東京つばめ鍼灸院長のブログ( ´∀`)

完全無所属、無宗教、東京つばめ鍼灸院長が不定期に更新中。

フラッシュバック

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今年も北京へ行ってきた。目的は針灸・中医関係の本の購入と、針灸用具店への顔出しだ。針灸用具は今年から微信を使って輸入しているから、わざわざ北京まで行く必要はないのだけれど、本を買うついでに針灸用具店へ手土産持参で挨拶しておくことで、ウェブ上での取引をスムーズにできている。

 

今回、こびとがHSK(汉语水平考试)の参考書を欲しいと言っていたので、とりあえず东单の図書ビルで、1~4級の単語帳と過去問を買った。ちなみに中国では、4級に合格した外国人は中国の一般的な文系国立大学への入学が許可されるらしい。いわゆる重点大学である北京大学清華大学、复旦大学、上海交通大学などの最難関校は、基本的には5級180点以上でないと入学できないようだ。ちなみに、中国語教育で世界的に最も権威のある北京語言大学の本科へ入学して1年半~2年程度、日本の一般的な大学の中国語学部で、4年間勉強して到達できるレベルは、4級または5級200点程度だと言われている。

 

北京語言大学に入学して真面目に勉強していれば、2年後期の時点で5級280点以上、4年次ともなれば6級200点以上は十分に到達可能だろうと思う。逆に、ネイティブスピーカーでさえ易々と合格できぬ6級に、短期留学しか経験のない者が挑むのは無謀と言えるかもしれない。それくらい、6級は狂気的というか、中途半端な学習者を門前払いにするような、極端な難易度に設定されている。とにかく、北京語言大学や北京外国語大学などの本科生として真面目に勉強している学生にとっては、5級は大して難しくないだろうし、6級も高望みではないだろう。

 

北京の本屋には、日本と違って、毎年膨大な数の針灸・中医関係の新刊が並べられる。今回で針灸の勉強に必要な中医経典や辞書類はほぼ揃えることができたから、今後は新刊や改訂版をチョコチョコ買い足すだけで済みそうだ。

 

去年あたりから店頭に並びだした「中医古籍珍本集成(湖南科学技術出版社)」は、すでに針灸推拿巻だけで15種ほどあり、黄帝内経などの医経巻も含めると数十種以上はある。とりあえず針灸推拿巻すべてと黄帝内経金匱要略傷寒論だけはこの1年で3回中国へ行き、何とか買い集めた。「实用针刀医学治疗学(人民衛生出版社)」は第2版が出ていたので、改めて買いなおした。

 

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雍和宫に行った際には、境内に併設していた土産物屋で「図解 黄帝内経」という本を見つけたので買ってみた。

 

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これは主に素人向けの内容だったが、中々良くできた本だった。日本の鍼灸学校で買わされる教科書や、日本のアヤシイ黄帝内経の注釈本を大枚はたいて買うくらいなら、68元(約1200円)出してこの本を買って読んだ方が、遥かに有意義かもしれない。鍼灸学生時代には、少なくともこれくらいの本は読んでおくべきだろうと思う。 

 

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王府井では张一元という老字号の茶屋で、おかんに頼まれていたジャスミン茶を数缶買った。老字号というのはいわゆる老舗のことで、张一元は北京では最も知られた、ジャスミン茶のシェアNO.1の店だ。確かにここのジャスミン茶は香りが素晴らしいのだが、残念ながら日本では手に入らない。

 

地下鉄で手荷物をX線に通す時、こびとがこの日本で買ったら1缶数千円は下らないと思われるジャスミン茶6缶を取り忘れたため、国貿駅から再び王府井駅へ戻ってきたわけだが、結局誰かに盗られたようで、無くなっていた。仕方なく再び张一元へ行き、同じものを6缶買いなおすことにした。私が店員のオッサンに「さっき買ったやつは駅の保安検査の時に失くした」と言うと、オッサンは西川きよしばりに目をグリグリさせて、「丢了!?(失くしたって!?)」と叫んだ。

 

だいたい北京の庶民は、未だに月に2000~3000元(約34000~51000円)程度しか稼げぬらしいから、数百元で買った茶葉を失くすのは相当な痛手なのだろう。しかし私が茶葉を買いなおすことで、オッサンの店は儲けが倍になるから、オッサンは哀れみと嬉しさが共存する複雑な心境で、「丢了!」と叫んだのかもしれないな、と思った。これを聞いたレジのオバハンは、1回目に買った時は茶缶を紙袋に無造作に詰め込んだだけだったが、2回目は茶缶をポリ袋に入れて厳重に封をしたあと、さらに紙袋に入れこして、「看好了!(気を付けてね!)」と言って手渡してくれた。

 

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张一元の紅い紙袋を持って外へ出ると、目の前を通り過ぎた2人の中国人を見て、思わず「あっ!」と叫んでしまった。我々の前を通り過ぎた70歳くらいの老婆と、その後ろを金魚の糞のようについて歩いていた50歳くらいの男は、いつも地下鉄1号線の車内で物乞いをしている2人に間違いないようだった。

 

この親子らしき2人は、毎週末になると観光客が多く利用する地下鉄1号線に乗り、車両の端から端までを練り歩いて乗客に金を無心するのであるが、その集金スタイルが異様であったため、私は数回見ただけで2人の顔をハッキリと覚えていたのだった。男は確かに、目を見開き、健常者と変わらぬ素振りで歩いていた。

 

いつも金を無心する役目は老婆だ。息子らしき男は無言のまま両目を閉じて全盲を装い、右手でアンプ付きのハーモニカを持ち、哀愁漂う音色を吹き鳴らす、という役目だ。そして左手は老婆に引かれ、あたかも母親が、全盲の哀れな息子を女手独りで養っている、というシチュエーションだ。

 

老婆の集金の仕方はかなり強引で、無視を決め込む乗客の手を無理矢理引っ張り、「どうか金を恵んでくだせぇ」と迫るのだ。慈悲心の強い外国人観光客などは、たまらず1元札やら10元札を手渡してしまうのだが、地元民は奴らが骗子(ペテン師)であることを見抜いているから、手を握られても完全無視で押し通す。上海ではこういう詐欺行為で小銭を集め、マンションを2つ買った輩がニュースになったそうだ。ちなみに、「骗子」の類義語で、最近CCTVの「今日说法」という番組でよく見かける言葉に「老赖」というのがあるが、これは借金を踏み倒す人のことで、いわば「債務者」の意味だ。

 

この日は、数日後に5年に1度の共産党大会を控えており、北京市内の警備が厳重であったせいか、いつもいるはずの物乞いを1人も見かけなかった。それゆえ、この親子も物乞いができず、当てもなく王府井を徘徊していたのかもしれない。

 

