようになるとのことだった。

 

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中国联通の入り口をくぐり、薄暗い売り場を徘徊していた店員に要件を告げると、そこの受付へ行けと言われ、整理券を渡された。私の前には6人の客が待っていたが、半分くらいは外国人だった。ベンチに座り、こびととミレービスケットを食いながら15分くらい待っていると、ついに私の番号が呼ばれた。基本的に中国ではどこで何を食っていても文句は言われないから、気が楽だ。

 

事前に私の目の前で手続きをしていた初老の白人男性を見て手順を確認していたから、手続きは比較的容易いだろうと予想した。受付のオバハンは無愛想だったが案外親切で、まずは私が持っているhuaweiが使えるかどうか「ちょっと試してみよう」と言った。オバハンは自分のi-phone6からSIMを抜き出し、それを私のスマホに差し込んでくれた。私のスマホは操作画面が日本語になっていたから、オバハンは操作方法がわからぬと言って、私にスマホをつき返した。

 

機内モードになっていたために通信できぬようで、機内モードをオフにすると、すぐにチャイナユニコムの電波に切り替わった。さっきの店の店員は使えぬと言っていたが、どうやらSIMさえ用意すれば使えるようだった。

 

huaweiはデュアルSIM対応だから、日本のSIMを差し込んだまま中国のSIMも使えるようになっている。これでSDカードも差し込んだままに出来れば便利だと思うが、残念ながら私のモデルはそういう仕様にはなっていない。とは言ってもi-phoneに比べたら融通が利いて遥かに使いやすい。

 

中国のSIMはプリペイド式であるから、日本の電話会社のように高額請求が来ることもないから安心だ。電話番号はオバハンが提示した10個くらいの番号から、中国人風に縁起の良さそうな番号を選んだ。パケットサイズは一番小さいやつを選んだが、SIM代と手数料を含めて100元(約1600円)だった。これで電話が使えるなんて安いものだと少し感動した。手続きには20分くらいかかったが、とりあえずはパスポートを見せて、泊まっているホテルの住所を伝えるだけでSIMを入手することが出来た。契約時には開いたパスポートを自分の胸のあたりに掲示して、証明写真を撮られた。

 

翌日、王府井の中国銀行へ行くことにした。王府井の中国銀行は祝祭日を除き、個人向けの業務は毎日9:00~17:00まで行っているから非常に便利だ。日本の銀行と異なり、土日に行っても外貨両替や口座開設が可能だ。王府井には2か所に中国銀行があるが、金鱼胡同の交差点にある东安门支店のほうが空いていて良い。

 

しかし、王府井の2つの中国銀行へ行ってみたが、どちらの支店でも中国国内の会社に勤めているか、長期ビザがないと口座開設はできないと断られた。さすがに中国銀行はガードが厳しい様子だった。仕方がないので中国工商銀行中国建設銀行へ行こうと思ったが、日本へ帰る飛行機の時間が迫っていたため、比較的ヒマそうな建設銀行へ行くことにした。 

 

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建設銀行は王府井という一等地にあるにも関わらず、店内は閑散としていた。入口にいた女性店員に、「口座を開設したい。旅行で来ているだけだが可能か」と聞くと、店員は大そう嬉しそうに「没事,没事(大丈夫ですよ)」と言って、1枚の申し込み用紙を差し出すや否や、急かすようにして私を奥の窓口へ誘導した。門前払いを喰らわせた中国銀行とは真逆の対応だった。少しでも預貯金を増やして首位を狙いたい銀行にとっては、私のような旅行者であっても美味しいカモに見えるのだろう。この分だと工商銀行でも簡単に口座を開設できるかもしれない。

 

窓口には20代前半と思しき男性行員がヒマそうに座っていた。用紙には色々と記入しておかねばならなかったが、空欄のまま窓口に座っている行員に渡すと、頼んでもないのに自分のサイン欄以外はほとんど記入してくれた。

 

ちなみに、中国の銀行は日本と異なり、窓口には監獄の面会室にあるような透明のポリカーカーボネイド風の板が天井まで張られている。窓口に設置されたマイクと小さな小窓を使って、行員とやり取りするようになっている。きっと防犯のためであろうと思うが、日本の銀行がなぜこういうシステムにしないのかが謎だ。

 

行員に促されるままにパスポートを渡し、しばらく待っていると、自分の電話番号と泊まっているホテルの住所を聞かれた。その後は手元のモニターで記入事項に間違いがないかを確認したり、入出金の際に使う6桁の暗証番号を決めたりして、10分ほどで銀行カードを手渡された。日本の銀行で口座を開設した場合、後日自宅に銀行カードが送られてくるようになっているが、中国の銀行ではICチップが付いた空のカードがその場に用意してあって、客はその場でカードを受け取るという按配になっているらしい。とりあえず、ついでに窓口で手持ちの人民元をすべて貯金してもらった。

 

やっと用事が済んだ、さて帰るかと思って椅子から立ち上がろうとすると、行員は暴漢に襲われていた子羊を救った通りすがりの旅人に名前を請うかのような面持ちで、突然「请稍等!(ちょっとお待ちを!)」と叫んだ。何事かと思って再び椅子に腰掛けると、行員は隠し持っていた茶色の紙を1枚差出し、「この字の書き方を教えてくれ」と小声かつ恥ずかしそうに言った。便箋くらいの大きさの茶色の紙には、見慣れた日本語である平仮名とカタカナが五十音順に記されていた。しかし、よく見ると、「す」と「そ」の書き方が間違っていた。

 

仕方がないので紙に記された日本語を全て添削してやり、「す」の正しい書き方と、「そ」の2種類の書き方を教えてやった。すると行員はここぞとばかりに、今度は「ふ」の発音がわからないから教えてくれと言った。中国人は日常的に「fu」と「hu」の発音を使い分けているから、「ふ」がどちらの発音になるのかを理解し難いようだった。

 

そこで、心優しい私が窓口のマイクに向かって大きな声で、「あいうえおかきくけこ…」と発音してやると、行員は「ふ」の下に「hu」と書いた。私がマスクをしたままで発音したにも関わらず、fとhの発音を聞き分けることができるとは、耳の良い中国人だな、と感心した。慈愛に満ちた私は、頼まれてもいないのに、マイクに向かって大声で五十音を2回繰り返して発音した。

 

私が五十音を発音し終えると、行員は右手の親指を上に向け、少し引きつった顔で笑顔をつくりながら「谢谢(ありがとう)」と言った。私は人助けをしたもんだから、しばらく良い気分になった。きっと中国4大銀行の受付のマイクで五十音を大声で2回唱えたのは、後にも先にも私くらいなものだろう。きっとベンチに座って待っていたこびとは、この歴史的な光景を目の当たりにして、さぞや喜んでいるだろうと思い誇らしげに近寄ると、こびとは口を開けて居眠りしていた。とりあえず無事に口座を開設できたことは、府中の免許センターで苦労の末、バイクの大型免許を一発試験で取得した時と同じくらい嬉しかった。

