院長のブログ(表)( ´∀`)

東京つばめ鍼灸院長の独り言ブログ。「南北相法」の翻訳ページはこちら→http://www.varianttuning.com/index.html

2011年、夏、師匠が偵察に来た日

島根へ行ってちょうど1年が経った頃、師匠がアポなしで突然、松江の北京堂に現れたことがあった。

 

元々、松江の北京堂は2009年頃から、師匠の旧友であるTさんの希望により、学園通りで最も高い7階建てのビルの6階に移転していた。しかし、私が松江の北京堂を引き継いで間もなく、使っていない部屋がカビだらけになっていることが発覚し、7階に移動することになった。

 

大家さんは非常に良い人で、「カビが発生したのはマンションの構造上の問題ですけん」と言って、家賃を据え置きにしてくれた。どうやら移動した部屋の家賃が一番高いらしかった。

 

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7階の部屋は完全な南西向きの角部屋で、カビの被害は皆無だったが、夏の夕方は強烈な西日が差し込んだり、南側にあるファミリーマートの駐車場にたむろする島大生の喧しい声が時折壁伝いに上がってきたり、宍道湖上を抜けてくる強烈な西風が窓を定期的にガタガタと揺らしたりと、鍼灸院とするには少々問題のある部屋だった。しかし、眺めが良い点だけはお気に入りだった。

 

松江はとにかく太平洋側のようなカラッとした天気が少なく、年間を通してどんよりとした雲が立ち込める、陰鬱とさせるような天候が多かったから、たまに晴れ間がのぞくと、とても嬉しい気持ちになった。師匠が来たのは、そんな希少な晴れ間の日だった。

 

私は施術中であったが、師匠はインターホンを押すや否や、カルビーのポテトチップス数袋と缶ビール数本を満載したスーパーの袋を片手に、お構いなしにズカズカと入ってきた。

 

師匠の後ろには師匠のお友達であるTさんがいて、申し訳なさそうに私に会釈した。師匠とTさんは仕事中の私に迷惑をかけまいと考えたのか、施術室から離れた南側のバルコニーへ出て、酒盛りを始めようとしていた。

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南側のバルコニーは熊野大社のある八雲町付近を望める方角に面していた。ちなみに、熊野大社出雲国風土記に記載のある一之宮の1つで、一説によれば出雲大社より格式が高い神社らしい。熊野大社近辺はほぼ地元民しかいないけれど、観光地化されていない分、騒がしくなくて宜しい。

 

バルコニーには日よけの茶色いタープを張ってあったのだが、師匠は勝手にこれを備え付けの物干し竿で持ち上げ、キャンプ的な空間を作ろうとしていた。私は黙って、師匠に椅子2つとテーブルになりそうな箱を手渡した。Tさんは師匠の成すがまま、ただ見つめているだけだった。

 

私は2010年の夏にTさんから松江の北京堂を引き継いだのだが、当時、Tさんと私は微妙な関係にあった。微妙な関係と言っても、ホモダチとかそういう類の関係ではなく、どちらかと言うと仲が悪いような関係だった。Tさんは私よりも20歳ほど年上の男性で、師匠の旧友でありながら、私より1年早く師匠に弟子入りした、いわば兄弟子だった。

 

諸般の理由により、Tさんは松江の北京堂を辞め、私が引き継ぐことになったのだが、Tさんと私は引き継ぎ期間中にいざこざがあり、軽い喧嘩をして以来、お互い一定の距離を保つようになった。特に火種となった一件は、引き継ぎ期間中にTさんが、「私の治療を希望する患者から予約の電話があっても、私は絶対に施術しないと伝えて」と発言したことにあった。

 

私が「患者が治療を希望しているんだから施術してあげたら良いじゃないですか」と反論したものの、Tさんの意志は固く、患者から電話がくるたびに断らなければならなかった。結局、Tさんの真意はわからなかったけれど、施術できない何かしらの理由があったのかもしれない。

 

平和を好む師匠は、そんなTさんと私の微妙な関係は露知らず、嬉しそうに缶ビールを開けて飲み始めた。私は施術の合間をみて、師匠を接待しなければならなかった。私は、事前に来ることを教えてくれていれば何か食べるものでも用意していたのに、と思ったが、アポなしで訪れることは相手に余計な気遣いをさせないという、心優しい師匠流の社交術なのであろう、と勝手に想像した。

 

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2014年夏に北京の前门で食べた拍黄瓜。

冷蔵庫には、恵曇(えとも)で漁師をしている患者から、腰痛を治したお礼にもらったばかりの魚介類が入っていたが、さすがに治療中に魚をさばくわけにもゆかず、東京に帰った時におかんからもらった、出来合いの、塩味の効きすぎたキュウリの漬物を小皿に盛り付け、すでにバルコニーで盛り上がっていた師匠とTさんに、割りばしを添えて差し出した。