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滞在2日目は運行し始めて間もない、世界最速を謳う复兴号と名付けられた高铁(高速列車)の始発便に乗るため、北京南駅に隣接する某ホテルに泊まることになっていた。日本を経つ前に、予めCtrip(携程旅行网)という中国最大手のウェブサイトでホテルを予約しておいた。

 

しかし、当日ホテルへ行くと、フロントの男は「接待不了外宾(外国人客は受け入れられません)」の一点張りで、泊まることができなかった。結局、ホテルへ着く直前にCtripからメールが来ていたが、直前のメールなんて見ていないから、気が付かなかった。Ctripからきたメールの内容は、中国人が記した日本語にしては、よくできた文章だった。

 

「ホテル側より外国の方を接待する資格をもっていないため、ご予約を確定することができないといわれております。大変申しわけございませんが、ご予約を一旦キャンセルさせて頂きます。部屋料金はご利用のカードまでに返金致しました。また、一度お客様のご予約を確認してから、ご予約通りに部屋を提供できないことに対して、お詫び申しあげます。シートリップはお客様のお声を真摯に受け止め、サービスの改善、業務品質向上に活かし、お客様から信頼される旅行会社を目指しておりますので、今回の事態に招いて弊社の不手際について、反省の上責任を持って対応させていただきたいと考えられます。また、同じチェックイン日のホテルをご予約頂いた場合、ご宿泊後にて領収書の写真を弊社までご提供していただければ弊社より最大初日部屋料金620人民元に相当する差額をシーマネープラスの形でご利用のシートリップアカウントに弁償させて頂きます」

 

Ctripだけのことではないと思うが、大手の予約サイトであっても、中国国内のホテルをウェブ上で予約する場合、確実に外国人が泊まれるホテルを探さねばならない。しかし中国のホテルは、実際にチェックインしてみないと泊まれるかどうかわからないことがよくあるから、予め宿泊拒否をされる可能性があることを想定しておくべきかもしれない。

 

滞在3日目は師匠一行と簋街で会食した。本当は王府井のapmにある东来顺という老舗の火鍋屋へ行こうと思っていたのだが、師匠たちが乗った飛行機が遅れて到着したため、残念ながら営業時間内に行けなかった。王府井の飲食店はどこも21~22時で閉店してしまうようだ。一方、簋街の飲食店はほぼ24時間営業だから、飛行機が遅れた場合はだいたい簋街で夕食をとることになる。師匠は久しぶりに燕京啤酒を飲めて嬉しそうだった。

 

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そうそう、中国の空港で保安検査を受ける時は、なるべく中国人や日本人が多い列に並んだ方がよいかもしれない。何故なら人種によっては身ぐるみ剥がされるかの如く、体の細部まで厳重にチェックされるケースが珍しくないからだ。実際に、アフリカ人の多い列に並んだ結果、通常なら15分くらいで保安検査を通過できるはずが1時間以上かかってしまい、飛行機に乗り遅れそうになったことがある。ちなみに中国は建前上、アフリカを一帯一路の良きパートナーとしており、「两国关系非常友好,亲如兄弟(両国の関係は親密で、兄弟のようだ)」などと公言している。

 

軽いボディチェックですんなり通される日本人を後目(しりめ)に、裸足にされて隅々までボディチェックされている人々を目の当たりにすると、実際には見たことがないのだけれど、奴隷制度があった頃のアメリカ植民地の光景がフラッシュバックするようで、何だか切ない気持ちになる。

ウェブ予約

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最近は発狂しそうなほど忙しくなってきたので、ウェブ予約システムを取り入れることに決めた。ウェブ予約を利用する人が増えれば業務効率が上がり患者にも当院にもメリットが増えるだろうと考えている。

 

最新のウェブ予約システムは細かい設定ができる。ウェブ予約で考えられるデメリットは、ほとんど排除して構築することが可能だ。例えば予約システムの閲覧・利用は、当院で直接IDとパスワードを配布された患者だけに限定することで、なりすましなどによる恣意的な予約や、無断キャンセルの被害を未然に防ぐことができる。初診時から誰でも予約できるような状況にしてしまえば門戸が広がる反面、予約の混乱などのデメリットが拡大する可能性がある。

 

1度に予約できるコマ数や予約期間なども設定できる。キャンセル待ちしている患者には、キャンセルが出たら即時にメールを自動送信できるようになっている。予約日当日に送るべきリマインダメールも、決めた時間に自動送信することが可能だ。ちなみに、リマインダメールというのは、要するに予約時間の再確認を促すためのアラーム機能みたいなものだ。患者もリマインダメールを受け取るようになれば、予約したのをスッカリ忘れていた、なんてことも避けられる。万が一臨時休業しなくてはならなくなった時なども、登録している患者にメールを一括送信することができるから、予約者全員に電話する手間も省けるかもしれない。

 

何より患者自身がウェブ上で予約状況を確認出来れば、電話して予約が空振りに終わるということも減り、患者側も鍼灸院側も徒労に帰すことを避けられる。ウェブ上では24時間予約が可能だから、鍼灸院側としては営業時間外に電話されてイラッとすることも減るだろう。実際にウェブサイトなどで営業時間を公にしていても、知ってか知らずか、営業時間外に電話してくる患者がたまにいる。

 

ウェブ予約のシステムは予め業者によって大まかな形が構築されているが、細かい仕様は自分で作り上げるのがベストだ。初めて試すシステムだからイマイチ使い勝手がわからず遅々として作業が進まなかったが、10日ほどでほぼ完成に近づいた。早ければ来月には始動できそうな感じだが、とりあえずは試験的に導入して、様子をみてみようと考えている。

2010年、真夜中の訪問者

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島根にいた時の話。

 

まだ松江の北京堂が某マンションの6階にあった頃の話だ。

 

その当時、私は鍼灸院で寝泊まりしていて、治療には使っていない4畳半くらいの部屋を寝床にしていた。

 

しかし、冬のある日を境に、真夜中に怪奇現象が起こるようになった。

 

毎日深夜2時を過ぎると、誰もいないのに「ピン、ポーン…、ピン、ポーン」とインターホンが2回鳴るようになったのだ。奇妙なことに、インターホンは必ず2回鳴り、1回目と2回目の間隔も、だいたい10秒と決まっていた。

 

最初の数日は半ばしか覚醒していないこともあり、隣の部屋のインターホンがなっているのであろうと無視していた。しかし、よくよく聞いてみれば、隣の部屋ではなく、自分の部屋のインターホンが鳴っていることに気が付いた。しかも、連日決まって丑三つ時に鳴るもんだから、次第に気味が悪くなった。

 