 

ちなみに中国建設銀行は、2016年4月、中国共産党中央規律検査委員会によって、職務上の立場を利用して友人や家族に便宜を図るなど規律違反の疑いがあった行員が300人以上にのぼったとという件で、ニュースになっている。確かに、客に日本語を教えてもらうという行為も規律違反にあたるのかもしれない。きっと、あの行員は常にメモを隠し持っており、ヒマをみては業務中に日本語を勉強しつつ、いつかは日本へ行くことを夢想していたのであろう。まぁそうは言っても、親日であることに対して悪い感じはしない。

 

銀行口座を開設したあとは、微信に銀行口座を紐付けさせることで微信钱包の利用が可能になるわけだが、この設定には苦労した。何故ならGoogle Playで入手できる微信は中国本土のモノとは異なり、钱包(マイウォレット)が隠しコマンドになっているからだ。

 

钱包機能を有効にするためには言語設定を中文にするとか、アプリをダウンロードしなおすとか、登録してある電話番号を中国本土で使えるものに変更してみるとか、色々とネット上で騒がれている。しかし結局はどれもダメで、微信内ですでに钱包が有効になっている友人から送金してもらうしか手立てがないようだ。友人から1元でも送信してもらうと、自動的に銀行口座の紐付け画面に誘導されるから、その後ちゃんと紐付けが完了すれば钱包を使えるようになる。今回は友人S氏の助けを借りて、钱包を有効化することに成功した。

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華為

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先日、目黒と表参道へ行った。目黒はこびと(嫁)が好きないちごのパフェで有名な店があるとかで、どうせならブログのネタに実際のパフェがどんなもんか試してみようということになった。表参道はアッ〇ルの新作スマホを実際に見るためだった。 

 

目黒と言えば、芸能人やらセレブリティらが大勢住んでいるという中目黒付近が有名だ。目黒駅には初めて降り立ったものの、凡庸な東京のJR駅という雰囲気ゆえか、特に感動は無かった。 

 

カフェへ行く前に昼飯を食べておこうということになった。駅前を見回してみたが、あまり目ぼしい店がなかった。仕方がないので駅前からほど近い、某中華料理屋へ入ることにした。雑居ビルの2階にある店で、念のため客入り状況を確かめてやろうと外から眺めると、13時過ぎにも関わらず窓側の席が半分くらい埋まっているように見えたので、入ってみることにした。 

 

店へ上がるまでの階段の壁面には、芸能人とこの店の経営者らしき初老男性が写った写真が20枚くらい貼られていた。これは大都会東京に初めて訪れたカッペ人に対しては、それなりの権威付けになるだろうな、と思った。しかしテレビを観たことがない人にとっては、何の効果もない写真でしかないだろうな、とも思った。こういうモノを見慣れた人間にとっては、むしろ胡散臭いだけで、逆効果になるのかもしれない。 

 

誇らしげな写真を横目に2階へ上がり、純喫茶風かつ古びたドアを手前に引くと、奥から小走りで、中国人らしき女性店員が出てきた。外から見て想像していたよりも客入りが少なかった。多くの人間は無意識に窓側の席へ座る傾向にあり、外から見て混んでいると思い込んだのは甘かった、と今更ながらに気が付いた。店員に壁際の奥のテーブル席へ案内された。 

 

テーブルの端に立てかけられていたメニューを広げ、適当に注文することにした。店のおすすめは焼き餃子と別刷りのランチメニューらしかったが、ランチメニューはどれもチャーハンとラーメンのセットばかりで量が多そうだったから、単品で注文することにした。とりあえず、回鍋肉、春巻き、焼き餃子、ライス2つを注文した。中国人店員の日本語があまり上手くなかったから、念のため日本語でしゃべったあと、「来两碗米饭」と言った。単品のライスはメニューに載っていなかったから、店員が「ライス」を「某国の元国務長官」や「荔枝(ライチ)」などと勘違いしないよう、親切心から中国語を使っておいた。 

 

少し離れた窓側の席には、降谷建志を安っぽくしたような常連風の若い男が座っていた。彼は独りでランチメニューを食べていたが、いかにも目黒人的なオサレな雰囲気を醸し出していた。 

 

こびとがトイレへ行っている間に、回鍋肉とライスが運ばれてきた。オーダーしてから3分くらいしか経っていなかったから、余程ヒマなのだろうな、と思った。ホールには中国人らしき中年女性店員が3人立っていたが、みな団子になってペチャクチャとおしゃべりしていた。中国人女性はとにかくヒマがあればずっと喋っていることが多い。 

 

「中華料理は出てくるのが早いからいいね」などと少量の回鍋肉をつつきながらこびとと会話していると、餃子と春巻きが運ばれてきた。しかし運ばれてきた春巻きを見て、箸の動きが止まった。

 

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小さな皿の上には半分にカットされた春巻きが3つ載っていたが、そのうちの2つが揚げすぎゆえか、焦げて爆発していた。中国でこんな春巻きを客に出したら、客はきっとキレて暴れ出すか、金を払わずに出て行くに違いない。日本人は大人しいと思ってナメているのだろうな、と思った。 

 

こびとがクレームを言ったらどうかと言ったが、こんな店には2度と来ないだろうし、クレームを言って改善されるのも癪に障るから、放置しておくことにした。基本的にクレームというものは、改善の余地がありそうだったり、社会に貢献して頑張っているが何となくミスってしまった、というような店や会社に言うべきであって、そうでない輩には言うだけ労力の無駄である、と私は考えている。要するにクレームを述べたところで何も変わりゃあしないだろうし、怒ると体に悪いから、放置しておくことにした。さりげなく厨房へ目をやると、やる気のなさそうな私服姿の厨师男が見えた。どうみても「不愧是大厨」という風貌ではなかった。きっとこの分だと皿の上に載っているパセリは使い回しかもしれないな、と思った。 

 

結局、この店の招牌菜(名物料理)だという焼き餃子も大して美味くなかったから、パッと食べてサッと金を払い、潔く店を出ることにした。北京では外食で残念な思いをすることは稀だが、日本では特に中華料理に関しては、ガッカリさせられることが多い。本場中国の美味しい料理を知らぬ人が多いからなのかもしれない。 

 

口直しに、早速話題のカフェへ行くことにした。カフェは中華料理屋の入っているビルから歩いて数分の場所にあるはずだった。事前にGoogle Mapで調べておいたが、何となくジョナサンのある逆方向に行ってしまって、時間を無駄にした。 

 

