院長のブログ(表)( ´∀`)

東京つばめ鍼灸院長の独り言ブログ。「南北相法」の翻訳ページはこちら→http://www.varianttuning.com/index.html

高铁と新幹線

 

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中国では10年以上前から、地下鉄や高铁(高速鉄道)などにおいても、乗車前の手荷物X線検査と金属探知機を用いたボディチェックが実施されている。いわゆる「安检(安全検査)」である。

 

もちろん、中国であるから、時折係員が立寝していたり、検査が杜撰(ずさん)だったりすることもあるが、安全検査が無いに等しい日本に比べると、大きな事件は未然に防がれているように思える。ちなみに、中国の地下鉄は、ほとんどの駅にホームドアが設置されているから、人身事故で電車が止まったり、遅延することは滅多にない。

 

しかし、最近の高铁では、他人の席に勝手に居座る「霸座」や、乗客が頭上に置いた荷物を狙う置引きが目立っている。「霸座」というのは「霸占别人座位」の略語だ。

 

日本の新幹線でもたまに、空いている指定席に勝手に座る乗客がいるけれど、座るべき乗客が来れば、通常は自主的に移動する。「霸座」の場合は、警察が来ても断固として席を譲らないもんだから、結果的にお縄を頂戴して2週間ほど拘留されたり、铁路黑名单(ブラックリスト)に登録されて、6か月間乗車券を買えなくなったりする。

 

高铁における置き引きは、乗客が寝たのを見計らって、頭上の棚に置いたバッグから現金を抜き取る手口だ。特に他の乗客から目につきにくい、車両最後部の席が狙われやすい。こういった犯罪は、犯罪者に寛容な日本においては、今後十分に起こり得るから、平和ボケした日本人は特に注意した方が宜しいと思われる。

 

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以前、杭州東駅から上海行きの高铁に乗った時、私が座るべき指定席に、農民らしきジジイが偉そうに座っていたことがあった(画像右列、後ろから3つ目の席に座っているジジイ)。私が「ここは俺の席だ」と強く言ったらスンナリ移動したけれど、頼んでもいないのに温められた席に、ジジイの温もりを感じながら、2時間近く座り続けるのは非常に不愉快だった。

 

でもまぁ、安全検査をしているせいか、高铁内で包丁を振り回したり、放火したりする輩は滅多にいないし、もしそういう輩が現れたとしても、中国人乗客が一丸(いちがん)となって袋叩きにする可能性が高いから、内気で控えめな日本人が多い新幹線よりも、キレたら危ない中国人が多い高铁の方が、何となく安心感はある。

 

そもそもは、安全検査を蔑(ないがし)ろにして、乗客の命よりも己の利潤を優先する鉄道会社の列車に乗らなければ良いだけの話なのだが、都会で生活していると、中々そういうわけにもいかない。そうであるならば、できる限りの対策を自分なりに考え、いざと言う時は自己防衛するしかない。

 

「日本の駅は中国に比べて狭いから、安全検査場を作るスペースがない」とか、「新幹線の運行ダイヤはタイトだから、安全検査なんてしていたら経済的損失が大きい」とか、「日本じゃ安全検査なんて現実的ではない」などと、一生懸命に騒いでいる人がいる。

 

しかし、安全検査に必要なスペースなんて、たかが知れている。新幹線のダイヤが過密すぎるならば、安全検査を優先して、運行本数を減らせば良いだけの話だ。新幹線と同等の移動手段には飛行機もあるわけで、新幹線であぶれた乗客は飛行機に乗れば宜しい。

 

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2016年上海にある龙阳路駅磁浮(マグレブ)乗り場改札の様子

上の画像は、上海磁浮(SMT、マグレブ)乗り場の安全検査場の様子だ。安全検査に要するスペースなんて、実際にはこんなもんだ。検査時間は、1人あたり10秒もかからないだろうと思う。

 

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ちなみに、磁浮というのは、Transrapidと呼ばれるドイツで開発された磁気浮上型列車のことで、SMT(Shanghai Maglev Train)は、1999年に開発されたTR08型がベースになっている。SMTの最高時速は431kmに達する。2016年に上海へ行った時、乗ってみた感じでは、カタパルトから押し出されたようなGと、経年劣化的なガタガタ感がスリリングだった。

 

とにかく、来年には東京オリンピックがあり、テロが懸念されているし、新幹線の改札だけでも、優先的に安全検査場を設置するべきだろうと思う。設置にあたり、予算やスペースの問題がネックになるならば、まずはハンディタイプの金属探知機を使えば良い。金属探知機による簡易検査であれば、1人あたりの検査は数秒で済むだろうし、改札の手前にスペースを確保すれば、新たに設備を新設せずとも可能なはずだ。

 

それだけでも、少なくとも刃物や銃器類による事件を、大幅に減らすことが可能になるだろう。どうのこうのと理由をつけて、何もしないよりは遥かにマシだ。最新のX線装置だってコンパクトだから、休憩所や売店を設置するスペースがあるならば、まずはそれらを撤去してでも、安全検査用の器具を最優先にして設置すりゃあ良い。

 

そういえば、天津駅の高铁の改札は、何故か金属探知機のゲートが2重になっていて、警察犬もいた。警官はライフルを持っていたし、犯罪者を近寄らせないような雰囲気が強かった。

 

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2018年時点で、日本の新幹線の路線総距離約2,800キロに対し、中国高速鉄道の路線総距離は29,000キロ超で、すでに日本の10倍以上長い。さらに、2018年までの総旅客数はのべ90億人超、1日あたりの運行本数は3970本超で、日本の新幹線の1日あたりの運行本数約370本に比べ、すでに10倍以上になっている。

 

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2011年、浙江省で発生した高速鉄道(动车)の衝突事故以来、営業速度350kmの列車は300kmに、250kmの列車は200kmに速度制限がかけれらていたが、高速鉄道の安全性が確認されたとのことで、2017年、复兴号(復興号)と名付けられた新型の高铁がデビューし、高速鉄道の営業速度は時速350kmに戻された。

 

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現在、北京ー上海間(約1318km)を走る复兴号の運行平均速度は、時速280kmだそうだ。中国は2020年までに、高速鉄道路線総距離を30,000キロ、2045年には45,000キロまで延長し、复兴号は900編成まで増やす計画らしい。

 

www.youtube.com

 

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2016年、上海虹桥駅の高速鉄道待合室の様子

 ちなみに中国では、大都市の各主要駅にある高速鉄道のホーム数は、1駅あたり30以上はザラで、常時30本以上の高速鉄道が乗り入れ可能となっている。それゆえベンチが設置された待合所は空港なみに広大で、むしろ金のかかるファストフード店はガラ空き、東京駅のように新幹線に乗車するまでの間、休憩する場所がなくて困る、ということは一切ない。

2011年、夏、師匠が偵察に来た日

島根へ行ってちょうど1年が経った頃、師匠がアポなしで突然、松江の北京堂に現れたことがあった。

 

元々、松江の北京堂は2009年頃から、師匠の旧友であるTさんの希望により、学園通りで最も高い7階建てのビルの6階に移転していた。しかし、私が松江の北京堂を引き継いで間もなく、使っていない部屋がカビだらけになっていることが発覚し、7階に移動することになった。

 

大家さんは非常に良い人で、「カビが発生したのはマンションの構造上の問題ですけん」と言って、家賃を据え置きにしてくれた。どうやら移動した部屋の家賃が一番高いらしかった。

 