寝床は玄関を入ったすぐ右側にあり、狭い部屋の西側には外の通路に向かって出窓が付いていた。出窓にはカーテンが無かったから、夜は部屋の電気を消すと、外の通路の蛍光灯の淡い光が出窓を通して部屋の中に差し込んでくるような塩梅だった。だから消灯後に誰かが通路を通れば、人影が部屋の中をサッとかすめるから、すぐに気が付くようになっていた。

 

鍼灸院のあった部屋は606号室で、6階には607号室までしかなかった。ゆえに通常、この606号室の前の通路を夜間に通るのは、私か607号室の住民だけだった。ちなみに607号室の住民がこの通路を通る時は、その前後に必ずドアの開閉音が壁伝いに聞こえてくる。また607号室は角部屋であって、607号室の前には階段が設置されていたが、エレベーターは606号室側に設置されていたから、夜間に606号室の前を通り抜ける人は、基本的に我々以外、他にいなかった。

 

606号室の玄関からはエレベーター、階段ともに10mくらい離れていて、仮に誰かがピンポンダッシュをしたとしても、すぐにドアを開ければ、その姿を目撃することが可能なはずだった。だから毎晩インターホンが鳴りそうな時間になると、息を殺しつつ外の様子をうかがっていた。しかし、インターホンが鳴った瞬間にパッと飛び起きてドアを開けたとしても、外に誰が立っているということは1度もなかった。とにかくドアを開けるたびに背筋がゾッとして、しばらくマトモに眠れない日々が続いた。

 

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その頃は徐々に患者が増えていて、九州や四国、京阪神から来院する人がチラホラいた。未熟ながらも私は少し天狗になっていたもんだから、「とうとう亡者も私の治療を求めてやって来たのだろうか」などと、密かにカルトな思考を巡らせたりしていた。

 

インターホンは毎回鳴り方が決まっていて、「ピン、ポーン」と1度鳴ったあと、10秒くらいしてからまた「ピン、ポーン」と鳴るのだが、その鳴らし方がいかにも生身の人間的で、あたかも「中の様子を伺いつつ2回目を押す」というような具合だったもんだから、余計に気味が悪かった。

 

そんな日が何日か続いたあと、インターホンが鳴る日と鳴らない日がくるようになった。まったく奇怪なことだと思ったが、おそらくこれは魑魅魍魎の類によるものではなく、何か物理的な要因があるのではないかと考えるようになった。

 

このマンションがある松江市中心部は、沿岸部からは離れているものの、日本海に面しているため冬場は海風が強く、雪が降ると吹雪くことも珍しくなかった。インターホンが鳴るのは、決まって吹雪いた次の日で、しかも日中晴れた日の夜だった。どうやら晴れた日が続くと、インターホンは鳴らなくなるようだった。

 

606号室の玄関は西向きであったが、宍道湖方面からの風がマトモに吹きつけるような構造になっていて、吹雪けばインターホンの上に雪が積もる、ということがしばしばあった。

 

もしやこれはと思い、ある吹雪いた日の翌日、インターホンの上に積もっていた雪を除(の)けておいてみることにした。すると、その日は日中晴れていたにも関わらず、いつもの時間を過ぎても、インターホンが鳴ることはなかった。きっと、インターホンの上に積もっていた雪が日光で溶けて水滴が内部に侵入し、うまいこと通電してインターホンが鳴っていたのだろうな、と考えた。

 

よくよく観察してみると、インターホンと壁の隙間を埋めていたシーリング剤には、経年劣化ゆえか肉眼では確認しがたいくらいの小さな亀裂がみられた。結局、その日のうちにマンションの管理人に業者を呼んでもらい、劣化したシーリング剤の隙間を埋めてもらった。

 

それ以来、吹雪いた日の翌日に太陽が顔を出しても、インターホンが鳴ることは無くなった。島根の風と太陽は侮れないな、と思った。いや、本当に侮れないのは、望んでもいないサプライズを与えてくれる、オンボロビルディングだろうか。

 

これで私はイソップ物語の如き日々から平穏な夜を取り戻し、安眠できるようになったわけだが、その後しばらくは、後味のよくない夢を見たような気分が続いた。

島根の温泉

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島根にいた頃は、温泉へ行くのが楽しみの1つだった。全てではないけれど、松江から江津あたりまでの有名どころの温泉には、ほとんど行った。特に温泉津(ゆのつ)温泉の薬師湯や、江津(ごうつ)の有福温泉は、独特の泉質でお気に入りだった。しかし、何せ松江から江津までは車で往復6時間くらいはかかったから、たまにしか行けなかった。

 

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特に好んで行ったのは、平田市にある「ゆらり」という温泉だった。松江から車で40分くらいの場所にある、源泉かけ流しの温泉だ。

 

ゆらりの清潔感、サービス、雰囲気などに関しては東京では珍しくない感じだったけれど、このあたりでは群を抜いていた。毎分200リットルと湯量が豊富で、中国地方で最大級の温泉ではあったが、僻地にあるためか平日は空いていることが多かった。特に平日の昼間は、ズーズー弁でしゃべる、年老いたお馴染みの地元民がパラパラと集まるくらいだったから、のんびりと湯船に浸かることができた。また、地下水をくみ上げているという、ひゃっこい水風呂と、休憩所にファミリー製マッサージ機があったのも、ここへ通う大きな動機の1つだった。

 

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松江市からゆらりのある平田市までは、宍道湖北側の湖北線をひたすら西へ走れば辿り着ける。出雲大社で有名な、出雲市の手前にあるのが平田市だ。平日だと交通量は少なかったから、アクセルは開けっ放しで走れて、そんなに遠くは感じなかった。猛烈な台風の時は、道路まであふれ出した湖水によって宍道湖に車が呑み込まれそうになったこともあったけれど、健康維持のためと自分に言い聞かせ、週3回くらいは通い続けた。確かに温泉に入って温冷浴をしたり、定期的にマッサージチェアを使っていると、体調が大きく崩れるということはなかった。島根にいた頃は早く東京へ戻りたいと思うことが多かったけれど、年をとってくると、東京であくせく働くよりも、田舎でのんびり過ごした方が健康には良いのかな、なんて考えたりする。

 

そういえば、フォーゲルパーク手前にあった某鰻屋は地元民からも人気で、1度食べてみたが、確かに美味かった。しかし島根で食べた鰻の中では、高津川でとれた天然の鰻が一番美味かった。ちなみに、高津川四万十川などと並び、かつて日本一の清流と呼ばれた川だ。天然の鰻は本当に胸が黄色味を帯びていて、「むなき(胸黄)→うなき→うなぎ」になったという語源の話も何となく頷けた。当時、高津川の鰻は「シルクウェイにちはら」という道の駅で冷凍したものが売られていたのだが、冷凍でも十分に美味かった。鰻も鮎も、天然モノは年々数が減っているそうだが、まだあの冷凍鰻は売っているのだろうか。

 