目黒通りを西へ戻ると、すぐにカフェが見えた。カフェは2階にあったが、すでに10人くらい行列していた。ちょっと待ってみようかとも考えたが、ラーメン屋のような回転速度は望めぬし、目黒マダムがのんびりとパフェを喰らっているのを待つのも耐えられぬので、並ぶのは止めにした。きっと、芸能人がステマ的にインスタグラムなどで苺パフェなどをアップしているがゆえに、平日にも関わらずアホみたいに混んでいるのだろうな、と思った。それに、こんなにも沢山人が並んでいたら、落ち着いて食えたものじゃあない。

 

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とりあえず散歩がてら、恵比寿駅まで歩くことにした。目黒通りからだと、距離にして大体1.5キロくらいである。平地なら大した距離ではないけれど、目黒から渋谷付近は今でも太古の名残で谷のようになっている場所が多く、坂道ばかりで少し遠く感じた。 

 

恵比寿ガーデンプレイスの入口あたりまで辿り着くと、山手線の上にかかる橋で信号待ちをしている白いラン〇ルギーニガヤルドが見えた。信号が青に変わるや否や、そのスーパーカーはゼロヨンの如き凄まじいスタートを切って、通りを駆け抜けていった。こんなに狭く人通りが多い通りを暴走する輩はどんな人相をしているのだろうかと思い、車の方向を見た。 

 

すれ違う瞬間に、窓を全開にした運転席に座っている、成金風の中年男性が見えた。男は非常に激しい形相をしていた。こんな寒い日に窓を全開にしていたのは、きっと窓のレギュレーターの破損か、単なる虚栄のどちらかだろうと考えたが、男の顔と身なりから察するに、後者であろうと思った。元来、激しい人相の者は気性が荒く、激しく事故ったりするものだが、歩行者を巻き込むような事故を起こされたらたまったものではない。 

 

恵比寿駅からは山手線に乗り、原宿へ向かうことにした。目的は表参道にあるアップ〇ストアだった。原宿駅を出て表参道へ向かって歩いていると、MA-1と呼ばれるフライトジャケットもどきを着ている女の子と、次から次にすれ違った。そもそもMA-1やらN3-Bなんぞは、私が中学生の頃に大ブームになったジャケットだ。当時は上野の中田商店で上質なフライトジャケットを買って着ることが男子学生どもの密かな望みであった。しかし実際にそれを着ることが出来たのは、数人の地主ボンボン息子くらいであって、ほとんどの男子は高校生になってから、アルバイトで貯めた金を握りしめて上野へ向かったものだ。日本ではおおよそ20~30年くらいで同様のブームが巡り巡って来るといわれているが、確かに最近流行り出したNIRVANAジャックパーセル、MA-1なんぞは、すべて1990年代に流行したものだ。ブームなんてものは意図的に操作されているようなもんだろうから、個人的には関心がない。 

 

しばらく歩いていると、こびとが急にアッと叫んだ。どうやら3時間ほど前に、仙川駅のホームで隣に立っていたジャイ子風の女が、正面から歩いてきているらしかった。すれ違う瞬間に女の顔を見たが、確かに同じ時間の同じ車両に乗った女だった。日中は1500万人程度の人が集まる大東京で、意図せずして赤の他人と同じ時間に同じ空間を共有したということに、背筋にヒヤリとしたモノを感じた。 

 

まぁ、案外気が付いていないだけで、そういう瞬間は多いのかもしれない。人間はある種の巨大なシュミレーション上を神の如き存在によって操られているだけだ、などというオカルティックな話もあるが、凡人の知れたことではないし、もしそうであってもどうにかなる話ではないから、どうでもよい。 

 

人と人が出逢う確率はどんなもんだろうかなどと考えながら、再び表参道を歩いていると、再びこびとが後ろを見やり、アッと叫んだ。今度は何事かと思って素早く後ろを振り向くと、異様な雰囲気を発露させながら、ピロピロとリコーダーを吹き鳴らし歩く男の後ろ姿が見えた。どうやら、メディアなどで「リコーダーの妖精」などと呼ばれている男とすれ違ったらしかった。私は今しがた神の存在やら、人間が出逢う確率やらについて壮大な思索にふけって歩いていたもんだから、コナンドイルがまんまと騙された「The Case of the Cottingley Fairies」を彷彿とさせる妖精男が表参道を闊歩しているという驚異的事実を目の当たりにしても、全く気が付かなかったのだった。 

 

表参道はまるで正月かの如き人出で、うんざりするほどだった。平日の昼間にここを歩けるのは暇を持て余している学生か中高年、または自由業かナ〇ポか、はたまた私のような自営業か平日休みのサービス業、観光で来日している外国人くらいだろうな、と想像した。こんなにも多くの群衆に紛れて歩いていると、それだけで疲労感が募ってゆく感じがした。確かに北京や上海にも沢山の人が集まっているが、何せ中国は長城を本州の10倍以上の長さに張り巡らせられるほど広いから、人ごみを歩いていてもそんなにストレスを感じない。 

 

アッ〇ルストアには初めて入った。アッ〇ルの看板商品であるア〇フォンは、いわゆる大手キャリアを利用していたがゆえに惰性で使い始めていたのだけれど、他のスマホに移行するのは面倒であったし、iosが最高であると何となく盲信していたもんだから、壊れかけている5sよりも高性能なSEが実際どんなもんか確かめてみようと思い、わざわざ歩きたくもない表参道に来たのであった。 

 

入店するとすぐに、店頭にいた店員が親しげに話しかけてきた。見た目は黒人のようであったが、中々流暢な日本語を話していたことに違和感を感じた。店内にはかなりの数の客がいたが、青いシャツを着た店員も沢山いて、その多くは日本人ではないように見えた。何となく地下にも降りてみたが、どうも「Pink Flamingos」のような世界観に耐えられず、すぐに地上階へ戻ってしまった。 

 

しかし、暇そうにしている店員がなんと多いことかと驚いた。平日にも関わらずこんなに多くの店員がいるのに、ストアに電話した時なぜあんなに待たされたのだろうか、と考えた。都内のどの店舗に電話しても、常に「3人待ちです」と言われて、10分以上待たされたのだった。まぁ、単純に電話回線が少ないのかもしれない。 

 

そうは言っても、暇を持て余しているような店員に人件費を使うくらいなら、電話回線を増やして電話対応の流れをスムーズにしたら良かろうと考えた。それに、もう少し店舗の規模を小さくしたり、1日に入るべきスタッフの数を減らすなど、コストの見直しを徹底出来そうに見えたし、そうすれば今よりももっと商品価格を下げることが可能であるだろうなどと考えた。実際のところ、この企業が顧客の利益をどの程度考えているのかを知る由はないが、実際に店舗を訪れてみて、正直幻滅した。 

 