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7階の部屋は完全な南西向きの角部屋で、カビの被害は皆無だったが、夏の夕方は強烈な西日が差し込んだり、南側にあるファミリーマートの駐車場にたむろする島大生の喧しい声が時折壁伝いに上がってきたり、宍道湖上を抜けてくる強烈な西風が窓を定期的にガタガタと揺らしたりと、鍼灸院とするには少々問題のある部屋だった。しかし、眺めが良い点だけはお気に入りだった。

 

松江はとにかく太平洋側のようなカラッとした天気が少なく、年間を通してどんよりとした雲が立ち込める、陰鬱とさせるような天候が多かったから、たまに晴れ間がのぞくと、とても嬉しい気持ちになった。師匠が来たのは、そんな希少な晴れ間の日だった。

 

私は施術中であったが、師匠はインターホンを押すや否や、カルビーのポテトチップス数袋と缶ビール数本を満載したスーパーの袋を片手に、お構いなしにズカズカと入ってきた。

 

師匠の後ろには師匠のお友達であるTさんがいて、申し訳なさそうに私に会釈した。師匠とTさんは仕事中の私に迷惑をかけまいと考えたのか、施術室から離れた南側のバルコニーへ出て、酒盛りを始めようとしていた。

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南側のバルコニーは熊野大社のある八雲町付近を望める方角に面していた。ちなみに、熊野大社出雲国風土記に記載のある一之宮の1つで、一説によれば出雲大社より格式が高い神社らしい。熊野大社近辺はほぼ地元民しかいないけれど、観光地化されていない分、騒がしくなくて宜しい。

 

バルコニーには日よけの茶色いタープを張ってあったのだが、師匠は勝手にこれを備え付けの物干し竿で持ち上げ、キャンプ的な空間を作ろうとしていた。私は黙って、師匠に椅子2つとテーブルになりそうな箱を手渡した。Tさんは師匠の成すがまま、ただ見つめているだけだった。

 

私は2010年の夏にTさんから松江の北京堂を引き継いだのだが、当時、Tさんと私は微妙な関係にあった。微妙な関係と言っても、ホモダチとかそういう類の関係ではなく、どちらかと言うと仲が悪いような関係だった。Tさんは私よりも20歳ほど年上の男性で、師匠の旧友でありながら、私より1年早く師匠に弟子入りした、いわば兄弟子だった。

 

諸般の理由により、Tさんは松江の北京堂を辞め、私が引き継ぐことになったのだが、Tさんと私は引き継ぎ期間中にいざこざがあり、軽い喧嘩をして以来、お互い一定の距離を保つようになった。特に火種となった一件は、引き継ぎ期間中にTさんが、「私の治療を希望する患者から予約の電話があっても、私は絶対に施術しないと伝えて」と発言したことにあった。

 

私が「患者が治療を希望しているんだから施術してあげたら良いじゃないですか」と反論したものの、Tさんの意志は固く、患者から電話がくるたびに断らなければならなかった。結局、Tさんの真意はわからなかったけれど、施術できない何かしらの理由があったのかもしれない。

 

平和を好む師匠は、そんなTさんと私の微妙な関係は露知らず、嬉しそうに缶ビールを開けて飲み始めた。私は施術の合間をみて、師匠を接待しなければならなかった。私は、事前に来ることを教えてくれていれば何か食べるものでも用意していたのに、と思ったが、アポなしで訪れることは相手に余計な気遣いをさせないという、心優しい師匠流の社交術なのであろう、と勝手に想像した。

 

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2014年夏に北京の前门で食べた拍黄瓜。

冷蔵庫には、恵曇(えとも)で漁師をしている患者から、腰痛を治したお礼にもらったばかりの魚介類が入っていたが、さすがに治療中に魚をさばくわけにもゆかず、東京に帰った時におかんからもらった、出来合いの、塩味の効きすぎたキュウリの漬物を小皿に盛り付け、すでにバルコニーで盛り上がっていた師匠とTさんに、割りばしを添えて差し出した。

 

北京で過ごした経験のある師匠は、香菜(コリアンダー)をからめた拍黄瓜が好きであるから、きっとキュウリの漬物なら口に合うであろうと予想した。

 

結果、師匠は一口食べるや否や、「これ結構美味いな。頼んでもないのに料理が出てくるなんて、ここはボッタくりバーならぬ、良心的な鍼灸院バーだな」と嬉しそうにつぶやいた。

 

そういえば師匠も、東出雲で開業している時、患者から軽トラックの荷台に満載された魚をお礼にと差し出されたそうだが、さすがに全部はもらえないので断ったらしい。島根は東京と違って農業・漁業従事者が多いから、治療のお礼に食物を頂戴することは珍しくない。

 

私は患者に一通り刺鍼したあと、窓際に椅子を置いて腰掛け、しばし師匠とTさんと会話することにした。

 

私は、Tさんが自らの親指をテーピングで固定しているのを見て、「怪我したんですか?」と問うた。

 

するとTさんは恥ずかしそうに「地元の子供と柔道している時に痛めちゃって」と言った。どうやらTさんはボランティアか何かで、定期的に子供たちと柔道をしているらしかった。Tさんは、はりきゅう・あんま指圧師の免許に加え、柔道整復師の免許も持っていたから、柔道には馴染みがあるようだった。

 

私が「手は鍼灸師の命ですから、手の怪我は鍼灸師としての致命傷になりえますよ」と言うと、師匠も「そりゃそうだよなぁ」と相槌を打った。

 

私は普段から、手を傷つける可能性のあるガラス製品は使わないし、包丁などにも極力触れないように気を付けているが、やはりこういうことはプロ意識というか、責任感の有無によるのであろうか、と思った。 

 

バルコニーから施術室に戻り、患者の様子に問題がないことを確認して再びバルコニーに戻ると、師匠とTさんは、整骨院の不正請求に関するトピックについて話し合っていた。

 

Tさんはここからほど近い場所にある某整骨院がお気に入りで、たまに行っては500円払って、マッサージしてもらっていると言った。師匠が「整骨院なんて不正請求がほとんどでしょ」と、にべ無く言い放つと、Tさんは顔を真っ赤にして「そんなことないよ!」と怒りを露わにした。

 

Tさんは柔道整復師でもあるからか、何が何でも反論したい様子であったが、論証に値するほどの論拠を提示することもできず、ただただ否定するだけだった。 

 

ちなみに、整骨院における療養費の支給対象となる負傷の定義はこれまで、「急性又は亜急性の外傷性の骨折、脱臼、打撲及び捻挫」と定められていた。しかし、医学的には「亜急性の外傷」という概念がないうえに、これが支給対象を曖昧にし、不正請求の要因になっているという指摘があったため、ようやく去年、「亜急性」という文言が削除された。

 

そもそも、整形外科医が足りていなかった時代ならまだしも、現代では骨折したら、まずはレントゲンを撮るために整形外科へ行って医師の診断を仰ぐのが普通だし、打撲は軽度であれば病院に行かず放っておく人がほとんどだろう。

 

確かに、血液凝固因子に異常があるような人は打撲でも命に関わる可能性があるから、かかりつけの病院に行くことはあるかもしれないが、そういった急を要するような病態の人が、第一選択として整骨院へ行くことは稀だろう。さらに、捻挫や脱臼ならば整骨院へ行く患者もいるかもしれないが、通常はまず画像診断を必要とするため、病院へ行こうと考えるのが一般的な感覚であろうと思う。

 

そんなわけで、現状では、整骨院においては急性の骨折、脱臼、打撲、捻挫に限り健康保険適応となるのだが、実際には慢性の肩凝りや腰痛、その他の慢性化した疲労感や痛みを訴える患者を保険適応としているケースが少なくないようだ。おそらく、そうでもしなければ、健康保険適応にできる患者が限られてくるわけで、整骨院の経営そのものが立ち行かなくなる可能性があるのだろう。