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仕事が早く終わった日は、ゆらりへ行く前に、ラピタというスーパーへ寄ることが多かった。地元産の新鮮な野菜やら、農家の人々が作った漬物や餅などを売っているコーナーがあり、そこを物色するのがこのスーパーでの唯一の楽しみだった。

 

いつものように野菜を物色していた時、突然見知らぬ地元民らしきお婆さんに、「お母さんは元気かね‥‥」と話しかけられたことがあった。お婆さんはかなり訛っていたので、おおかた何を言っているかわからなかった。しばらく黙って話を聞いていたが、お婆さんは私が別人であることに気が付き、「〇〇の孫に良く似ていたもんだから間違えた」と言って会話が終了した。

 

出雲弁といっても島根の東と西では、かなりの違いがあるようだ。特に平田市は東北弁のような、いわゆるズーズー弁で、儘(まま)聞き取れないことがあった。

 

かつて、ウラジオストックで島根産と東北産の黒曜石が出土したため、「出雲人と東北人はウラジオストックに起源がある」と主張した学者がいた。確かに1000キロ以上も離れた場所で、局所的に同じような方言が残っているのは真に奇妙な話だ。何より隣に位置する松江や出雲と、言葉が全く似ていないというのが不可解だ。さらに平田市あたりの言葉は、日本書紀古事記やらに出てくる古い日本語と似ているらしく、日本語の起源は島根にあったという話もある。しかし、まぁ、こういう事に関して私は門外漢であるから、真相はよくわからぬ。

 

ゆらりの温泉は微かに硫黄臭がするものの、無色透明のアルカリ性単純泉で、比較的なめらかな泉質だった。源泉そのままでも十分に良かったが、ゆずが湯船に浮いている時は、最高に良かった。

 

ゆらりには3年あまり通い続けたが、ゆずが入っていたのは1度きりだった。これまで様々な温泉へ行ったけれど、ほのかなゆずの香りと、摺木山から流れ出ているという優しい温泉のマッチングは、中々絶妙だった。

綿と串

f:id:tokyotsubamezhenjiu:20170524111115j:plain北京では春になると、街中にたくさんの胞子が舞う。一見すると雪が降っているかのようにも見えるが、少し観察すれば雪ではないことがわかる。最近、これを「中国特有の汚染物質だ!」と騒ぐ人や、果てには「中国の大気汚染は深刻である!」とか、「中国に行く奴はアホだ!」とか叫ぶ人もいるようだ。無知は恐ろしいことだと思うけれども、ネットやメディアが過剰に発達した情報過多な現代では、もはや真実を見分けること自体が難しくなっているのかもしれない。 

 

日本の報道では、中国は常に大気汚染に曝されているようなイメージだ。しかし年間を通してみると、実際にマスクが必要となるのは半年間くらいだと思う。例えば北京では、11月半ば~3月頃はセントラルヒーティングが作動したり石炭の消費量が増えるから、汚染が重度になりやすい。この時期はN95マスクなど、本格的なマスクがあった方が良い。

 

4月は街路樹であるエンジュやヤナギなどの胞子が市内を大量に飛び回るし、5月は西北から黄砂が飛来するから、この時期にもマスクが必要だ。6~11月前半くらいはマスクがなくても過ごしやすい日が多い。北京を観光するなら7~10月くらいが無難だが、夏はジリジリと暑いし、光化学スモッグが発生する日もあるだろうから、10月くらいが北京のベストシーズンと言えるかもしれない。中国は基本的に黄土で雨が少なく、空気が乾燥しているし、寒暖の差も比較的大きいから、東京のように年間を通して過ごしやすいということはあまりない。 

 

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北京市内には、胡同を中心に沢山の街路樹が植えられている。主に植えられているのは北京市の市樹に指定されている槐树(huaishu、エンジュ)や杨树(yangshu、ハコヤナギ)、柳树(liushu、ヤナギ)だそうだ。これらの木が春に飛ばす、白い綿状の種子のことは杨花(yanghua)とか柳絮(liuxu)と言う。「絮(xu)」というのは綿毛のことだ。ちなみに、柳絮が舞うことを中国語では柳絮飘と言う。 

 

北京市では1980年頃から杨柳の植樹が開始され、現在ではハコヤナギは約350万本、ヤナギは約150万本も植えられているそうだ。近年、成熟段階に至った木々が次々と綿状の種子を飛ばすようになり、市民の生活を脅かすようになってきた。そんなわけで、市民の悩みのタネとなっている飞絮问题を解決すべく、北京市は杨柳飞絮抑制剂として、2009年頃から、雌株に綿毛を抑制する薬液である 「抑花一号」 を注射するようになったらしい。要するに種子の発生を抑える、木の避妊手術みたいなモノだ。

 

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しかし、本当に綿毛の舞う量が減っているのかは謎だ。実際に、今でも春に北京市内を歩いていると、口や鼻の穴へ綿毛が飛び込んでくるくらい酷い。特に街路樹の多い胡同では柳絮地獄となる日もあって、マスクがないと外では会話ができぬし、出歩くのも嫌になるくらいだ。

 

そうは言っても、中国の北方では緑化の一環として木が必要だから、伐採することはできないらしい。特に、ヤナギの類は黄土でも育ちやすく、緑化以外にも防砂、防風の役目も果たし、家畜のエサとしても利用できるため、中国では古くから、広く植林が進められてきたそうだ。貧しい農家では、ヤナギの葉を食べて飢えをしのいだという話もあるから、一応人間の食糧にもなるらしい。

 

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そんなわけで、柳絮に関しては不快だったけれど、今年は念願の長城へ行けて良かった。日程の都合で八达岭长城にしか行けなかったが、良い思い出になった。2016年11月以降、S2線の始発駅は北京北駅から、黄土店駅へ変更になったようだ。一卡通も使えるし、八达岭へのアクセスは随分と良くなった。

 

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八达岭熊乐园側の登城入口の横で売られていた羊肉串(yang rou chuan)は、北京市中心部で売られているモノよりもずっと美味しかった。羊肉串は文字通り、羊肉を串刺しにして焼き、孜然(クミン)や辣椒(唐辛子)をふりかけた、焼き鳥みたいなモノだ。元々はウイグル族が食べていたらしいが、現在では北京の至る所で売られている。正直、世界遺産である長城は1度行けば良いかな、という感じだったけれど、この羊肉串はまた食べてみたいな、と思った。それが何かはわからないけれども、美味い羊肉串には人を病みつきにさせる、独特の風味がある。

 

微信钱包

ここ最近、北朝鮮のミサイルをアメリカが迎撃するとか、北朝鮮アメリカ本土を核攻撃するとかいう物騒なニュースが流れている。そうなれば今後、中国の情勢も激しい展開になる可能性もあるわけで、中国へ行かずに中国の針灸用具やら針灸・中医関係の本を入手する方法を考えた。