確かにアイ〇ォンは処理速度が速くて使いやすいけれども、内容的に考えたら現在の価格の半値または3割引きくらいの値段が妥当ではなかろうか。ブランディングに金をかけすぎて商品価格を上げざるを得ないのか、会社がより多くの利益を望んでいるのかわからぬが、低価格で良質な中華スマホの存在を知ってしまうと、ここで大金を落とすことが何となくアホらしくなってしまった。 

 

1階ではノートパソコンにも触れてみたが、タブのボタンが左にあるなど、どうも日常的に右脳を使う割合が高い左利き人でないと使いにくそうな仕様であったから、ウィン〇ウズがマルウウェア的に個人情報を抜き取ろうとも、やはりウィン〇ウズの方が使いやすいし、自分には合っているなと思った。結局、スマホは買わずに店を出た。 

 

その後、HUAWEIのスマホを買った。中華製であることや、アンドロイドの脆弱性を憂慮して今後もアッ〇ル一筋でゆくつもりだったけれど、結論から言えばHUAWEIにして良かった。HUAWEIを使わなければ、きっとアッ〇ルの短所にも、長所にも気が付かなかっただろう。アイ〇ォンはキーボード上で中文変換が可能だったのがとても良かったが、SDカードが使えるHUAWEIの方がメリットを多く感じる。 

 

そういえば、ア〇クラウドのストレージ容量を有料で増やすのは簡単だったが、無料の5Gにダウングレードしようとすると、最後に「完了ボタン」が押せないという悪質な仕様になっていたのには憤慨した。わざわざコールセンターに電話して、本人確認のちにPINコードを取得したり、2ファクタ認証をせねばならぬなど、企業の本心を垣間見た気がした。

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毒りんご

最近iPhone5sの調子が悪い。使い始めてちょうど2年半くらいだ。再起動してもフリーズする回数が増えてきた。iPhoneは2~3年が設計上の寿命らしいが、確かに2年目くらいから異常が出てきた。ソニータイマーの如き精度でまことに恐ろしい。 

 

まぁ、大したデータなど入っていないから壊れてもあまり問題はないのだけれど、やはりないと色々と不便なので、とりあえずiPhone SEでも買おうかなと考えている。 

 

現在、iPhone SEは64Gで約50000円。ちょっと高い。発売当時より安くなったとは言え、庶民としては躊躇してしまう価格だ。iPhoneの工場がある中国では、ノウハウをパクっているゆえか、iPhoneの半値くらいでそれ以上の性能のスマホを売りに出しているらしい。しかしiPhoneを使い慣れていると、他のスマホを使う気にならぬ。これもまことに恐ろしいことだ。 

 

以前から、今年の3月にiPhone SEの128Gが発売されると噂になっていたが、今日UKの某ウェブサイトを見てみたら、3/20~3/24あたりに発表するのではないかと書いてあった。本当かどうか知らぬが、3/14の記事だ。

www.mirror.co.uk

 

128GのSEが発売になることで既存のSEが値下がりするかどうかはわからぬけれども、とりあえずは値下がりすると見込んで、今しばらく待ってみよう。なんせ今買って数日後に値下がりしたら、精神衛生上よろしくないし。 

 

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そういえば去年上海へ行った時、地下鉄のホームで「苹果~,苹果~」と呟きながら、何かを袖口に隠し持って徘徊しているジジイがいた。ジジイは「苹果(pingguo)」と言っていたから、てっきり林檎でも手売りしているのかと思った。しかし、すれ違う瞬間にジジイの手元を見たら、キラリと光る、金色ボディのiPhone6が2つ見えた。どうやらジジイは本物のAppleではなく、怪しい毒林檎を売りつけようとしていたらしい。

 

まぁ真でも偽でも、表面上に毒は見えぬけれども、dopeという点に関しては、どちらも大差はないのかもしれない。

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寺から出れば坊主

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やるべきことが色々あって、北京の日記が全く進まない。今日は南北相法についての取材をさせてれと某出版社から電話があった。どうやらディスカバージャパンの記事を見たらしい。針灸に関係ないことにあまり時間を割きたくないが、南北相法について協力すれば、当院の宣伝をしてくれると言うので取材を承諾した。まぁ他に出来る人がいないなら、出来る人がやるしかない。それが使命なのだろう。南北相法が世に広まれば、きっと南北先生も喜ぶであろうし、南北先生が海常導師の恩に報いようと相法早引を一千部無料施本したように、私も僅かながらも南北先生の恩に報いることが出来るかもしれない。

 

とうとう綾目鍼管の生産が終わったらしいので、とりあえず必要な分だけ買い占めた。2寸はもう私が買った9本で終わりらしいが、2寸5分はまだ40本くらいは在庫があるらしい。欲しい針師は早めに買っておいた方が良い。

 

以前、某針屋に今は無き3寸の綾目鍼管の在庫を確認したことがあった。在庫は数十本だけならあるとのことだった。私が「それは全体がローレットのやつですよね」と聞いたら、店主は気持ち悪いくらいの猫なで声で「センセェ~。そうです~。そうです~。それと同じやつですよ~」と言ったから、在庫をすべて買い占めてやった。しかし実際に届いたのは両端だけがローレット加工のやつでキレそうになったが、あえて返品はせずに、それ以降その針屋の針は一切買わないことに決めた。それは全体がローレット加工になっているやつよりも若干太くて重く、しかも1~2mm長いもんだから使い物にならなかった。

 

綾目鍼管は真鍮にメッキ加工したものだから、比較的加工が容易だ。2寸のものは70mmにカットして1.5インチの中国針に、2寸5分のものは80mmにカットして2インチの中国針に使う。中国針を通す場合、内径は2.4mm前後に拡大する必要がある。アルミやプラスチックの鍼管だと切皮痛が強いから、ステンレスか真鍮の鍼管を使うのが良い。しかしステンレスは硬くて加工し難い。今も中医は鍼管を使わない傾向にあるが、鍼管を使った方が刺入時の痛みは少ない。

 

中国ではバンバン新商品が開発されているのに、日本では年々ラインナップからフェイドアウトしてゆく針灸用具が少なくない。日本ではシリコンオイルを塗って切皮痛を減らす針とか、「接触針」に使う刺入しない針とか、美容鍼専用の針とかばかりが商品化されているけれど、どうも方向性が中国とは真逆というか、思考自体が時代遅れに思えてならぬ。中国ではすでに美容針は廃れているし、針先を丸くしなくとも、シリコンオイルを塗らなくとも、ほぼ切皮痛がない革新的な針がすでに商品化されている。

 

鍼灸学校時代に、「鍼は痛いのがデメリットだから、痛くなくて、優しい、なるべく刺さないような針治療を開発すれば患者が集まるだろう」と言ったクラスメイトがいた。そんなんなら、わざわざ400万円も支払って鍼灸学校などに通わず、楊枝でも使う治療法でも開発したらよろしい。実際、鍼師以外にも、何十万円もする金の棒を使って治療している人もいるらしいが、効くと思うなら左様に棍棒を使って治療すればよいのではないか。針を刺さぬ治療をするならば、金と時間を費やして鍼師の免許を取る必要性はないように思える。