 

主張を断固として譲らぬ師匠とTさんの間には、しばし気まずい雰囲気が立ち籠(こ)めていたが、しばらくすると、師匠は何事もなかったかのように別の話題に切り替えた。

 

結局、師匠は、鍼灸院のうららかなバルコニーでTさんと1時間ほど酒盛りしたあと、混み合っている雰囲気の院内を満足気に見まわし、待合室で治療を待っている女性患者に「私、この人の師匠」と脈絡なく言い放ったあと、Tさんと共に、嵐のように去っていった。

 

真正的高手

先日、日本の某テレビ番組で、鍼灸治療の特集をやっていたらしい。

 

日本のメディアは偏向報道が少なくないから、私は普段から極力テレビは観ないようにしている。しかし、多くの患者さんが、「観ましたか、観ましたか」と言ってくるもんだから、どんな番組なのかちょっと気になっていた。

 

すると都合よく、たまに見学に来る鍼灸師のFさんが、「録画したからあとでDVDを送りますよ」と言った。

 

今日、早速DVDが届いたので観ることにした。まぁ予想した通りの内容で、大して面白くもなかったが、番組の中で「中国きっての鍼の名手」などと紹介されていた某中医が、実際には、中国では最も権威のある中国中医科学院の中医でさえ知らない、中国国内では無名に等しい存在であることがわかったことは収穫だった。それと、実際に有名な鍼灸師の施術を受けた患者の動きや表情が、イマイチ芳しくないことが見て取れたことも収穫だったと言えるかもしれない。Fさんには感謝している。

 

某番組では、衢州が「中国針研究の中心地」であるとか、ある中医が「中国きっての鍼の名手」だなどと視聴者を煽るものだから、どれだけすごい中医が出てくるのだろうかと期待した。しかし、画面に現れたのは、見たことも聞いたこともない老中医だった。とにかく、中国語字幕を出さず、老中医の声を日本語吹き替えにしている時点で、怪しさ250%だった。

 

番組が始まって16分ほどすると、鍼の名手だという老中医が重要なセリフを言ったようだった。しかし、中医がそれを言うや否や、吹替の声が中国語を遮るようにして「やっぱりツボができてますね」と日本語で叫んだ。

 

一般的に、中医はそんなセリフを吐かない。私は老中医が言った中国語が聞き取れるよう、音量を最大にした。すると、吹替の声が邪魔をして部分的にしか聞き取れなかったものの、老中医が「疼吗? 这是… … 得气的感觉(痛い?これが…得気と呼ばれる感覚だよ)」と言っていることがわかった。老中医は「ツボができている」なんて微塵も言っていなかった。

 

原語の字幕を出さず全て吹替にして、メディアの意図する通りに情報を操作することは、日本では今に始まったことではない。しかし、誤った情報を、無知な視聴者や純朴な鍼灸師に与えることは到底許されない。メディアは常に真実を伝えるべきで、老中医が言ったことをそのまま放映したり、字幕にするのがフェアなやり方だ。

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また、某番組では、現在の中国の針研究の中心地は衢州であると断言していたが、これは事実とは異なる。中国における中医研究の中心地は北京であり、特にその中核を担っているのは、东直门にある国家中医薬管理局直属の中国中医科学院だ。実際に、百度にも「中国中医科学院是国家中医药管理局直属的集科研、医疗、教学为一体的综合性中医药研究机构,以中医药科学研究作为中心任务」と明確に記されている。この番組を監修した日本の自称鍼灸研究の第一人者や某番組スタッフは、一体何を根拠にして、衢州が針研究の中心地であると断言することができたのであろうか?きっと不勉強な鍼灸師はこの番組を観たら、衢州が中国針灸研究の中心地であると信じ込んでしまうのだろう。全く恐ろしいことだが、もはや日本のメディアにおいては特に珍しいことではない。

 

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2015年にノーベル生理医学賞を受賞した屠呦呦は、北京大学医学部卒業以来、ずっと中国中医科学院で研究を続けているが、現在、彼女は世界的に最も知られている中医(薬学者)の1人である。さらに、中国中医科学院は中国全土から国医大师と呼ばれる名老中医に認定された中医を集め、世界最高レベルの中医専門病院としても機能している。また随時、海外からの研究者を受け入れており、欧米人が頻繁に訪れる様子を鑑みると、欧米圏からの注目度は高いようだ。知られていないのは日本くらいなものだろうと思う。

 

ちなみに、 1949年の北京和平解放後、王雪苔らの助力により、中央政府直属の中医研究機関として針灸療法実験所が設立されたが、これは現在の中国中医科学院針灸研究所の前身である。中国中医科学院は政府公認の中医研究機関として始まったが、現在も中国における中医研究の最高峰として君臨し続けている。


また、近年、中国中医科学院が世界的な成果を収めることができたのは、政府の強い後押しがあった証拠だろう。 

www.catcm.ac.cn

 

2015年には中国中医科学院設立60周年の記念大会が大々的に行われたが、その様子を見るだけでも、政府の力の入れようがどれだけのものかは一目瞭然だ。ゆえに中国中医科学院は、中国政府が最も力を注いでいる、世界最先端をゆく中医研究機関であり、中国における中医研究の中心地となっていることは、紛れもない事実であるとも言える。

 

 さらに言えば、中国で最も有名な老中医だった王雪苔や贺普仁も、みな中国中医科学院に所属する国医大师だったし、そもそも、国家主席がいる北京に、最高レベルの病院を用意し、万が一に備え、有能な中医師を常時待機させておくのは自明の理だ。実際に、多くの地方在住者が最高の治療を求めて集まるのは、首都である北京か、上海などの主要都市にある大病院だ。

 

念のため、私が取引している中国中医科学院直属の針メーカーの社長に、某番組で「中国きっての名手」などと紹介されていた老中医を知っているか聞いてみることにした。

社長も例にもれず低头族なのか、それともたまたまヒマだったのか、すぐに返信がきた。低头族というのは文字通り、常に頭をうなだれてスマホに夢中になっている人々のことだ。

 

私「ちょっとお尋ねしますが、この人は有名な中医?」

 

社長「ごめんなさい、聞いたことないですよ!」

 

私「本当ですか!最近、日本のメディアでこの中医が中国で最も有名な中医であるかの如く報道していたんですよ」

 

社長「(中国中医科学院の)中医の友人達が知っているか聞いておいてあげましょう」

 

私「ところで、現代中国で最も有名な中医は誰だと思います?」

 

社長「王雪苔、邓铁涛、焦树德、程莘农、路志正ですね」

 

ちなみに、この社長の針メーカーは世界的にも有名で、最近は欧米やドバイ、インドネシア、ブラジルなどの市場にも参入し、社長自身、老中医の知り合いも非常に多いようだ。それゆえ、社長の言う言葉には重みがある。おそらく、現在日本で権威とか、専門家とか、プロフェッショナルとか、第一人者とか、ゴッドハンドなどと呼ばれている鍼灸師で、この5人の中医をすべて知っている人はいないだろう。その結果、彼らが監修したがゆえに、地方にいる謎の中医が某番組で取り上げられるというおかしな事態になったのかもしれないな、と思った。

 

社長はヒマなのか、しばらく私と与太話をしたあと、「月末に東京へ行く予定があるが、東京に良い医療機器メーカーはあるか」と聞いてきた。私は、「まぁ、あるにはあるが、おそらく現時点での日本への参入は難しいだろう」と言った。実際に去年、社長一行は大阪からの市場参入を試みたものの、「失敗に終わった」と言った。また社長は、「中医専門の日中翻訳者を用意できなかったことが大きな要因だった」と言った。