 

北京の針灸用具店の老板とはすでに顔見知りで、ここ最近は微信(ウェイシン、WeChat)を使って連絡を取り合っている。微信というのはLINEやBBMみたいなSNSの1つで、中国で最も利用されているメールサービスだ。特に中国では微信上で使える微信钱包(WeChat Pay、ウェイシンウォレット)と呼ばれる送金・決済サービスが流行っていて、中国都市部の若者は現金を持ち歩かない傾向にあるらしい。

 

北京市内でも微信支付微信での支払い)が可能な店が増加しており、タクシーでも微信支付の利用が可能であるし、地下鉄やバスでの移動は一卡通や交通卡などのICカードを持っていれば事足りるから、年代に関わらず、現金を持つ必要性が少なくなってきている。

 

日本ではこれまで、「NFCおサイフケータイ)」やら「FeliCaフェリカ)」なんかが世に出てきたわけだが、どれも鳴かず飛ばずで、最近になって「Apple Pay(アップルペイ)」なんてのが出てきたけれども、私はこれもあまり普及しないのではなかろうかと予想している。

 

中国で電子マネーが大きく台頭できた1つの要因として、やはり紙幣のセキュリティレベルが日本よりも低いことや、未だ紙幣の偽造集団がわんさか存在することがあるのだろうと思う。中国では2015年からRMBの新券が発行され、これまでよりは紙幣のセキュリティレベルは上がったと言えども、街中にはまだまだ沢山の旧札が流通しているわけで、個人商店においても偽札鑑定機が手放せないのが現状だ。

 

紙幣への信用度が低い中国で電子マネーが発達するのは当然の理であって、偽札の心配が少なく、電子マネーのセキュリティに対する不信感が根強い日本においては電子マネーを使うメリットが中国ほど大きくない。ゆえに今後も日本では、微信钱包みたいな便利なモノがあっても流行り難いのかもしれない。

 

そんなわけで、人生の大半を日本で過ごしている私にとって微信钱包なんて必要のない代物だったのだけれども、「微信で支払ってくれないと通販できない」と北京の針灸用具店の老板に言われたので、止むを得ず微信钱包を使えるようにしなければならなくなった。

 

微信钱包を使うためには、中国国内で微信钱包に対応している銀行口座を開設しなければならない。また、旅行者が銀行口座を開設するためには、中国国内で使える電話番号と、パスポートが必要になる。中国でも年々銀行口座を開設することが困難になっているそうだが、日本に比べると今のところは外国人でも開設しやすいようだ。ちなみに、中国の銀行は口座開設時に印鑑が要らない。それと、日本と違って通帳を発行しない銀行が増えているようだ。

 

基本的には短期滞在の旅行者であっても、パスポートと中国国内で使用できる電話番号を用意しておけば、口座開設は可能だ。あとは中国語の語学力が必要だが、北京の王府井や上海の外灘など、外国人が多い都市部であれば、行員が英語を話せることが多いし、外国人の対応にも慣れているだろうから、地方に比べて口座開設は容易いかもしれない。

 

先月からhuaweiスマホを使っているが、huaweiは中華製であるから、中国で買ったSIMを差し込めば通話は可能だろうと考えていた。で、今回は灯市口駅が最寄の北京丽亭酒店というホテルに泊まっていたから、ホテルから歩いてすぐ近くにあるhuaweiの支店で、SIMを購入出来るか聞いてみることにした。ちなみに、中国語ではSIMのことを「SIM卡」とか「手机卡」と言う。东四南大街と金鱼胡同の交差点にある店だからすぐに見つけられた。

 

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店内に入り、これこれこういうわけでSIMが欲しいが、日本で買ったhuaweiでも中国で使えるか?と店員に聞くと、店員は面倒くさそうにして、隣の店へ行け、と言った。huaweiの直営店のくせに、アップルの店員に比べるとかなり酷い対応だった。

 

隣にも携帯電話屋があり、再び同じ質問をすると、店の中にいた店員が全員寄ってきて、おそらく日本で買ったhuaweiだと中国のSIMを差しても使えぬのではないか、と議論し始めた。しばらく店員は話し合っていたが、どうにもならぬと判断したのか、通りの向こう側にある建物を指さして、「中国联通へ行け」と言った。どこにあるのかわからぬから私が「どこだ」と言うと、店員は「紅色(赤色)の看板のところだ」と言ったが、指さす方向にはオレンジの看板しかなかった。

 

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 おかしいなと思って私がキョロキョロしていると、痺れを切らした若い女性店員が「オーレンジ!」と下手くそな英語で叫んだ。最初から中国語でオレンジ色と言えばいいだろうが、と思ったが、とりあえず店員の言っている場所がわかったので、そこへ行くことにした。もしかしたら中国でも、橙色を赤色と言ったり、緑色を青色と言うことがあるのかもしれない。日本でも青信号を緑だと言う人がいるのと同じ理屈なのだろうか、と思った。

 

中国联通は中国政府が作った会社だ。日本で言うところのドコモやKDDIみたいな電話会社で、ここへ行けば外国人でも中国国内で携帯電話を使えるようになるとのことだった。

 

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中国联通の入り口をくぐり、薄暗い売り場を徘徊していた店員に要件を告げると、そこの受付へ行けと言われ、整理券を渡された。私の前には6人の客が待っていたが、半分くらいは外国人だった。ベンチに座り、こびととミレービスケットを食いながら15分くらい待っていると、ついに私の番号が呼ばれた。基本的に中国ではどこで何を食っていても文句は言われないから、気が楽だ。

 

事前に私の目の前で手続きをしていた初老の白人男性を見て手順を確認していたから、手続きは比較的容易いだろうと予想した。受付のオバハンは無愛想だったが案外親切で、まずは私が持っているhuaweiが使えるかどうか「ちょっと試してみよう」と言った。オバハンは自分のi-phone6からSIMを抜き出し、それを私のスマホに差し込んでくれた。私のスマホは操作画面が日本語になっていたから、オバハンは操作方法がわからぬと言って、私にスマホをつき返した。

 

機内モードになっていたために通信できぬようで、機内モードをオフにすると、すぐにチャイナユニコムの電波に切り替わった。さっきの店の店員は使えぬと言っていたが、どうやらSIMさえ用意すれば使えるようだった。

 

huaweiはデュアルSIM対応だから、日本のSIMを差し込んだまま中国のSIMも使えるようになっている。これでSDカードも差し込んだままに出来れば便利だと思うが、残念ながら私のモデルはそういう仕様にはなっていない。とは言ってもi-phoneに比べたら融通が利いて遥かに使いやすい。

 