 

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黄泉比良坂のその後

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黄泉比良坂へ行ったあと、私は午後から用事があったので、師匠のお父さんを自宅まで車で送って、そこでお別れする予定だった。

 

その頃私が乗っていた車は10万円で買ったボロクソワーゲンで、左ハンドル車だった。お父さんは毎回左側にある運転席のドアを開けて乗り込もうとするものだから、毎度右側にある助手席へエスコートしなくてはならなかった。

 

お父さんを乗せたあと、指示通りに黄泉比良坂正面の裏道を進み、9号線を抜けて揖屋駅方面へ向かった。すると、お父さんは「ちょっと寄り道して行きましょう」と言って、中海(なかうみ)沿いの道へ行くように促した。

 

中海というのは東出雲のとなりにある汽水湖で、宍道湖とつながっている。中海は宍道湖同様に淡水と海水が混じっているが、宍道湖よりも海に近いためか塩分濃度が高いらしい。しばらく走ると平屋ばかりが並ぶ集落に入った。お父さんはある大きな一軒家を指さして、「これがウチの本家です」と言った。私に本家の場所を教えた意図は不明だった。

 

その後、三菱農機の工場がある狭い路地を抜けて9号線へ戻ることになった。山陰本線の踏切を渡り、左折して再び9号線に入ろうと信号待ちをしていると、お父さんが予想外にもこう言った。「星上山へ行きましょう」。

 

お父さんは「星上山はすぐそこです。車ならすぐです」とニコニコしながら言ったが、「私を星上山へ連れていきなさい」という雰囲気が満ちていた。かつてお父さんは、妻であるお母さんを背負い投げで投げ飛ばして怒りを露わにしたことがあったらしいが、お母さんはその時以来、お父さんのことを恐ろしいと言っていた。そんなわけで止むを得ず信号を直進して、星上山へ行くことにした。

  

山へ向かっている途中、お父さんは突然、「周はここで落ちました」と言い、田んぼの一角を指さした。どうやら師匠は実家に住んでいたころ、軽自動車を運転していて何を血迷ったのか、田んぼへ突っ込んだことがあるらしい。お父さんは落ちた理由はわからないと言っていたが、神話色が濃厚な八雲町との境目であったから、狐か狸に化かされたのかもしれないな、と思った。

 

実際につい最近まで、東出雲からほど近い枕木山のふもとの村ではポン太だか権太などと呼ばれた狐や狸が畑を荒らしたり、村人を化かしていたと、その村に住んでいる患者が証言していた。俄かには信じがたいが、水木しげるが育った境港や島根半島が近い町だから、そんなこともあるのかもしれないな、とシティボーイらしく想像した。そう言えば島根の山奥に住むある患者曰く、山間部のある村では昭和くらいまでいわゆる狐憑きの現象が見られたそうで、今でもその村の近くに狐憑きを専門に祓うお寺があるそうな。

 

 

 星上山は東出雲から見ると確かにそんなに遠く感じなかったが、ナビをすると言っていたはずのお父さんが道を覚えていなくて、結局何度も行ったり来たりで山道に入るまでに1時間くらいを費やした。

 

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星上山は東出雲町の隣町である八雲町に位置する454mの小さな山だ。頂上付近には星上山スターパークというキャンプ場がある。車はお父さんの案内で、この施設の近くの空き地に止めた。とりあえず車1台がギリギリ通れるくらい狭い、ガードレールが所々にしか設置されていない危険な山道をやっと走り終えたことにホッとした。

 

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「星上(ホシガミ)」が「星神(ホシガミ)」に通ずるという山の名称の通り、大昔に天から星の神が降臨した山だとか、霊火で中海を照らし、遭難した船を救ったという言い伝えがある山だとか言われている。

 

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「出雲観音記」によると、第45代聖武天皇の時代であった天平二年(730年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、突然の暴風にあって方向を見失い、海上を漂いながら夜を迎えた。漆黒の闇の中では右も左もわからず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。すると、突如として星光が星上山の上に出て暗夜を照らし、漁夫はその一点の星を目印にして船を漕ぎ続け、無事に揖屋港へ帰り着くことが出来た。翌日、漁夫はこれを観世音のお導きと思い、星上山へ登ると、山頂から約200mほど下ったところに小さな池を見つけた。ふと水面を眺めると、十一面観世音の御影が映っていて、観世音様が岩壁の上に立っていた。漁夫は感涙にむせび、仮堂を作って安置し、その御徳を広く四方へ伝えたという。この池が現在、星の池と呼ばれている池らしい。こんな内容が記された案内板を、しばしお父さんと眺めた。

 

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草木が生い茂った山道には所々に小さな石彫りの仁王像が祀られていたが、何故かそのほとんどの首や胴体がもげていたもんだから、若干寒気がした。周囲にはお父さんと私以外に誰もおらず、鳥の声と枯葉を踏みしめる音しか聞こえないもんだから、より一層不気味に感じられた。一応、仁王像はもげた部分が丁寧に立てかけられていた。きっと信仰心のある人が直したのだろうな、と思った。山頂には無住の寺というか、質素なお堂があった。

 

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お父さんは80歳を超えていたが、毎朝自転車で「しんぶん赤旗」を配っていたせいか足腰は案外丈夫で、慣れた感じでスタスタと山道を先に歩いて行った。そういえば、お父さんはいつも私の鍼灸治療が終わったあと、待合室の椅子に腰掛けて、私が出したお茶を飲み干してから「お世話になりました」と言って帰るのだが、毎回「しんぶん赤旗」を1部椅子の上にさりげなく置いていく習性があった。これは確信犯だな、と思った。

 

山の南側、中海方面にはテイカカズラヤブコウジなどのシイ林が広がっていた。お堂の周辺にはアカシデやイヌシデなどのシデ林があり、北側、中国山地側にはカシ林、スギやブナの巨木が混在していた。暖帯のシイ、シデ、カシと寒帯のブナが混生している状況は大変珍しいらしい。

 

島根半島にある美保関には過去に隕石が落ちているから、もしかしたら星上山にも隕石の類が落ちて、山の生態が変化したのかもしれない。隕石を見たことのない古代人にとって、光を放って落下する得体のしれぬ物体は畏れ多き神に見えぬこともない。星の池は小隕石が落下した痕だろうか、などと想像した。

 

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お堂の前を過ぎると、「展望がすばらしい 東展望台」と記された案内板が見えた。前日の雨で少しぬかるんだ小道を抜けると、急に視界が開けた。

 