 

私が、「そもそも日本は旧態依然としている上に、現在は美容鍼が流行している。それに、まともな中医経典の翻訳書が少ないゆえに、多くの鍼灸師は「气至」や「得气」の手法さえマトモに知らず、知っていたとしても知ったかぶりで、浅鍼を好む傾向にあるのが主な原因だろう」と言うと、社長は、「だから日本の針メーカーは細くて短い針ばかりを生産するのか、中国の老中医はみんな太い針を好むけど」とガッテンした様子であった。

 

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1時間ほど経つと、社長からまた返信があった。

 

「この人のこと、友人の中医数人に聞いてみたけど、みんな知らないみたい」

 

ノベール賞を受賞した屠呦呦は間違いなく、中医の世界では世界的な権威の1人であろう。その屠呦呦が所属する、中国中医科学院の中医師数名が誰1人として、「中国きっての鍼の名手」であるはずの老中医を知らぬ、と言ったのだった。

 

今回、某番組の取材班が、「中国で最も有名な中医がいる場所はどこですか?」とか、「番組で鍼灸の特集を組む予定なのですが、鍼の本場中国へ行くならどこに行くべきでしょう?」などと問うてきたとしたら、私は間違いなく、多くの名老中医が所属し、屠呦呦の話題で最もホットな中医医院である、中国中医科学院を薦めていただろう。

 

ちなみに、某番組では中国の針の見本が紹介されていたけれど、あれは外国人観光客が喜んで買う、中华医针样谱と呼ばれる古代針のレプリカだ。私も研究用として、数年前に数種購入している。あの針は、確かに現在ではほとんど使われていないが、鍼灸研究の第一人者であるならば、「中国ではこのような古代針を改良した黄帝针などの新式の針が、すでに外科手術などで実用化されている」などという解説を、一言加えるべきだったろうと思う。

 

現在、中国では多くの針メーカーがしのぎを削っているから、より痛みが少なく効果が出やすい針を求めて、針のモデルチェンジ、マイナーチェンジが頻繁に行われている。私が取引している北京の某針メーカーの社長も今日、「今また鍼先の改良をしているから、試作品が出来上がったら試してくれないか」と連絡してきた。

 

中国には優秀な中医が沢山存在するから、豊富な知識と多くの臨床経験から生み出された、新たな刺鍼法に伴って革新的な針が発明されたりすることなどはもはや日常茶飯事だ。日本の研究機関では年間で100人程度の新患しか診ないなんて所もあるらしいが、新規の患者を3日に1人しか診れないような鍼灸師が、毎日10人以上の新患を診ている中医に比べ、豊富な臨床経験を積み上げることは果たして可能なのであろうか。鍼灸技術も例にもれず、多くの試行錯誤を経て進化するわけで、研究機関であれば尚更、多種多様な病態の患者を選別することなく受け入れるべきではないのか。中国には、まだ日本では知られていない鍼灸の治療法が山ほどある。それらは、次から次へと来院する患者を、誰彼と区別することなく受け入れ、研究を重ねてきた結果であろうと思う。

 

日本の某番組では、「日本の鍼灸の歴史は1500年以上あります!」と断言していた。しかし、1500年間以上も伝統が続いているにも関わらず、未だに患者や医師から「鍼はプラシーボだ」とか「鍼なんて効かない」などと揶揄されることが少なくない日本の現実を冷静に鑑みると、いったい日本の鍼灸師はこれまで何をやってきたのであろうかという疑念を抱く人もいるかもしれない。

 

実際に中国では近年、伝統針灸がユネスコリストに登録されたり、中医師がノーベル賞を取るなど、着実な成果を残している。また、日本よりも鍼灸の歴史が断然に浅いアメリカにおいても、H.R.6が承認されて、オピオイドクライシスを救うべく鍼灸治療が保険適応となるなど、鍼灸に対する社会的な期待や評価が明らかな高まりを見せている。

 

一方、日本はどうだろう。日本の伝統鍼灸ユネスコに登録されることもなければ、鍼灸中医関係でノーベル賞を受賞した人も未だ見当たらない。さらには、鍼灸治療は保険適応になっているとは言っても、極一部の慢性疾患に限られ、多くの患者が気軽に安く、または無料で鍼灸治療を享受できるような状況は未だ整えられていない。日本には、ゴッドハンドだとか名医だとか言って己を権威付けする輩は、過去にも沢山いたし、現在も腐るほど存在するけれど、世界的な情勢を含めて俯瞰してみると、実際には彼らがどの程度のレベルであるかは自ずと推測できるだろう。

 

それゆえ、私個人の感覚からしてみれば、日本鍼灸の歴史が1500年もあるなんて、恥ずかしくて言えたもんじゃない。もし、老中医の前で得意気にそんなことを言ってしまったら、「日本は1500年もやっていてあの程度らしいよ」と微博で陰口を叩かれる可能性さえ否定できない。いや、微博には、常に日本のテレビ番組を監視している工作員のような中国人が実在するから、もうすでに叩かれているかもしれない。

 

では今後、日本の有望な鍼灸師はどうあるべきだろう。最低限、不確かな情報に惑わされぬよう、今更ながらもソクラテスが言った「無知の知」の意味をしっかりと理解し、常に自らが真実を追求できる術(すべ)を備えておくべきかもしれない。鍼灸師にとって、その術の1つとなるのが、中国語なのである。

 

アメリカで鍼灸が動き出した日(H.R.6 into law!)

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2018年10月24日、トランプ大統領がH.R.6という法案に署名した。

 

これまでアメリカでは、オピオイド薬による死亡者が年間数万人以上に上り、鎮痛薬の過剰摂取が社会問題になっていた。『Dr.HOUSE』で、Hugh Laurie扮するDr.HOUSEが、バイコディン(コデイン)中毒に陥ったのと同じような状況が、多くのアメリカ人においても現実になっていたわけだ。アメリカでは、2017年に約7.2万人の患者が薬害で死亡し、その内2/3はオピオイド薬が原因とされている。

 

しかし、現在はH.R.6が認可され、鍼灸師がヘルスケアシステムの一員となり、疼痛と薬害で板挟みになって苦しんでいた患者たちは疼痛緩和の一手段として、病院で鍼灸施術を受けることが可能となった。健康保険を使えば無料で治療を受けられるそうだ。ちなみに、リアルトランプのツイッターによれば、トランプ大統領中医医院での腰痛治療が習慣化しているらしい。 

 

baijiahao.baidu.com

 

中国ではすでに、H.R.6関連ニュースで微博や微信が騒がしくなっている。一方、日本では、H.R.6法案通過から4か月余り経過した今も、報道はほぼゼロに等しい。日本には鍼灸師が十数万人いるにも関わらず、今のところ、ブログやSNSなどでもH.R.6に関して触れている日本の鍼灸師はほとんど見当たらない。全く、恐ろしい状況だ。

 

近年、日本のメディアは中国を叩くことが仕事の1つのような風潮があるから、今後も日本ではH.R.6について報道されない可能性もある。密かにこのブログを見ている、自称日本鍼灸界の権威やゴッドハンドらが、あとになって騒ぎ出す可能性はあるが、おそらく現時点では、日本の鍼灸師でH.R.6について知っている人は極僅かであろうと推測される。

 

もちろん、アメリカや中国に何らかのコネクションがあるとか、常に海外からの情報を独自に入手する体制が整っているようなグローバルな鍼灸師なら、H.R.6については当然知っているだろう。