 

北京で過ごした経験のある師匠は、香菜(コリアンダー)をからめた拍黄瓜が好きであるから、きっとキュウリの漬物なら口に合うであろうと予想した。

 

結果、師匠は一口食べるや否や、「これ結構美味いな。頼んでもないのに料理が出てくるなんて、ここはボッタくりバーならぬ、良心的な鍼灸院バーだな」と嬉しそうにつぶやいた。

 

そういえば師匠も、東出雲で開業している時、患者から軽トラックの荷台に満載された魚をお礼にと差し出されたそうだが、さすがに全部はもらえないので断ったらしい。島根は東京と違って農業・漁業従事者が多いから、治療のお礼に食物を頂戴することは珍しくない。

 

私は患者に一通り刺鍼したあと、窓際に椅子を置いて腰掛け、しばし師匠とTさんと会話することにした。

 

私は、Tさんが自らの親指をテーピングで固定しているのを見て、「怪我したんですか?」と問うた。

 

するとTさんは恥ずかしそうに「地元の子供と柔道している時に痛めちゃって」と言った。どうやらTさんはボランティアか何かで、定期的に子供たちと柔道をしているらしかった。Tさんは、はりきゅう・あんま指圧師の免許に加え、柔道整復師の免許も持っていたから、柔道には馴染みがあるようだった。

 

私が「手は鍼灸師の命ですから、手の怪我は鍼灸師としての致命傷になりえますよ」と言うと、師匠も「そりゃそうだよなぁ」と相槌を打った。

 

私は普段から、手を傷つける可能性のあるガラス製品は使わないし、包丁などにも極力触れないように気を付けているが、やはりこういうことはプロ意識というか、責任感の有無によるのであろうか、と思った。 

 

バルコニーから施術室に戻り、患者の様子に問題がないことを確認して再びバルコニーに戻ると、師匠とTさんは、整骨院の不正請求に関するトピックについて話し合っていた。

 

Tさんはここからほど近い場所にある某整骨院がお気に入りで、たまに行っては500円払って、マッサージしてもらっていると言った。師匠が「整骨院なんて不正請求がほとんどでしょ」と、にべ無く言い放つと、Tさんは顔を真っ赤にして「そんなことないよ!」と怒りを露わにした。

 

Tさんは柔道整復師でもあるからか、何が何でも反論したい様子であったが、論証に値するほどの論拠を提示することもできず、ただただ否定するだけだった。 

 

ちなみに、整骨院における療養費の支給対象となる負傷の定義はこれまで、「急性又は亜急性の外傷性の骨折、脱臼、打撲及び捻挫」と定められていた。しかし、医学的には「亜急性の外傷」という概念がないうえに、これが支給対象を曖昧にし、不正請求の要因になっているという指摘があったため、ようやく去年、「亜急性」という文言が削除された。

 

そもそも、整形外科医が足りていなかった時代ならまだしも、現代では骨折したら、まずはレントゲンを撮るために整形外科へ行って医師の診断を仰ぐのが普通だし、打撲は軽度であれば病院に行かず放っておく人がほとんどだろう。

 

確かに、血液凝固因子に異常があるような人は打撲でも命に関わる可能性があるから、かかりつけの病院に行くことはあるかもしれないが、そういった急を要するような病態の人が、第一選択として整骨院へ行くことは稀だろう。さらに、捻挫や脱臼ならば整骨院へ行く患者もいるかもしれないが、通常はまず画像診断を必要とするため、病院へ行こうと考えるのが一般的な感覚であろうと思う。

 

そんなわけで、現状では、整骨院においては急性の骨折、脱臼、打撲、捻挫に限り健康保険適応となるのだが、実際には慢性の肩凝りや腰痛、その他の慢性化した疲労感や痛みを訴える患者を保険適応としているケースが少なくないようだ。おそらく、そうでもしなければ、健康保険適応にできる患者が限られてくるわけで、整骨院の経営そのものが立ち行かなくなる可能性があるのだろう。

 

主張を断固として譲らぬ師匠とTさんの間には、しばし気まずい雰囲気が立ち籠(こ)めていたが、しばらくすると、師匠は何事もなかったかのように別の話題に切り替えた。

 

結局、師匠は、鍼灸院のうららかなバルコニーでTさんと1時間ほど酒盛りしたあと、混み合っている雰囲気の院内を満足気に見まわし、待合室で治療を待っている女性患者に「私、この人の師匠」と脈絡なく言い放ったあと、Tさんと共に、嵐のように去っていった。