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東展望台は島根半島、中海が一望できるようになっていた。東屋のような屋根付きの休憩所らしき建物と、「宍道湖から中海の景観」と記された案内板が立っていた。お父さんは久しぶりに登ったためか、少し感慨深そうに景色を眺め、私に目の前に広がる景色の説明を始めた。当然ながら、お父さんの横顔もお母さんと同様、やはり師匠に似ていた。薄い雲が広がっていたため遠くまでは見渡せなかったが、なかなか良い眺めだった。

 

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続・2011年前後

砂丘は島根にあると思い込んでいた自称シティーボーイにとって、島根での生活は不安だらけだった。

 

2010年の7月中には、前院長であったTさんから島根の北京堂を引き継がねばなかった。それゆえ、出来るだけ早く島根へ行っておかねばならなかった。しかし、私の島根行きが突然の話だったのと、Tさんがなるたけ早く退職したいとのことで、私の東京での弟子入り期間は実質3ヶ月しかなかった。

 

北京堂の弟子は通常、最初の3~6ヶ月くらいは治療の見学と抜針だけで、実際に患者に鍼を打たせてもらえるようになるのは、弟子入りしてから半年後程度、ということになっている。しかし私は3か月後に島根の北京堂を引き継がねばならなかったため、弟子入りして1ヶ月くらいで患者に鍼を打たねばならぬような状況を強いられた。しかし幸いなことに、弟子入りする前の1年間は卒業した鍼灸学校の付属施術所で実際に患者に触れたり、毎週末は狭いワンルームの自宅に友人を招いて刺鍼練習をしていたから、とりあえず弟子入り1ヶ月後には何とか針が刺せるようになっていた。あの頃練習台になってくれた友人達には今でも感謝している。

 

ちなみに、鍼灸学校を卒業すればすぐにマトモな治療が出来るようになる、と思い込んでいる人が少なくないが、実際には卒業してすぐに治せるようになる鍼灸師なんて皆無に等しい。高い学費を払い、専門性習得を謳う厚生労働省お墨付きの学校を卒業してもスペシャリストになれぬとは何とも皮肉なことだが、未だに卒業後10年経ってもロクに治せない鍼灸師は珍しくない。会員ビジネスの餌食となって徒党を組んで安心感を得るだけで、患者と真剣に向き合おうとしないようなケースも、日本の鍼灸業界ではアルアルである。

 

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島根には事前に日通の単身パックで荷物を送っておき、バイクで行くことにした。島根で生活するためにはバイクがあった方が便利だと思ったからだ。私のバイクは「スポーツツアラー」と呼ばれるジャンルで一部の変人から愛されていた、スズキのRFというバイクだった。これまで、スズキは刀やガンマ、TL1000Rなどと変態的なバイクを量産してきたが、RFは私の好みにピッタリのバイクだった。

 

RFは1992年に製造された旧車で、島根-東京間、往復1600キロをよくノントラブルで走ったと思う。今思えば恐ろしいことだ。結局、RFは2015年に廃車にするまで50000キロ以上、大きなトラブルもなく走ってくれた。キャブ車は燃料タンク内のサビやスラッジでニードルジェットが詰まって走行不能になるのが定番だけれど、定期的なキャブのオーバーホールやタンクの交換、ワコーズフューエル1の定期注入で、何とか走行不能は免れることが出来た。RF唯一の構造欠陥として、スタータスイッチ部分に水が入るという事例があったが、これは自分でうまく改造して問題なく走れた。チョークワイヤーは固着しやすかったが、寒い日はエンジンがかかりにくくなるから、これも定期的な交換と注油が必須だった。あとはイグニッションコイルクラッチワイヤー、アクセルワイヤー、プラグ、バッテリーの交換、フロントフォークのオーバーホールが必要だったが、エンジンやミッションは触らずに済んだ。

 

結局、2010年の7月に島根へ移住したのだが、北京堂を引き継いだ当初はヒマすぎて、本当に食っていけるかどうか不安だった。しかし、師匠がすでに島根で20年ほど北京堂をやっていたこともあり、徐々に患者が戻ってきて、何とか生活していけるようになった。あまりにもヒマな時は、一人で市内を観光したり、鍼灸院のウェブサイトを作ったり、南北相法を翻訳したりした。ウェブサイトの作成は独学で一から始めたから大変だったけれど、今となってはコツコツやってきて良かったと思っている。

 

そういえば去年だか一昨年くらいに、某出版社からの依頼で南北相法の一部を抜粋して、現代語に翻訳したことがあった。結局その翻訳は雑誌で公開・出版されたが、つい最近、その翻訳をウリにした別冊を出版するとのことで、出版社から転載承諾の許可を乞うメールがあった。私は二つ返事で承諾したが、結局担当者からは返信がなく、そのまま新たな特集本が出版された。私の翻訳を最大のウリにしたような本なのだから、報酬は無くとも、どんな感じで刷り上がったのか1冊見本を送ってくれたって良いじゃないかと思ったりした。まぁ昨今の出版社なんてそんなものなのかもしれない。

 

島根では師匠のお父さんとお母さんにお世話になった。師匠のお父さんは針治療も好きだったが、特に灸施術が好きで、1ヶ月に1~2回くらいのペースで私の治療を受けに来ていた。毎回灸を据える前に「私はね。熱いのが平気なんですよ」と言っては、遠回しに熱めの灸を要求した。

 

私は針を刺し終えると、いびきをかいてすぐに寝落ちするお父さんの横で、付き添いで来ていたお母さんとおしゃべりするのが常だった。お母さんは色々な話を聞かせてくれたが、毎度同じような話を何度も繰り返すので、毎回初めて聞いたような素振りで相槌を打たねばならなかった。お母さんは来院するたびに、東出雲町で最も美味いという越野の天ぷら(魚のすり身を揚げた山陰名物)を手土産に持参してくれて、話疲れると待合室の長椅子でリッラクマのティッシュケースを枕にして、お父さんの治療が終わるまで昼寝していた。師匠も疲れるとすぐに横になる習性があるが、お母さんの寝姿は師匠とソックリだった。お母さんとお父さんは、たまに私を自宅に招いてくれて、松江の名物である茶菓子やら魚料理やらをご馳走してくれた。お母さんは夕方になると、ホースで庭の植木に水をやるのが日課になっていた。

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お父さんは山陰の郷土史について語ることが好きで、ヒマを見ては私を松江近辺の名所に案内してくれた。お父さんは毎日ヒマを持て余していたのか、私をどこかへ連れて行くことが楽しい様子だった。

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東出雲の一番の名所であると思しき黄泉比良坂(よもつひらさか)へ一緒に行った時、お父さんは「これは黄泉(死者のいる場所)に通じる入口を塞いだ石だと言われていますが、この石は我々が若い頃に運ばされたものです」と出雲訛りの標準語で言った。お父さんは神話やら仏教説話には懐疑的で、どちらかと言えば唯物論者に近かった。まぁ一応、東出雲町の名誉のために言っておこう。