 

私は大してグローバルではないけれど、北京の某鍼灸メーカーの社長やその社員たちと微信でお友達になっているから、幸いにも朋友圈で常に最新の針灸・中医関係の情報を得ることができるし、微博でも随時様々な情報が入ってくるようになっている。それと最近は、N.Y.で針灸師ライセンスを取得した某女史が治療見学に来て、お知り合いになったから、色々とアメリカの医療情報などを教えてもらえて助かっている。

 

日本では、中国語で中医文献が読めずとも、世界の鍼灸事情を知らずとも、容易に権威を装えるという、旧態依然とした感じが未だ根強い。それゆえ、そういう鍼灸師に師事しているような鍼灸師は、世情を知らぬまま、根拠なく日本の鍼灸が最高であると盲信しているようなケースが少なくない。呆れたことに日本メディアの影響か、中国人は未だに人民服を着て生活しているとか、中国は日本より科学技術が30年遅れているなどと信じ込んでいる人も少なくない。

 

アメリカの鍼灸師も日本と同様、中国語を解せる人は少ないようだ。しかし実際には、日本の鍼灸師に比べ、正統な中医学に基づいた治療をしている人が少なからず存在するらしい。おそらくアメリカは英語圏ゆえ、日本には流通しない英訳の中医文献が沢山存在するから、アメリカの鍼灸師は本物の中医文献に触れる機会が多く、日本の鍼灸師に比べ、再現性のある治療効果を出せる人がそれなりにいるのだろう。そうでなければ、鍼灸オピオイド薬の代替として、病院で採用されることはなかったかもしれない。

 

日本では、10年以上も前から「エビデンスエビデンス!」などと、英語を覚えたてのオカメインコのように騒いでいる鍼灸師がいるけれど、毎日多くの患者に接し、1~3回の施術で効果が出るような、再現性のある鍼灸治療を実践できている鍼灸師はどれくらい存在するのだろう。もし、そういった腕の良い鍼灸師が数多存在しているのであれば、すでに日本でも、アメリカのように鎮痛薬に変わる手段として、病院で鍼灸が選ばれるような状況になっていたかもしれない。とにかく、鍼灸に明らかな効果が見られるならば、多くの医師が患者に鍼灸を勧めるだろう。

 

科学では再現性が最も重要だ。人体の構造は基本的にみな同じなのだから、同じように刺鍼して同じように治らなければ、エビデンスと高らかに叫んでいようが、どんな高尚な治療理論であろうが、科学的とは言えない。

 

アメリカでも薬品メーカーの力が大きいから、針灸が今後どのように扱われていくのか予測がつかないが、トランプ大統領が“the opioid crisis”に対処すると高らかに宣言し、鎮痛薬の氾濫を抑え込むため、鍼灸を医学の一部として取り入れた意義は非常に大きい。

 

しかし、acupunctureと言っても、主には正統な中国医学に基づく中国針灸のことであると推察され、中国針灸がユネスコ入りしたり、屠呦呦が中国人初のノーベル生理学・医学賞を受賞した流れでのH.R.6承認とみるべきで、日本鍼灸が影響していると考えるのは早計だろう。ちなみに、中国人は巨大なビジネスチャンスとばかりに、すでに動き出しているようだ。

 

N.Y.で鍼灸師をしている知り合いの某女史は、「この流れが日本に行く日も近い」と言う。確かに、アメリカの影響が大きい日本国であるから、何れは日本の鍼灸業界にも何らかの影響が出るかもしれない。

 

しかし、日本でも再現性のある治療ができる優秀な鍼灸師が増えなければ、アメリカからの影響が出たとしても、結局は多くの医師や患者に針治療を選ばれぬまま、何ら現状と変わらない可能性もある。いやむしろ、美容鍼や明確な効果がみられない慰安鍼しかやってこなかったような、疼痛専門の実践的技術を持たぬ鍼灸師が無鉄砲な施術に走れば、刺鍼事故が増加したり、鍼灸界の醜態が露呈する可能性もある。

 

現在、鍼灸業界においても、中国やアメリカの勢力は増すばかりだ。日本の鍼灸師もウカウカしていたら、近い将来、路頭に迷うようになるかもしれない。

長野へ行った話⑤(終)

最終日は小布施と戸隠へ行くことにした。帰りの新幹線が15時発だったから、14時くらいまでには長野駅へ戻れるよう、予定を組むことにした。

 

天気予報では翌日から大寒波が襲来するという話で、まだそんなに寒くはなかったが、戸隠あたりはすでに雪が積もっているらしかった。

 

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ホテルは9時前にチェックアウトし、長野駅東口のコインパーキングに停めておいたレンタカーに乗り、9時過ぎに出発した。渋滞はほとんどなく、30分ほどで小布施に到着した。

 

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小布施といえば、栗菓子と北斎館が有名だ。駐車場へ入るや否や、北斎館の端にある小屋でヒマそうに座っていた中年男性が、我々の車に近寄ってきた。すぐに駐車料金の回収だと気が付いたから、窓を開けて、500円玉を1枚差し出した。駐車料金は400円だった。

 

平日の午前ゆえか観光客がほとんどおらず、駐車場には先客が1台停めているだけだった。北斎館の入館料は1000円だった。館内は静かだったが、内装業者が時折大声でしゃべっていた。

 

入口からすぐの場所にミニシアター的な空間があり、北斎と小布施の関係を紹介する動画を流していた。動画は2種あり、とりあえず、すでに流れている動画を途中から観ることにした。

 

動画はショートムービーのようで、中々面白かった。1本目の動画が終わると、短時間の休憩タイムがあった。すると、2本目の動画が始まるや否や、見知らぬおばちゃんが、館内の見知らぬ観光客たちに向かって、関西弁なまりの標準語で「始まりますよ!」と叫んだ。本来、美術館では何をどう鑑賞しようが個人の勝手だ。他の観光客など放っておけば良いと思ったが、おばちゃんは御節介な人らしかった。

 

途中、ABCらしき家族のツアー客がゾロゾロと館内に入ってきた。その中に、挙動不審な若者が何人かいて、館内の空気を乱しているようだった。ABCというのはAmerican-born Chineseの略で、黄色人種(中国人)なのに中身は白色人種のようであるから、中国では香蕉人(バナナ人)と呼ぶこともある。

 

逆に、海外移住後も中国文化に染まったままの中国人は、外見も中身も黄色(アジア人)のままだから、芒果人(マンゴー人)と呼んだりする。さらに、中国文化にドップリと傾倒している白人のことは、外観が白いのに中身が中国人のようであるから、鸡蛋人(タマゴ人)と呼ぶ。ちなみに、中医批判の本を上梓したり、ウェブ上で似非科学や宗教批判に躍起になっている中国人の某作家は、ウェブ上で香蕉人と揶揄されることもあれば、无理取闹な人だとか、洋奴などとも呼ばれることもあるようだ。

 

動画を見終わったあとは、こびととは別行動で、館内に掲示された浮世絵を観ることにした。たまに、美術館で知ったかぶりの知識を大声で披露している迷惑千万な輩がいるけれど、芸術性の高い作品は、可能な限り静かな環境かつ自分のペースで鑑賞したい、と常々思う。

 