中国のSIMはプリペイド式であるから、日本の電話会社のように高額請求が来ることもないから安心だ。電話番号はオバハンが提示した10個くらいの番号から、中国人風に縁起の良さそうな番号を選んだ。パケットサイズは一番小さいやつを選んだが、SIM代と手数料を含めて100元(約1600円)だった。これで電話が使えるなんて安いものだと少し感動した。手続きには20分くらいかかったが、とりあえずはパスポートを見せて、泊まっているホテルの住所を伝えるだけでSIMを入手することが出来た。契約時には開いたパスポートを自分の胸のあたりに掲示して、証明写真を撮られた。

 

翌日、王府井の中国銀行へ行くことにした。王府井の中国銀行は祝祭日を除き、個人向けの業務は毎日9:00~17:00まで行っているから非常に便利だ。日本の銀行と異なり、土日に行っても外貨両替や口座開設が可能だ。王府井には2か所に中国銀行があるが、金鱼胡同の交差点にある东安门支店のほうが空いていて良い。

 

しかし、王府井の2つの中国銀行へ行ってみたが、どちらの支店でも中国国内の会社に勤めているか、長期ビザがないと口座開設はできないと断られた。さすがに中国銀行はガードが厳しい様子だった。仕方がないので中国工商銀行中国建設銀行へ行こうと思ったが、日本へ帰る飛行機の時間が迫っていたため、比較的ヒマそうな建設銀行へ行くことにした。 

 

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建設銀行は王府井という一等地にあるにも関わらず、店内は閑散としていた。入口でヒマそうにスマホをいじっていた女性店員に、「口座を開設したい。旅行で来ているだけだが可能か」と聞くと、店員は大そう嬉しそうに「没事儿,没事儿(大丈夫ですよ)」と言って、1枚の申し込み用紙を差し出すや否や、急かすようにして私を奥の窓口へ誘導した。門前払いを喰らわせた中国銀行とは真逆の対応だった。少しでも預貯金を増やして首位を狙いたい銀行にとっては、私のような旅行者であっても美味しいカモに見えるのだろう。この分だと工商銀行でも簡単に口座を開設できるかもしれない。

 

窓口には20代前半と思しき男性行員がヒマそうに座っていた。用紙には色々と記入しておかねばならなかったが、空欄のまま窓口に座っている行員に渡すと、頼んでもないのに自分のサイン欄以外はほとんど記入してくれた。

 

ちなみに、中国の銀行は日本と異なり、窓口には監獄の面会室にあるような透明のポリカーカーボネイド風の板が天井まで張られている。窓口に設置されたマイクと小さな小窓を使って、行員とやり取りするようになっている。きっと防犯のためであろうと思うが、日本の銀行がなぜこういうシステムにしないのかが謎だ。

 

行員に促されるままにパスポートを渡し、しばらく待っていると、自分の電話番号と泊まっているホテルの住所を聞かれた。その後は手元のモニターで記入事項に間違いがないかを確認したり、入出金の際に使う6桁の暗証番号を決めたりして、10分ほどで銀行カードを手渡された。日本の銀行で口座を開設した場合、後日自宅に銀行カードが送られてくるようになっているが、中国の銀行ではICチップが付いた空のカードがその場に用意してあって、客はその場でカードを受け取るという按配になっているらしい。とりあえず、ついでに窓口で手持ちの人民元をすべて貯金してもらった。

 

やっと用事が済んだ、さて帰るかと思って椅子から立ち上がろうとすると、行員は暴漢に襲われていた子羊を救った通りすがりの旅人に名前を請うかのような面持ちで、突然「请稍等!(ちょっとお待ちを!)」と叫んだ。何事かと思って再び椅子に腰掛けると、行員は隠し持っていた茶色の紙を1枚差出し、「この字の書き方を教えてくれ」と小声かつ恥ずかしそうに言った。便箋くらいの大きさの茶色の紙には、見慣れた日本語である平仮名とカタカナが五十音順に記されていた。しかし、よく見ると、「す」と「そ」の書き方が間違っていた。

 

仕方がないので紙に記された日本語を全て添削してやり、「す」の正しい書き方と、「そ」の2種類の書き方を教えてやった。すると行員はここぞとばかりに、今度は「ふ」の発音がわからないから教えてくれと言った。中国人は日常的に「fu」と「hu」の発音を使い分けているから、「ふ」がどちらの発音になるのかを理解し難いようだった。

 

そこで、心優しい私が窓口のマイクに向かって大きな声で、「あいうえおかきくけこ…」と発音してやると、行員は「ふ」の下に「hu」と書いた。私がマスクをしたままで発音したにも関わらず、fとhの発音を聞き分けることができるとは、耳の良い中国人だな、と感心した。慈愛に満ちた私は、頼まれてもいないのに、マイクに向かって大声で五十音を2回繰り返して発音した。

 

私が五十音を発音し終えると、行員は右手の親指を上に向け、少し引きつった顔で笑顔をつくりながら「谢谢(ありがとう)」と言った。私は人助けをしたもんだから、しばらく良い気分になった。きっと中国4大銀行の受付のマイクで五十音を大声で2回唱えたのは、後にも先にも私くらいなものだろう。きっとベンチに座って待っていたこびとは、この歴史的な光景を目の当たりにして、さぞや喜んでいるだろうと思い誇らしげに近寄ると、こびとは口を開けて居眠りしていた。とりあえず無事に口座を開設できたことは、府中の免許センターで苦労の末、バイクの大型免許を一発試験で取得した時と同じくらい嬉しかった。

 

ちなみに中国建設銀行は、2016年4月、中国共産党中央規律検査委員会によって、職務上の立場を利用して友人や家族に便宜を図るなど規律違反の疑いがあった行員が300人以上にのぼったとという件で、ニュースになっている。確かに、客に日本語を教えてもらうという行為も規律違反にあたるのかもしれない。きっと、あの行員は常にメモを隠し持っており、ヒマをみては業務中に日本語を勉強しつつ、いつかは日本へ行くことを夢想していたのであろう。まぁそうは言っても、親日であることに対して悪い感じはしない。

 

銀行口座を開設したあとは、微信に銀行口座を紐付けさせることで微信钱包の利用が可能になるわけだが、この設定には苦労した。何故ならGoogle Playで入手できる微信は中国本土のモノとは異なり、钱包(マイウォレット)が隠しコマンドになっているからだ。

 

钱包機能を有効にするためには言語設定を中文にするとか、アプリをダウンロードしなおすとか、登録してある電話番号を中国本土で使えるものに変更してみるとか、色々とネット上で騒がれている。しかし結局はどれもダメで、微信内ですでに钱包が有効になっている友人から送金してもらうしか手立てがないようだ。友人から1元でも送信してもらうと、自動的に銀行口座の紐付け画面に誘導されるから、その後ちゃんと紐付けが完了すれば钱包を使えるようになる。今回は友人S氏の助けを借りて、钱包を有効化することに成功した。