 

ここには黄泉の入口が存在します。

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島根で初めて迎えた冬は大変だった。2010年の大晦日から降り始めた雪がずっと止まず、一夜明けた正月には、松江の学園通り付近で積雪が60cmを超えた。

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豪雪地域では何てことのない積雪量なのかもしれないが、ほとんど雪の降らぬ東京で育った人間にとっては、メジャーで深さを測りたくなるほど衝撃的な量だった。

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島根の大東町という場所から来ていた患者の話では、山間部は積雪が1mを超えており、玄関から公道まで自家用車を出すための除雪が大変だったそうだ。公道は市の除雪車が走るから時間が経てば何とか通れるようになるが、当然ながら自分の敷地は自分で除雪せねばならぬから、自宅の庭が広い人は地獄を見ることになるのだった。松江の北京堂では、マンションから30mくらい離れた場所に患者用の駐車場を2台分借りていたのだが、たかだかそれだけの範囲でも、1人で除雪するのに1時間以上はかかった。何より、マトモな道具が無かったのと、慣れていなかったので大変だった。 

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例年の松江市では12/15頃から冷え込んで徐々に雪が降り始めるのだが、毎年積もっても10cmくらいらしい。大雪が降ったのは幸い大晦日から正月までだったから仕事に大きな影響はなかった。1/2からは駐車場に積もった雪を除雪するため、川津にあるジュンテンドーというホームセンターまで歩いて行った。途中、ローソンの前でスタックしている小型車があり、後輪が滑ってローソンの駐車場から抜け出せなくなっていた。店長らしき男が迷惑そうに眺めていたが、可哀想なので手伝ってやることにした。小型車の運転手らしき小柄なオバハンは申し訳なさそうにしていて、スコップは持っていないと言うから、見知らぬ通りがかりの男と一緒に後輪付近の雪を手で除けて、ローソンの外に置いてあった段ボールをタイヤの下に敷いて、何とか脱した。結局ジュンテンドーに行くまでに、スタックした車を男が数人がかりで押している光景を2回見た。島根では車にスコップを積んでおくべきだと思った。 

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ジュンテンドーの前にはすでに開店を待つ10人くらいの市民が座っていた。みな除雪用のスコップを求めているようだった。開店してすぐに「スコップはありません!」と店員が叫んだので、みな残念そうに散っていった。その後、田和山と春日にある「いない」と、東出雲にあるナフコに電話してスコップの在庫を問い合わせたが、どこも売り切れだった。どうやら在庫切れというより、そもそも在庫を持っていないらしかった。東京と違ってどの店も店舗数が限られていたから、こりゃ困ったな、と思った。

 

仕方がないので東京に住む母親に電話して、宅急便でスコップを送ってもらうことにした。スコップが届くまで、除雪が出来なかった。かつて「サンパチ豪雪」と呼ばれた大雪が松江市を襲ったらしいが、今回はそれ以来の大雪だったと、後で患者から聞いた。寺田寅吉が言ったように、概して災害は忘れた頃にやってくるもんだから、常々備えておかねばならぬと痛感した。

 

島根から戻って来て、改めて東京の冬は過ごしやすいと感じるようになった。30年くらい前には東京でも庭でカマクラが作れるほどの雪が降ったものだけれど、最近は雪景色を忘れてしまう程の暖冬が続いている。

 

確かに東京は雪がほとんど降らないから楽だけれど、山陰でしばらく雪に囲まれて生活をしていたせいか今では時折雪が恋しくなって、冬になるとわざわざ雪の降る町へ出かけたくなったりする。

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2011年前後

 

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島根に住んでいた時の話。

 

島根の北京堂は、まだ八束郡と呼ばれていた頃の東出雲町で、師匠が30年ほど前に開業した。今も9号線を米子方面に走っていると「北京堂鍼灸」と書かれた看板が見える。ちなみに東出雲町と言えば三菱農機と黄泉比良坂(よもつひらさか)が有名だが、私は島根へ行くまで知らず、師匠のお父さんに案内されて初めて知った。 

 

2008年頃には短期間であったが、松江の菅田町あたりで師匠が営業していたらしい。学園通りの北京堂は2009年から営業している。最初は師匠の中国時代の旧友であった鍼灸師のTさんが経営していたのだが、イロイロと諸事情があり、2010年から私が一時的に北京堂を引き継いでいた。現在は師匠の弟子の研修所というか、訓練施設のような感じで、新しい弟子が数年ごとに引き継ぐようなスタイルになっている。 

 

2010年も学園通りの北京堂は松江駅から徒歩10分くらいの場所にある、茶色い外壁のビルの6階で営業していた。このビルは7階建てで築30年ほどになるが、完成当初は松江で最も高いビルとして、市内でもひと際目立つ存在だったらしい。今は1階におしゃれなカフェが入っているそうだ。 

 

基本的に鍼灸院の立地は、可能な限りバリアフリーである方が良いため、師匠は6階に鍼灸院を構えることに反対していた。しかし、友人であったTさんが「眺めが良い方が良いでしょ」と主張したため、断ることが不得手な師匠はTさんに言われるがまま、606号室の賃貸契約書にペタンと判子を押してしまった。師匠はあとになってから、「馬鹿と煙はなんとやら、だからなぁ」と言い訳がましくTさんの陰口を叩いていた。 

 

鍼灸院には様々な患者が訪れる。特に強度のぎっくり腰や捻挫、肉離れ、脳血管障害後遺症などの患者は歩行困難であることが多いから、上階まで上がるのには多大な労力を費やさねばならぬ可能性がある。さらに、北京堂のような響きの強い針灸治療は施術後のダメージが大きいため、数段の階段さえ降りることが困難になるケースが珍しくない。 

 

ゆえに北京堂のような鍼灸院の立地は1階かつ、入口付近に段差がないのが理想だ。エレベーターがついていれば問題なかろうと思う人もいるかもしれないが、マトモなビルであればエレベーターの定期点検が必ずあるから、ビルによっては1ヶ月に数回エレベーターが使えなくなることもある。 

 

実際に北京堂が入っていたビルでも、定期的かつ予告なしにエレベーターが止まるもんだから、運悪くその時間に予約を入れていた患者は、ヒイヒイ言いながら6階までの階段を上らねばならなかった。島根人は普段は車の移動が主であって、東京人のように歩く習慣が少ないから、たかだか6階までの移動であっても相当な負担を強いられるらしかった。また、島根の北京堂は東京と違って高齢者も多く来院していたから、90歳前後の老人が息を切らせながら階段を使う時は、昇降途中で逝ってしまって焼香が必要になるのではないかとヒヤヒヤした。