しばらくすると、こびとがABCらしきオッサンに話しかけられていた。彼は香港近くの何とか島の出身で、20年前にオーストラリアへ移住し、医者をしていると言った。今回は東京で行われていた医学会議に出席するため、日本へ来たとのことだった。日本語は全く解せない様子であったが、当然ながら英語と普通话はネイティブレベルだった。日本には家族と2週間滞在する予定で、京都や北海道へ行ったあと、何故か長野市の小布施へ来た、と言った。さらに、彼は「北斎の絵は素晴らしい」と言った。私が鍼灸師をやっていると言うと、オッサンは私も患者の希望があれば針治療をすると言った。オーストラリアでも、去年トランプ大統領が署名した某法案の影響があるのだろうか、と想像した。

 

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北斎館を出たあとは、隣にある高井鴻山記念館へ行こうと思ったが、時間がなかったので、すぐに戸隠神社へ行くことにした。 

 

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戸隠周辺は少し雪が積もっていたが、道路の雪は解けていて、走りやすかった。今回は、最短距離に位置する奥社だけお参りすることにした。

 

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参道には15cmくらい雪が積もっていた。鳥居付近の木に「クマ出没注意」の表示があった。最近は食糧不足などが原因で冬眠しない熊がいるらしいから、冬場でも熊に遭遇する可能性がある。新宿か吉祥寺のモンベルで熊除けの鈴を買っておくべきだったと後悔した。

 

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冬の平日ゆえか歩いている人はほとんどおらず、遠くに1人、2人幽(かす)かに人影が見えるくらいだった。時間はちょうど12:30を過ぎていた。公衆トイレに置いてあった地図によれば、奥社までの距離は約2キロあり、この路面状況だと、最低でも往復1時間はかかるだろうと予測した。新幹線は15:00発だから、13:30までには戸隠を出なければならなかった。本当は、参道入口にあったそば屋でそばを食いたかったが、今回は諦めることにした。

 

木漏れ日の下、平坦な道をしばし歩くと、茅葺屋根が印象的な随神門が見えてきた。屋根には先の尖った大きなツララが無数にぶら下がっており、落ちて来ぬものかという一抹の不安を抱きながら、素早く通過した。ノースフェイスのブーツを履いていたから積雪は問題なかったけれど、日陰ではツルツルと滑って危険だった。トレッキングシューズか後付けのスパイクを持参するべきだったな、と後悔したが、ここで戻るのは癪に触るから、気合で歩き続けることにした。こびとはUGGのブーツを履いていたが、ノースフェイスのブーツより酷く滑っていた。

 

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転倒寸前な状態で15分ほど歩き続けると、さすがに息が上がってきて、正面から歩いてきた中年カップルに、思わず「奥社はあとどのくらいですか?」と聞いてしまった。夫らしき男性が「あと10分くらいですよ」と言ったが、凍結して滑り台のようになっていた階段を目の前にすると、まだまだ時間がかかりそうな気がした。

 

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結局、奥社に着いたのはちょうど13時だった。帰りは半ば滑りながら下った。時間はかなりタイトだったが、奥社にお参りできて満足した。

 

予定通り、14時過ぎにはレンタカーを返却することができた。新幹線の出発時刻まで少し時間があったので、長野駅東口1階の土産屋を冷やかすことにした。中国人らしき若者数人が、お土産に何を買うかで何やらもめていた。店員の中年女性は中国人と片言の英語でやり取りしていたが、お互いに理解できていない様子だった。

 

やはり、これからは日本でも、华人やヨーロッパの人々のように多言語を自在に操れなければ、どこにでもあるサービス業なんかは外国人に職を奪われてしまうケースが増えてくるかもしれない。実際、最近のサービス業では流暢な日本語をしゃべる中国人が腐りそうなほど存在するけれど、高考対策で狂ったように勉強した中国人にとっては、日本語や英語をマスターするなんてのは朝飯前なのだろう。

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土産屋を出たあとは、隣にあったそば屋でそばを食べることにした。店内は厨房を囲むようなコの字型のカウンター席のみで、東京の立ち食いそば屋を二回り大きくしたくらいの広さだった。昼時を過ぎていたからか客はまばらで、店内には地元民らしきお爺さんが独りで座っているだけで、ラジオの音だけが静かに流れていた。温かい鴨南蛮そばを注文した。この類のそば屋にしては中々美味かった。

 

 

 

長野へ行った話④

本堂をお参りしたあとは、本堂裏手にある善光寺史料館へ行くことにした。240万余りの英霊が祀られた霊廟ゆえか、九段下にある某神社のような雰囲気が感じられて、あまり長居できなかった。何より、床下から足に伝わる冷気が強すぎた。

 

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史料館の外には、なぜか牛2頭のレプリカが飾ってあった。足元を見ると、森永乳業寄贈、と記されていた。どこぞの暇人が、牛の耳の上に椿らしき花を置いていた。 

 

こびとが、参道にある昭和チックな本屋で買ったばかりの、フクロウ柄の御朱印帳に早速御朱印してもらいたいと言ったので、勧募窓口へ行くことにした。

 

受付にいた初老の僧侶らしき男性に300円を手渡した。彼は慣れた手つきで御朱印帳を開き、サラサラと筆を滑らせ、最後に朱色の判子をポンと押し、判子が別のページに写らぬよう半紙を挟み、無言でこちらに差し出した。出雲大社に比べると、中々面白みのある御朱印だった。

 

長野と言えば、信州蕎麦以外にお焼きがあるから、お焼きの美味そうな店を探すことにした。10年ほど前に、奥多摩あたりで美味いお焼きを食べたことがある。具材は野沢菜を炒めたらしきモノで、皮はモチモチとしていて美味かった。今回も同じようなお焼きが食べられるのではないかと密かに期待していた。

 

参道でお焼きを売っている店は数店あったが、観光客が少ないためか、大半は冷めたお焼きしか置いていないようだった。出来れば热乎乎なお焼きを食べたかったから、湯気が立ち上る店を探すことにした。結局、1店舗だけ湯気が上っている店があった。粒あん入りのお焼きを買ってみたが、コンビニの中華まんのような柔らかめの生地で、個人的にはもっとモッチリしている方がいいな、と思った。

 

仁王門を出たあとは、八幡屋磯五郎で師匠へのお土産に詰め合わせの唐からしセットを買った。ここの七味は東京だとカルディコーヒーなどで購入できるが、香りが素晴らしく、温かいそばに入れて食べると大変によろしい。一味は辛すぎるから、個人的にはベーシックな七味と深煎七味が特によろしい。そういえば、某メーカーの七味には、何かの陰謀かと思わせる如き大粒の芥子の実が入っており、至って食べにくいから買わないことにしている。

 

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善光寺を出たあとは、温泉へ行くことにした。アメリカンなんとかという薬局などに寄り道していたら、すでに日が暮れかかっていた。長野市の良いところは、逢魔が時にアルプスの美しい稜線が見えることだ。東京でも青梅市あたりへ行けば山が綺麗に見えるけれど、長野付近のアルプスが最も急峻で美しい。やはり、山が見えると心が落ち着く。

 

温泉を調べる時は、基本的にGoogleMapの口コミを参考にしている。アマゾンと同様、高評価にはヤラセ的な怪しい口コミが多いが、低評価の口コミはだいたい真実であることが多い。確かに同業者やオツムがアレな人々が嘘を書いていることもあるが、特に病院などは実際に行ってみると、口コミに書かれたとおりの酷さであることがよくある。

 

ちなみに、鍼灸院や整骨院のGoogleMapの口コミで、5つ星の評価しかなく、その評価者のアカウントがすべて新規であったり、他の商店などを評価している形跡がなければ、オーナーの自作自演である可能性が高い。だいたい、口コミで広まったような、本当に患者から信頼されている鍼灸院は、患者が自分の予約が取りにくくなるのを恐れ、口外しない傾向にあるから、GoogleMapの口コミが増えることはあまりない。特に、10年以上前から、GoogleMapが登場するより前から存在する鍼灸院などにそういう傾向が顕著だ。