華為

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先日、目黒と表参道へ行った。目黒はこびと(嫁)が好きないちごのパフェで有名な店があるとかで、どうせならブログのネタに実際のパフェがどんなもんか試してみようということになった。表参道はアッ〇ルの新作スマホを実際に見るためだった。 

 

目黒と言えば、芸能人やらセレブリティらが大勢住んでいるという中目黒付近が有名だ。目黒駅には初めて降り立ったものの、凡庸な東京のJR駅という雰囲気ゆえか、特に感動は無かった。 

 

カフェへ行く前に昼飯を食べておこうということになった。駅前を見回してみたが、あまり目ぼしい店がなかった。仕方がないので駅前からほど近い、某中華料理屋へ入ることにした。雑居ビルの2階にある店で、念のため客入り状況を確かめてやろうと外から眺めると、13時過ぎにも関わらず窓側の席が半分くらい埋まっているように見えたので、入ってみることにした。 

 

店へ上がるまでの階段の壁面には、芸能人とこの店の経営者らしき初老男性が写った写真が20枚くらい貼られていた。これは大都会東京に初めて訪れたカッペ人に対しては、それなりの権威付けになるだろうな、と思った。しかしテレビを観たことがない人にとっては、何の効果もない写真でしかないだろうな、とも思った。こういうモノを見慣れた人間にとっては、むしろ胡散臭いだけで、逆効果になるのかもしれない。 

 

誇らしげな写真を横目に2階へ上がり、純喫茶風かつ古びたドアを手前に引くと、奥から小走りで、中国人らしき女性店員が出てきた。外から見て想像していたよりも客入りが少なかった。多くの人間は無意識に窓側の席へ座る傾向にあり、外から見て混んでいると思い込んだのは甘かった、と今更ながらに気が付いた。店員に壁際の奥のテーブル席へ案内された。 

 

テーブルの端に立てかけられていたメニューを広げ、適当に注文することにした。店のおすすめは焼き餃子と別刷りのランチメニューらしかったが、ランチメニューはどれもチャーハンとラーメンのセットばかりで量が多そうだったから、単品で注文することにした。とりあえず、回鍋肉、春巻き、焼き餃子、ライス2つを注文した。中国人店員の日本語があまり上手くなかったから、念のため日本語でしゃべったあと、「来两碗米饭」と言った。単品のライスはメニューに載っていなかったから、店員が「ライス」を「某国の元国務長官」や「荔枝(ライチ)」などと勘違いしないよう、親切心から中国語を使っておいた。 

 

少し離れた窓側の席には、降谷建志を安っぽくしたような常連風の若い男が座っていた。彼は独りでランチメニューを食べていたが、いかにも目黒人的なオサレな雰囲気を醸し出していた。 

 

こびとがトイレへ行っている間に、回鍋肉とライスが運ばれてきた。オーダーしてから3分くらいしか経っていなかったから、余程ヒマなのだろうな、と思った。ホールには中国人らしき中年女性店員が3人立っていたが、みな団子になってペチャクチャとおしゃべりしていた。中国人女性はとにかくヒマがあればずっと喋っていることが多い。 

 

「中華料理は出てくるのが早いからいいね」などと少量の回鍋肉をつつきながらこびとと会話していると、餃子と春巻きが運ばれてきた。しかし運ばれてきた春巻きを見て、箸の動きが止まった。

 

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小さな皿の上には半分にカットされた春巻きが3つ載っていたが、そのうちの2つが揚げすぎゆえか、焦げて爆発していた。中国でこんな春巻きを客に出したら、客はきっとキレて暴れ出すか、金を払わずに出て行くに違いない。日本人は大人しいと思ってナメているのだろうな、と思った。 

 

こびとがクレームを言ったらどうかと言ったが、こんな店には2度と来ないだろうし、クレームを言って改善されるのも癪に障るから、放置しておくことにした。基本的にクレームというものは、改善の余地がありそうだったり、社会に貢献して頑張っているが何となくミスってしまった、というような店や会社に言うべきであって、そうでない輩には言うだけ労力の無駄である、と私は考えている。要するにクレームを述べたところで何も変わりゃあしないだろうし、怒ると体に悪いから、放置しておくことにした。さりげなく厨房へ目をやると、やる気のなさそうな私服姿の厨师男が見えた。どうみても「不愧是大厨」という風貌ではなかった。きっとこの分だと皿の上に載っているパセリは使い回しかもしれないな、と思った。 

 

結局、この店の招牌菜(名物料理)だという焼き餃子も大して美味くなかったから、パッと食べてサッと金を払い、潔く店を出ることにした。北京では外食で残念な思いをすることは稀だが、日本では特に中華料理に関しては、ガッカリさせられることが多い。本場中国の美味しい料理を知らぬ人が多いからなのかもしれない。 

 

口直しに、早速話題のカフェへ行くことにした。カフェは中華料理屋の入っているビルから歩いて数分の場所にあるはずだった。事前にGoogle Mapで調べておいたが、何となくジョナサンのある逆方向に行ってしまって、時間を無駄にした。 

 

目黒通りを西へ戻ると、すぐにカフェが見えた。カフェは2階にあったが、すでに10人くらい行列していた。ちょっと待ってみようかとも考えたが、ラーメン屋のような回転速度は望めぬし、目黒マダムがのんびりとパフェを喰らっているのを待つのも耐えられぬので、並ぶのは止めにした。きっと、芸能人がステマ的にインスタグラムなどで苺パフェなどをアップしているがゆえに、平日にも関わらずアホみたいに混んでいるのだろうな、と思った。それに、こんなにも沢山人が並んでいたら、落ち着いて食えたものじゃあない。

 

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とりあえず散歩がてら、恵比寿駅まで歩くことにした。目黒通りからだと、距離にして大体1.5キロくらいである。平地なら大した距離ではないけれど、目黒から渋谷付近は今でも太古の名残で谷のようになっている場所が多く、坂道ばかりで少し遠く感じた。 

 

恵比寿ガーデンプレイスの入口あたりまで辿り着くと、山手線の上にかかる橋で信号待ちをしている白いラン〇ルギーニガヤルドが見えた。信号が青に変わるや否や、そのスーパーカーはゼロヨンの如き凄まじいスタートを切って、通りを駆け抜けていった。こんなに狭く人通りが多い通りを暴走する輩はどんな人相をしているのだろうかと思い、車の方向を見た。 

 

すれ違う瞬間に、窓を全開にした運転席に座っている、成金風の中年男性が見えた。男は非常に激しい形相をしていた。こんな寒い日に窓を全開にしていたのは、きっと窓のレギュレーターの破損か、単なる虚栄のどちらかだろうと考えたが、男の顔と身なりから察するに、後者であろうと思った。元来、激しい人相の者は気性が荒く、激しく事故ったりするものだが、歩行者を巻き込むような事故を起こされたらたまったものではない。 