 

そういえば、オスマン・サンコン氏は日本で初めて通夜に参列した時、焼香のやり方がわからなかったらしい。それで前に並んでいた人の作法を真似ようと思ったそうだが、「ご愁傷様です」と言う日本語が「ご馳走様です」と聞こえ、香木を額に近づける仕草を後ろから見た時、香木を食べているように見えたため、香炉へ落とすはずの香木を口の中へ入れて食べてしまったそうだ。

 

松江の北京堂を引き継いで数か月ほど経つと、日中ずっと日が当たらない玄関横の部屋で、カビと結露が大発生していることに気が付いた。和室だったが、畳が一部腐っていて、置いていた物のほとんどがカビていた。 

 

このカビ事件を管理会社に伝えると「すぐに確認に行きます」とのことで、本当に管理人が数分で飛んできた。どうやら、この部屋は北向きであったことと、壁に断熱材が入ってなかったため、カビと結露が大量発生したらしかった。ちなみに現在、島根のように寒くて多湿な地域ではペアガラスと呼ばれる2重窓が主流になっているらしいが、このビルは古いためか、窓は1重にしかなっていなかった。とにかく断熱材を入れていないのは致命的だと思った。 

 

その後、管理会社は断熱材が入っていないことが不味いと思ったのか、606号室を含めた空き部屋は全てペアガラスと断熱材を入れるリフォームを施していた。これ以降しばらくは、患者との会話はカビ事件の話で持ち切りになった。なにせ田舎にいると話題が乏しいから、ちょっとした事件でも針小棒大なネタになる。 

 

するとある日、いつも不動産経営でガッポリ儲けて笑いが止まらないような顔をしていた患者のEさんが「うちの自社ビルの1階のテナントが空いてるけん。安くしちゃるで」と言った。島大近くの学園通り沿いで、川津のバス停も近くて、立地はまぁまぁ良い物件だった。Eさんはその物件の上をオフィスとして使っていたから、その下に鍼灸院が入れば、気軽に鍼灸治療を受けられるようになるだろうという魂胆があったらしい。

 

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しかし師匠にこの件を話したら「移動するのは困るよ。患者さんが混乱するから」と言ったため、結局、2012年に同じビルの7階へ移動するという妥協案に至った。管理会社は悪いと思ったのか、家賃を据え置きにしてくれた。松江城が見える眺めの良い部屋だった。南向き、角部屋、最上階の7階だったから、湿気の害から逃れることは出来たが、相変わらずエレベーターの点検問題は解決出来ないままになった。 

 

2011年に東日本大震災が起きた時は、まだ6階で営業していた。3LDKの間取りで、ベランダ側の2部屋を治療部屋にして、4畳半くらいのリビングダイニングを待合所にしていた。待合所にはテレビを置いていて、患者が暇を持て余さぬよう、テレビをつけっぱなしにしながら治療する、というスタイルだった。 

 

東北から島根までは直線距離でも1000キロくらいはあるからか、さすがに揺れは感じられなかった。現在のようにスマホが普及していなかったから、おそらくテレビをつけていなかったら、地震があったことには気が付かなかっただろう。テレビをつけておいて良かったと思った。 

 

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ちょうど私は患者に鍼を刺し終わったあとで、水道で手を洗っていた。すると突然テレビの画面が騒がしくなり、キャスターが大地震が起こったと興奮しながらしゃべっているのが見えた。しばらくすると津波警報が発令され、画面に映し出された日本地図の沿岸が赤く点滅し始めた。赤いマーカーが点滅している場所に津波が来るから注意して下さい、という報道だったが、島根県鳥取県沿岸だけは何故か赤いマーカーが点滅していなかった。針を刺されたまま、うつ伏せになっていた80歳過ぎの女性患者に地震があったことを伝えると、「島根は神の国じゃけん。地震は起こらんし、津波も来ない」と悟りを開いた聖人のように、落ち着いた様子で答えた。 

 

その後しばらくは、患者との会話は地震の話で持ち切りになったが、「島根は神の国であるゆえに災害が少ない」と語る人が少なくなかったことに少々驚いた。東京で生まれ育った自称シティーボーイにとって、これは島根で初めて受けたカルチャーショックだった。 

 

そういえば、島根県雲南市大東町には、知る人ぞ知る海潮温泉という秘湯がある。海潮温泉は出雲風土記にも載っているという古い温泉で、無色透明の湯だ。この温泉が好きだと言って、毎日のように入り浸っている患者がいた。彼は東日本大震災が起こる前日にも湯船に浸かっていたが、その時急に湯船が茶色くなって、驚いたそうだ。これまで海潮温泉で茶色い湯が出たことはないらしく、のちに彼は「あれは大地震の前兆だったんだろうか」と語った。東北から島根まではかなりの距離があるし、フォッサマグナを隔てているけれども、結局は同じ地殻の上にあるわけだし、地球規模で見れば1000キロなんてのはわずかな距離であるから、そういうこともあるかもしれないな、と思った。 

 

地震が起きて数日後、仙川で店を経営している高校時代の先輩から、「東京はどこも電池が売り切れで困っている。そっちで買って送ってくれないか」と電話があった。その日の夜に春日町の、あるのに「いない」というホームセンターに行って、電池を大量に買った。駅前のイオンでは東北に住む親戚に送る物資を沢山買ったが、店内は予想外にも在庫であふれていた。

 

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2012年には島根から師匠と北京へ行った。北京では針灸用具店で大量の棒灸を買って船便で送ってもらった。薬監証明書などの面倒な書類を厚生局やら税関やらとやりとりして、苦労して手に入れた棒灸だったけれど、数箱使っただけで、残りは全て東日本大震災の被災地に送ってしまった。

 

定期的に被災地へ訪問し、物資を届けているという某会社のお偉いさんであったSさんという患者がいた。鍼灸師として現地へ行って何か出来ないかと思ったが、針灸に対する誤解が多く、針灸治療の社会的許容度が低い日本においては、行かずに物質的な援助をする方が良いだろうと考えた。で、ライター、ロウソク、棒灸、棒灸の使い方を書いた説明書を1セットずつに個別包装して箱詰めし、Sさんに荷物を託した。Sさんはとある仮設住宅で、この棒灸をすべて配ってくれたそうだ。 

 

しかし今考えれば、あれは失敗だったな、と思う。当時の私はまだ棒灸を使い慣れていなかったため、棒灸の煙の酷さに気が付いていなかったのだった。狭い仮設住宅で有煙棒灸を使ったら、衣類やカーテンに臭いが付くし、部屋中がモクモクになって大変なことになるだろう、という想像が出来なかったのは愚かだった。今は台湾製の良い無煙棒灸があるけれど、当時は細くて小さな、火力の弱い無煙棒灸しか販売されていなかった。

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