 

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今回は、ゆったり苑という温泉へ行った。何よりも清潔そうな感じが決め手になった。地元民らしき人々でかなり混んでいたが、洗い場や浴槽に入れないというほど混んではいなかった。むしろ、露天風呂は人が少なく快適だった。

 

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風呂上りは「無重力マッサージ」を謳うマッサージ機に座ってみたが、重力下で無重力マッサージなんてできるはずもなく、結局、座面が180度くらいまで開いてかなり後方まで倒れるもんだから、気分が悪くなり、騙された気がした。マッサージ機の横には、珍しく瓶入りコークの販売機があった。個人的には、これは麻薬であると認識しているが、実際に1年に1回くらいは飲みたくなることがある。ちなみに、中学生以来、中毒だったドクターペッパーはすでに卒業している。

 

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結局、八ヶ岳乳業の牛乳を飲むことにした。マクロビオティックなどに傾倒している人々は牛乳なんて飲むなと言うが、「人間に牛乳は必要ない!牛乳は絶対に飲まない!」とキチ〇イ染みた感じでヒステリックになって叫んでいる人よりも、「たまに牛乳飲むかな」というような具合に囚われが少ない人の方が健康に生きているように思える。確かに、放射性物質まみれの食品はヒステリックになってでも避けるべきだが、そういう危険性のない牛乳はたまに飲むくらいなら良いと思う。 

 

温泉に入って体がポカポカしたあとは、市内を車でグルグル廻って良さそうな飯屋を探すことにした。しかし、1時間ほど探したが、善光寺付近を離れると恐ろしいくらいに閑散としていて、結局、長野駅前に戻ることにした。一旦ホテルに戻って荷物を置いてから、徒歩で駅まで行き、再度飯屋を探すことにした。

 

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駅前にはお天気キャスターらしき女性と撮影スタッフが、夕方の生放送らしき準備をしていた。きっと、毎日この場所で撮影しているのだろうな、と思った。

 

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まだ真新しさが感じられる駅ビルのスーパーは、主に観光客向けの品ばかりで、どれも割高に感じられた。なんで島根の干し柿が売っているのだろうかと思ったら、「島娘」という商品名の、JA佐渡干し柿だった。

 

島根県の柿と言えば、宍道湖沿いの湖北線に看板がある富有柿や、プリっとした形の西条柿が有名だ。島根県と仲良しなのか敵(かたき)なのかわからぬ鳥取県でも西条柿は有名で、すでに16世紀半ばには武士の保存食として渋柿の加工が始まっていたらしい。

 

東京で栽培されている柿は基本的に甘柿だ。西条柿は渋柿だから、わざわざ渋抜きをしないと食べられない。最初から甘柿を植えりゃあ面倒がなくて良いと思うが、そうなると関東と差別化が図れないから、未だにドライアイスを使って渋抜きして、特産品として売り出す必要性があるのかもしれない。まぁ、食は多様性があった方が良い。

 

実家の庭には柿の木が何本かあったが、どれも典型的な甘柿で、成熟するとタンニンが黒く固まって斑点になる、カリカリ、ザラザラとした食感が特徴の品種だった。柿は庭で好きなだけもげたから、実家を離れるまでは、市販の柿はほとんど食べる機会が無かった。それゆえ、島根で初めて渋柿の切り口を見た時は、余りにも味気ない感じで驚いたが、実際に食べてみると、西条柿の上品な口当たりは中々良いものだと知った。 

 

柿は中国の長江・黄河流域が原産だが、現在は中国各地で栽培されており、900種以上の柿が存在しているそうだ。日本には平安期に中国大陸から伝播し栽培が始まったと言われているが、フランスやアメリカには19世紀頃に伝播し、アメリカ東部には氷点下18度でも育つ品種が存在するらしい。中国ではドロドロに熟した柿を食べるのが好まれると聞いたことがあるけれど、実際にはどうなんだろう。

 

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そういえば、たまに散歩に出かける、皇居東御苑にも小さな柿の木がある。東御苑内には多種多様な植物がみられるが、柿は祇園坊、四溝、禅寺丸、堂上蜂屋、豊岡などが植えられている。

 

駅ビル1階のスーパーを冷やかしたあとは、2階へ上がることにした。2階は長野産の土産が一堂に会したような雰囲気で、小布施の栗菓子や地酒、ハム、キノコの加工品などが並べられていた。

 

ある土産屋には、ギャル風のお姉さんが店頭に立っていたが、こびとが「あの人つけまつげがズレてるよ!」と耳打ちしてきた。怪談話に出てきそうなほどホラブルなズレかただったが、接客中のお姉さんにまつげを直す余裕はないようだった。

 

3階にはアメリカのアップルのロゴをパクったような看板が掲げられた広場があったが、ほとんどの椅子は高校生が占領していた。外は寒いし、東京と違って、駅ナカ以外にたむろする場所がないんだろうな、と思った。

 

3階の飯屋は、東京でも馴染みのあるチェーン店ばかりだった。定食屋とかつ丼屋もあったが、どこも満席で、必然的にチェーン店を選ぶしかなかった。信州蕎麦の店もあるにはあったが、こびとが「昼に蕎麦を食べたから蕎麦以外のものにしよう」と言った。駅ビルを出て、見慣れぬ街を徘徊する気力はなかったので、某パスタ屋で妥協することにした。

 

長野県に旅行に来て、東京にもチェーン店がある岡山県の会社が経営する神奈川県鎌倉市風のパスタを食べるのはいかがなものかと思ったが、コンビニの弁当を食べるのもアレだと思い、仕方なく入ることにした。

 

食後は連絡通路を通って隣の商業施設へ移動したが、東京で見慣れた商品ばかりで面白くなかった。最近、駅ビルのテナントは全国どこへ行っても同じ様相を呈しているように感じるが、どこでも同じサービスや商品を享受できるという点に関しては、便利なのだろうな、と思った。 

 

1階にはスタバがあったが、東京のスタバに比べ、スタバ特有の雰囲気に、より一層ドップリ浸っているような人が多いように感じられた。

 

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スタバを冷やかしたあとは駅前のドン・キホーテへ行ったが、甲州銘菓である信玄桃に一模一样な菓子や、北海道銘菓である白い恋人と間違えて買ってしまいそうな菓子があった。土産菓子は全国各地に似たものが存在するけれど、ここまでくると、もはやどこが元祖なのかわからなくなってくる。やはり、トラブルを避けるためにも、商標登録は必須だな、と思った。

長野へ行った話③

そばを食べたあとは、参道を上り、善光寺へお参りすることにした。参道は緩やかな坂になっていた。

 

参道には様々な店が並んでいたが、どこも閑散としていて唯一、人だかりが出来ていたのは、八幡屋磯五郎(やわたやいそごろう)という善光寺門前にある七味唐辛子の専門店だけだった。 

 

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店頭には八幡屋磯五郎のランドマークらしき七味唐辛子の罐を大きくした椅子が置かれており、観光客の大半はこの椅子に腰掛けて写真を撮っていた。こびとが写真を撮ってくれと言ったので、何枚か撮ってやった。適当にシャッターを切ったつもりだったが、案外巧(うま)い写真が撮れた。

 

