東京つばめ鍼灸院長のブログ( ´∀`)

完全無所属、無宗教、東京つばめ鍼灸院長が不定期に更新中。

怪談の町の思い出

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松江の北京堂を引き継いで半年ほど経った2011年3月11日、東日本大震災が発生した。しかしながら、松江市内は至って平和に感じられた。

 

ほぼ毎日、海潮(うしお)温泉へ行っているという東忌部(いんべ)人の患者が、「あの地震の前日だけですよ、源泉の色があんな茶色く濁ったのは」と言っていたくらいで、テレビからけたたましく流れ出る大地震関連のニュースは、まるで他人事のようで、多くの患者は平時と変わらぬ様子で過ごしていた。

 

そんな中、東京人にとっては甘すぎる鯵(あじ)の南蛮漬けを定期的にもってきてくれる患者のKさんが、「つい先日、松江歴史館が完成したのよ。早速行って来たけど大した事なかったわ。まぁ、先生も行ってみたら」と言った。

 

Kさんは元々、十数年も前から、線維筋痛症の如き謎の全身痛を患っており、北京堂に出逢うまでは歩くことさえできなかったそうだ。しかし、師匠の施術で歩けるようになり、私の施術で小走りできるようになったものの、完治には至らず、定期的に通院していた。

 

ある時、Kさんが「先生、お土産です」と言って、カンボジアで買ってきたという小さな荒彫りの仏像を差し出した。村八分の存在を信じていた純朴な東京人は断ることもできず、お礼を言って受け取ったわけだが、本来信仰するものがない人間にとって、出所の知れぬ仏像のお土産は、あまり気分が良いモノではなかった。

 

そういえば、師匠と三鷹市の僻地で北京堂を開業して間もない頃、予約がほとんど入らない日々に業を煮やした師匠が、「これはきっと妹が中国から買ってきた仏壇の扉を開けているせいだ!不吉だから仏壇の扉を閉めましょう!」と叫んだことがあった。

 

師匠は本来、出雲教に熱心だったお母さんが買ってきた、毎年買い替えるべきお札(ふだ)を何年も無造作に壁に掲げておくほど、宗教には無関心であった。しかし、妹さんからお土産でもらったという、手の平サイズの怪しい仏壇を処分することができず、何故か本棚に飾ったままにしてあった。

 

「黄泉平坂(よもつひらさか)にある、黄泉への入り口を塞いでいるという大きな岩は、実は私たちが若い頃に運ばされたものです」と、出雲訛りの標準語で暴露したお父さんと同様、師匠も典型的な唯物論者であるはずだったが、鍼灸院営業不振の原因は、ミニ仏壇の扉が開いていることにあると思い込んでいるらしかった。

 

私は「今は開業して間もないし、ここは僻地だから、最初は患者が来なくて当然だ」と思っていたから、仏壇の扉を閉めても何も変わりゃあしないだろう、と高を括(くく)っていた。

 

しかし、師匠が仏壇の扉を閉じるや否や、院内の電話の着信音が鳴り響いて新規の予約が入ったもんだから、師匠は仏壇が良からぬオーラの泉となっていることを確信した様子であった。

 

当時、松江市では、2007年から「松江開府400年祭」が始まっており、2011年はこの祭の集大成として、「松江開府400年記念博覧会」が開催されることになっていた。松江歴史館はこのタイミングに合わせて開館したようだった。

 

ちょうど同時期、隣の出雲市では、独身女子が出雲大社で願掛け参りするというブームに火がつき始めていて、松江市もそれに肖(あやか)って、何とかして観光客を増やしちゃろう、という気運が高まっていた。

 

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しかし、観光という点においては、松江市には出雲大社ほど強烈なスポットが存在せず、松江城は未だ国宝に認定されていなかったし、独身女子を魅了するようなモノも皆無に等しかったせいか、境港市の妖怪ロード成功に便乗して、松江市を怪談の町として売り出してはどうか、と言う話があった。

 

例えば、松江市にゆかりのある小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の怪談話に関係のあるエリアを巡る、松江市独自の怪談ツアーなどを定期的に開催する、という話だ。

 

そんな中、完成して間もない松江歴史館で、私の好きなフロッグマントークショーをすると言う話を、2ちゃんねるのスレッドで時折見られる「あげ」は出雲弁である、と信じていた、毎年「すてきな奥さん」のリッラクマ付録を楽しみにしていた某患者から聞いた。

 

その患者曰く、今をときめくフロッグマンと、「怪談」の代名詞のような存在である小泉八雲の子孫とをコラボさせ、松江を盛り上げていこうという作戦なのではないか、という話だった。

 

結局、件(くだん)のトークショーを見るため、仕事を早めに切り上げて松江歴史館に行ってみたものの、今となっては、最前列に陣取っていたフロッグマンの熱心なファンらしき人々が、頻繁に頷(うなず)く映像しか脳裏に浮かばず、彼らがどんな内容を話したかは、もうスッカリ忘れてしまった。

 

フロッグマンは確かに才能のある人だと思う。彼の代表作は「鷹の爪」だけれど、最もセンスを感じるのは「京浜家族」である。

 

「鷹の爪」は、随所に島根を皮肉るセリフが散りばめられている、奇抜かつ斬新なフラッシュアニメの走りであったが、老年人口の占める割合が多い島根県においては、フラッシュアニメ自体を知らぬ人が多かったから、話題に上ること自体が少なかった。

 

それでも、「鷹の爪」ブームを見越してか、旧日本銀行松江支店跡地のカラコロ工房内に唯一、フロッグマングッズを扱う店があった。