東京つばめ鍼灸院長のブログ( ´∀`)

完全無所属、無宗教、東京つばめ鍼灸院長が不定期に更新中。

黄泉比良坂へ行った話(後編)

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黄泉比良坂へ行ったあと、私は午後から用事があったので、師匠のお父さんを自宅まで車で送って、そこでお別れする予定だった。

 

その頃私が乗っていた車は、わざわざ愛媛県まで行って、個人売買にて10万円で買ったボロクソワーゲンで、左ハンドル車だった。お父さんは毎回左側にある運転席のドアを開けて乗り込もうとするものだから、毎度右側にある助手席へエスコートしなくてはならなかった。

 

お父さんを乗せたあと、指示通りに黄泉比良坂正面の裏道を進み、9号線を抜けて揖屋駅方面へ向かった。すると、お父さんは「ちょっと寄り道して行きましょう」と言って、中海(なかうみ)沿いの道へ行くように促した。

 

中海というのは東出雲のとなりにある汽水湖で、宍道湖とつながっている。中海は宍道湖同様に淡水と海水が混じっているが、宍道湖よりも海に近いためか塩分濃度が高いらしい。しばらく走ると平屋ばかりが並ぶ集落に入った。お父さんはある大きな一軒家を指さして、「これがウチの本家です」と言った。私に本家の場所を教えた意図は不明だった。

 

その後、三菱農機の工場がある狭い路地を抜けて9号線へ戻ることになった。山陰本線の踏切を渡り、左折して再び9号線に入ろうと信号待ちをしていると、お父さんが予想外にもこう言った。「星上山へ行きましょう」。

 

お父さんは「星上山はすぐそこです。車ならすぐです」とニコニコしながら言ったが、「私を星上山へ連れていきなさい」という雰囲気が満ちていた。かつてお父さんは、妻であるお母さんを背負い投げで投げ飛ばして怒りを露わにしたことがあったらしいが、お母さんはその時以来、お父さんのことを恐ろしいと言っていた。そんなわけで止むを得ず信号を直進して、星上山へ行くことにした。

  

山へ向かっている途中、お父さんは突然、「周はここで落ちました」と言い、田んぼの一角を指さした。どうやら師匠は実家に住んでいたころ、軽自動車を運転していて何を血迷ったのか、田んぼへ突っ込んだことがあるらしい。お父さんは落ちた理由はわからないと言っていたが、神話色が濃厚な八雲町との境目であったから、狐か狸に化かされたのかもしれないな、と思った。

 

実際につい最近まで、東出雲からほど近い枕木山のふもとの村ではポン太だか権太などと呼ばれた狐や狸が畑を荒らしたり、村人を化かしていたと、その村に住んでいる患者が証言していた。俄かには信じがたいが、水木しげるが育った境港や島根半島が近い町だから、そんなこともあるのかもしれないな、とシティボーイらしく想像した。そう言えば島根の山奥に住むある患者曰く、山間部のある村では昭和くらいまでいわゆる狐憑きの現象が見られたそうで、今でもその村の近くに狐憑きを専門に祓うお寺があるそうな。

 

 

 星上山は東出雲から見ると確かにそんなに遠く感じなかったが、ナビをすると言っていたはずのお父さんが道を覚えていなくて、結局何度も行ったり来たりで山道に入るまでに1時間くらいを費やした。

 

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星上山は東出雲町の隣町である八雲町に位置する454mの小さな山だ。頂上付近には星上山スターパークというキャンプ場がある。車はお父さんの案内で、この施設の近くの空き地に止めた。とりあえず車1台がギリギリ通れるくらい狭い、ガードレールが所々にしか設置されていない危険な山道をやっと走り終えたことにホッとした。

 

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「星上(ホシガミ)」が「星神(ホシガミ)」に通ずるという山の名称の通り、大昔に天から星の神が降臨した山だとか、霊火で中海を照らし、遭難した船を救ったという言い伝えがある山だとか言われている。

 

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「出雲観音記」によると、第45代聖武天皇の時代であった天平二年(730年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、突然の暴風にあって方向を見失い、海上を漂いながら夜を迎えた。漆黒の闇の中では右も左もわからず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。すると、突如として星光が星上山の上に出て暗夜を照らし、漁夫はその一点の星を目印にして船を漕ぎ続け、無事に揖屋港へ帰り着くことが出来た。翌日、漁夫はこれを観世音のお導きと思い、星上山へ登ると、山頂から約200mほど下ったところに小さな池を見つけた。ふと水面を眺めると、十一面観世音の御影が映っていて、観世音様が岩壁の上に立っていた。漁夫は感涙にむせび、仮堂を作って安置し、その御徳を広く四方へ伝えたという。この池が現在、星の池と呼ばれている池らしい。こんな内容が記された案内板を、しばしお父さんと眺めた。

 

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草木が生い茂った山道には所々に小さな石彫りの仁王像が祀られていたが、何故かそのほとんどの首や胴体がもげていたもんだから、若干寒気がした。周囲にはお父さんと私以外に誰もおらず、鳥の声と枯葉を踏みしめる音しか聞こえないもんだから、より一層不気味に感じられた。一応、仁王像はもげた部分が丁寧に立てかけられていた。きっと信仰心のある人が直したのだろうな、と思った。山頂には無住の寺というか、質素なお堂があった。

 

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お父さんは80歳を超えていたが、毎朝自転車で「しんぶん赤旗」を配っていたせいか足腰は案外丈夫で、慣れた感じでスタスタと山道を先に歩いて行った。そういえば、お父さんはいつも私の鍼灸治療が終わったあと、待合室の椅子に腰掛けて、私が出したお茶を飲み干してから「お世話になりました」と言って帰るのだが、毎回「しんぶん赤旗」を1部椅子の上にさりげなく置いていく習性があった。これは確信犯だな、と思った。

 

山の南側、中海方面にはテイカカズラヤブコウジなどのシイ林が広がっていた。お堂の周辺にはアカシデやイヌシデなどのシデ林があり、北側、中国山地側にはカシ林、スギやブナの巨木が混在していた。暖帯のシイ、シデ、カシと寒帯のブナが混生している状況は大変珍しいらしい。

 

島根半島にある美保関には過去に隕石が落ちているから、もしかしたら星上山にも隕石の類が落ちて、山の生態が変化したのかもしれない。隕石を見たことのない古代人にとって、光を放って落下する得体のしれぬ物体は畏れ多き神に見えぬこともない。星の池は小隕石が落下した痕だろうか、などと想像した。

 

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お堂の前を過ぎると、「展望がすばらしい 東展望台」と記された案内板が見えた。前日の雨で少しぬかるんだ小道を抜けると、急に視界が開けた。

 

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東展望台は島根半島、中海が一望できるようになっていた。東屋のような屋根付きの休憩所らしき建物と、「宍道湖から中海の景観」と記された案内板が立っていた。お父さんは久しぶりに登ったためか、少し感慨深そうに景色を眺め、私に目の前に広がる景色の説明を始めた。当然ながら、お父さんの横顔もお母さんと同様、やはり師匠に似ていた。薄い雲が広がっていたため遠くまでは見渡せなかったが、なかなか良い眺めだった。