店頭に置かれた椅子はすでに数か所に凹みがみられた。おそらく、観光客が座る際に意図せずして蹴りを入れた結果であろうが、椅子にはそれなりの耐久性と強度が求められるわけで、簡単に凹む素材をボディに使うのはいかがなものか、強度試験は行っているのだろうか、などと考えた。他で売っている缶スツールは、蹴りを入れてもそう簡単には凹まないし、一般的なオイル缶ベースのスツールの相場は5,000円前後だ。これで16,200円はちょっと高い。デザインは中々良いから、もう少し強度を上げて安くなれば買う気になるかもしれないな、と思った。

 

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門前には様々な土産物屋が並んでいたが、どこも空いていたので、のんびりと歩くことができた。土日だとかなり混むそうだから、平日に観光できる自営業は大変よろしい。

 

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善光寺は642年の創建以来、たびたび火事に遭っているそうで、現在の本堂は1707年(宝永4年)に再建されたらしい。1707年と言えば宝永大噴火があった年だ。本堂は国宝建造物では、東日本最大だそうだ。

 

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善光寺と言えば、本堂床下にある全長45mのお戒壇めぐりが有名だ。券売機でお戒壇めぐりと善光寺史料館拝観が可能なチケットを2枚購入した。券売機の前にはびんずる尊者と呼ばれている仏像があり、自分の病んだ部分をなでると神通力で治してもらえるらしく、欲望に忠実な中高年者がペタペタと仏像を撫でまわしていた。仏像は度重なるペタペタ行為で出羽三山即身仏のような風貌になっていた。

 

有料のためか、お戒壇めぐりをしている人はほとんどいなかった。戒壇の入り口には「携帯電話などでお戒壇内を照らすのはお止めください」と、朱色の筆で書かれた注意書きがあった。最近はマナーや節度が欠如したD〇Nが増えているから、戒壇内で騒いだり、ライトを照らして動画撮影する輩がいるのかもしれないな、と思った。

 

戒壇の入り口には、大学生の一人旅と思しき、中肉中背の若い男が立っていたが、どうやら入り口から垣間見える闇に恐れ戦(おのの)いている様子で、遠巻きに入口を眺めながら、誰か先に入らぬものかと待っている様子であった。仕方がないので、まずは私が率先して入ることにした。

 

10段ほどの狭い階段を下ると、入口から奥はまさに漆黒の闇だった。戒壇内に足を踏み入れた瞬間、忘れていたある古い記憶が、パッとフラッシュバックした。

 

もう20年ほど前の話だ。バイクの免許を取得して間もない頃、バイク乗りの仲間数人と、富士へツーリングに行った。我々は怖いもの見たさで富士の樹海を練り歩いたあと、いくつかの氷穴をめぐり、最後に某神社内にある古い洞穴内を探検してみよう、ということになった。某神社の場所は地図に記されていなかったが、何とか辿り着くことができた。この洞穴は、宝永大噴火よりも前の噴火による溶岩流で形成され、何故か、100km近く離れた江の島まで通じているという伝説がある。

 

この洞穴を含む神社は心霊スポットとしても有名で、鳥居をくぐると霊障で帰りに事故ると噂されていたから、みな鳥居をくぐらずに入った。奇妙なことに、洞穴内に入ろうとするや否や、不意に1匹の蜂が入口をふさぎ、これ以上は進むなという素振りを見せた。唯物主義者に近かった我々は少しひるんだが、ここはかつては富士信仰の修行場であったはずだから入っても問題なかろう、と楽観的に考え、洞穴内へ入ることにした(現在、洞穴内への入場は許可制になっている)。

 

洞穴内はひんやりと涼しく、ほぼ真っ暗で、かがまなければ入れないほど天井が低かった。ぬかるんだ足元に注意しながら進むと、誰かが灯した小さな蝋燭が幽かに狭い範囲を照らしており、奥に小さな石仏が安置されているのが見えた。

 

石仏に向かって合掌したあと、すぐに神社を出ることにしたが、帰り際に何気なく鳥居を見上げると、鳥居に掛けられていた注連縄(しめなわ)が真ん中から真っ二つにちぎれていることに気が付いた。これは不味い場所に来てしまったかな、とみな顔を見合わせ、足早にその場を離れることにした。本当はこの神社の近くにある、私の好きな女優が経営するお洒落なカフェに行く予定だったが、何だかんだで行く気が失せてしまった。

 

何の明かりも灯さず戒壇内を歩くという行為は、現代人が忘れていた原始的な恐怖感を呼び覚ますようで、積極的に入りたいと思う人はあまりいないかもしれない。しかし、一方で、未知の世界に対する好奇心も湧き上がってくるわけで、とりあえず、入ってみることにした。

 

右側壁面にある手すりを右手でたどり、御本尊の真下にある「鍵」に触れることができれば、功徳が得られるとか、死んだあと極楽浄土に行けるなどと言われているらしい。

 

戒壇内を数メートル歩くと、入口から差し込んでいた明かりが完全に途絶え、眼が全く役に立たない状態になった。当然ながら、眼は光があってこそ機能するから、真っ暗闇では眼を開いていようが閉じていようが同じであることに、今更ながら気が付いた。

 

戒壇内は暗いだけでなく、無音でもあったから、方向感覚が完全に無くなってしまうようで、このまま進んだら異次元に飛んでしまうのではなかろうか、という妙な不安が込み上げてきた。

 

手すりを頼りにしばし歩くと、通路が右に曲がっているのがわかった。しかし暗すぎて、どのくらいの距離を歩いたかが判然とせず、その先のルートもわからなかったので、ここは小さな広場になっていて、ここからUターンして入口まで戻るのであろうな、と頭の中で空間を描き、適当に判断した。前後には誰の気配も感じられなかったから、とりあえず、再び来た道を戻ることにした。

 

しばらく歩くと、正面から誰かが近づいて来るのがわかった。きっと遅れて入ってきたこびとだろうと思い、その体を軽く叩いて、「先に出とくよ」と言った。すると、少し離れた場所から、こびとの「わかった」と言う声が聞こえたが、同時にすぐそばで「ヒッ!」と驚くような声が聞こえた。

 

遅いなぁと思いながら入口を覗き込んで待っていると、こびとが何事もなかったかのように、お堂の奥からピコピコとこちらへ向かって歩いてきた。目の前にある入り口から出てくると思い込んでいた人が、予想外にも別の場所から出てきたもんだから、心臓が飛び出しそうになったが、驚いた素振りを見せたらこびとに馬鹿にされると思い、平静を装うことにした。

 

どうやら本当の出口は本堂の奥にあるらしかった。本来、戒壇内はUターンせず、そのまま道なりに進まねばならなかったらしい。ちなみに、私が戒壇内で触れた人はこびとではなく、我々の後から入ってきた大学生らしかった。きっと彼は何も見えぬ暗闇で、逆走禁止の戒壇内を逆走する人に不意に体を触られて、さぞや驚いたに違いない、ちょっと可哀そうなことをしたな、と思った。

 

その大学生はこびとが出てきたあと数分遅れでやっと出口から顔を出したが、予想外の恐怖体験にかなり憔悴(しょうすい)しているように見えた。自分がある意味DQ〇を馬鹿にできない行為をしてしまったことに、少し後悔した。

 

こびとが、「途中でUターンするのは縁起が良くない」と言ったので、もう一度最初から、お戒壇めぐりをすることになった。ハッキリ言って戒壇内は心地の良いものではなく、何も見えない状態でルートもわからぬまま45m歩くことは、それなりの精神力を要することがわかった。

 

真っ暗な戒壇内では、常軌を逸し、発狂したり、錯乱してしまう人が少なからずいるのではなかろうか。私が戒壇内にいた時は前後に誰も歩いている人がおらず、少しばかり強烈な体験になったけれど、何故だかもう1度めぐってみたい気もした。