 

恵比寿駅からは山手線に乗り、原宿へ向かうことにした。目的は表参道にあるアップ〇ストアだった。原宿駅を出て表参道へ向かって歩いていると、MA-1と呼ばれるフライトジャケットもどきを着ている女の子と、次から次にすれ違った。そもそもMA-1やらN3-Bなんぞは、私が中学生の頃に大ブームになったジャケットだ。当時は上野の中田商店で上質なフライトジャケットを買って着ることが男子学生どもの密かな望みであった。しかし実際にそれを着ることが出来たのは、数人の地主ボンボン息子くらいであって、ほとんどの男子は高校生になってから、アルバイトで貯めた金を握りしめて上野へ向かったものだ。日本ではおおよそ20~30年くらいで同様のブームが巡り巡って来るといわれているが、確かに最近流行り出したNIRVANAジャックパーセル、MA-1なんぞは、すべて1990年代に流行したものだ。ブームなんてものは意図的に操作されているようなもんだろうから、個人的には関心がない。 

 

しばらく歩いていると、こびとが急にアッと叫んだ。どうやら3時間ほど前に、仙川駅のホームで隣に立っていたジャイ子風の女が、正面から歩いてきているらしかった。すれ違う瞬間に女の顔を見たが、確かに同じ時間の同じ車両に乗った女だった。日中は1500万人程度の人が集まる大東京で、意図せずして赤の他人と同じ時間に同じ空間を共有したということに、背筋にヒヤリとしたモノを感じた。 

 

まぁ、案外気が付いていないだけで、そういう瞬間は多いのかもしれない。人間はある種の巨大なシュミレーション上を神の如き存在によって操られているだけだ、などというオカルティックな話もあるが、凡人の知れたことではないし、もしそうであってもどうにかなる話ではないから、どうでもよい。 

 

人と人が出逢う確率はどんなもんだろうかなどと考えながら、再び表参道を歩いていると、再びこびとが後ろを見やり、アッと叫んだ。今度は何事かと思って素早く後ろを振り向くと、異様な雰囲気を発露させながら、ピロピロとリコーダーを吹き鳴らし歩く男の後ろ姿が見えた。どうやら、メディアなどで「リコーダーの妖精」などと呼ばれている男とすれ違ったらしかった。私は今しがた神の存在やら、人間が出逢う確率やらについて壮大な思索にふけって歩いていたもんだから、コナンドイルがまんまと騙された「The Case of the Cottingley Fairies」を彷彿とさせる妖精男が表参道を闊歩しているという驚異的事実を目の当たりにしても、全く気が付かなかったのだった。 

 

表参道はまるで正月かの如き人出で、うんざりするほどだった。平日の昼間にここを歩けるのは暇を持て余している学生か中高年、または自由業かナ〇ポか、はたまた私のような自営業か平日休みのサービス業、観光で来日している外国人くらいだろうな、と想像した。こんなにも多くの群衆に紛れて歩いていると、それだけで疲労感が募ってゆく感じがした。確かに北京や上海にも沢山の人が集まっているが、何せ中国は長城を本州の10倍以上の長さに張り巡らせられるほど広いから、人ごみを歩いていてもそんなにストレスを感じない。 

 

アッ〇ルストアには初めて入った。アッ〇ルの看板商品であるア〇フォンは、いわゆる大手キャリアを利用していたがゆえに惰性で使い始めていたのだけれど、他のスマホに移行するのは面倒であったし、iosが最高であると何となく盲信していたもんだから、壊れかけている5sよりも高性能なSEが実際どんなもんか確かめてみようと思い、わざわざ歩きたくもない表参道に来たのであった。 

 

入店するとすぐに、店頭にいた店員が親しげに話しかけてきた。見た目は黒人のようであったが、中々流暢な日本語を話していたことに違和感を感じた。店内にはかなりの数の客がいたが、青いシャツを着た店員も沢山いて、その多くは日本人ではないように見えた。何となく地下にも降りてみたが、どうも「Pink Flamingos」のような世界観に耐えられず、すぐに地上階へ戻ってしまった。 

 

しかし、暇そうにしている店員がなんと多いことかと驚いた。平日にも関わらずこんなに多くの店員がいるのに、ストアに電話した時なぜあんなに待たされたのだろうか、と考えた。都内のどの店舗に電話しても、常に「3人待ちです」と言われて、10分以上待たされたのだった。まぁ、単純に電話回線が少ないのかもしれない。 

 

そうは言っても、暇を持て余しているような店員に人件費を使うくらいなら、電話回線を増やして電話対応の流れをスムーズにしたら良かろうと考えた。それに、もう少し店舗の規模を小さくしたり、1日に入るべきスタッフの数を減らすなど、コストの見直しを徹底出来そうに見えたし、そうすれば今よりももっと商品価格を下げることが可能であるだろうなどと考えた。実際のところ、この企業が顧客の利益をどの程度考えているのかを知る由はないが、実際に店舗を訪れてみて、正直幻滅した。 

 

確かにアイ〇ォンは処理速度が速くて使いやすいけれども、内容的に考えたら現在の価格の半値または3割引きくらいの値段が妥当ではなかろうか。ブランディングに金をかけすぎて商品価格を上げざるを得ないのか、会社がより多くの利益を望んでいるのかわからぬが、低価格で良質な中華スマホの存在を知ってしまうと、ここで大金を落とすことが何となくアホらしくなってしまった。 

 

1階ではノートパソコンにも触れてみたが、タブのボタンが左にあるなど、どうも日常的に右脳を使う割合が高い左利き人でないと使いにくそうな仕様であったから、ウィン〇ウズがマルウウェア的に個人情報を抜き取ろうとも、やはりウィン〇ウズの方が使いやすいし、自分には合っているなと思った。結局、スマホは買わずに店を出た。 

 

その後、HUAWEIのスマホを買った。中華製であることや、アンドロイドの脆弱性を憂慮して今後もアッ〇ル一筋でゆくつもりだったけれど、結論から言えばHUAWEIにして良かった。HUAWEIを使わなければ、きっとアッ〇ルの短所にも、長所にも気が付かなかっただろう。アイ〇ォンはキーボード上で中文変換が可能だったのがとても良かったが、SDカードが使えるHUAWEIの方がメリットを多く感じる。 

 

そういえば、ア〇クラウドのストレージ容量を有料で増やすのは簡単だったが、無料の5Gにダウングレードしようとすると、最後に「完了ボタン」が押せないという悪質な仕様になっていたのには憤慨した。わざわざコールセンターに電話して、本人確認のちにPINコードを取得したり、2ファクタ認証をせねばならぬなど、企業の本心を垣間見た気がした。