インチョーのブログ(表)( ´∀`)

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昔の記憶

先月、20年ぶりに京都と奈良を旅行してきた。基本的に東京に住んでいると何でも揃ってしまうから特段用事がない限り、わざわざ関西の都市部へ出向くことはない。今回は、とりあえず名所と呼ばれる場所を中心に巡ることにした。

 

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初日は京都タワーへ上ってみた。修学旅行シーズンゆえか、1階の土産売り場は中学生でごった返していた。

 

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京都タワーは大そう不安な外観であるが、実際に展望室に上ってみると予想通り変な揺れ方をするもんだから、望遠鏡にかじりついている中学生を傍目に、長居せずに降りることにした。

 

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しかし、まぁ高いところだから眺めは良かったが、大地震がきたことを想像すると、長居出来たものではない。

 

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とりあえず何もしないで降りるのはもったいないので、望遠鏡をiPhoneで覗いてみた。案外綺麗な写真が撮れた。

 

展望台から下ると、2階には怪しい電脳手相コーナーがあった。1回300円でコンピューターが占ってくれるらしい。とは言っても全自動ではないから半ば人力で占うようになっていた。

 

ヒマそうに立っていた受付らしきおばはんに代金を渡すと、よく使う方の手を出せと言われた。通常手相は両手をみて判断することが多いが、電脳手相コーナーではどうやら利き手だけで判断するらしかった。この時点で怪しさは倍増した。

 

右手をコピー機の上に置くと、すぐに私の手相がプリントアウトされた。おばはんはコピーされた手相を見て、慣れぬ手つきで機械を操作すると、私に相応しいと思われる鑑定書をプリントアウトして私に差し出した。鑑定書には無難なことしか書いてなかった。どうやらプリントアウトされる鑑定結果は数パターンしかないように見えた。

 

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京都タワーを出た後は近場の寺を巡って、ホテルへ帰ることにした。

 

2日目は早朝にホテルを出発して、鞍馬山へ登ることにした。患者さんから素晴らしいパワースポットだと聞いていたので、実際にどんなもんか確かめてみたいと思っていたのだった。私は良いと聞くと、確実に怪しいと思われるモノ以外はなるべく実体験してみることにしている。

 

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東京には三軒茶屋があるが、京都には二軒茶屋があるらしい。とりあえず写真を撮ってみた。

 

鞍馬山はあいにくケーブルカーが運休していて、全路徒歩で登ることになった。登山するつもりの恰好で出かけてきていたが、夏場だから暑くて結構大変だった。感覚的には山の起伏や生態系は高尾山に似ている。

 

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30分くらい黙々と登ると、鞍馬寺の本殿に着いた。目的は山中深くにある奥の院だから、とりあえず一休みすることにした。境内では鞍馬山にある保育園の子供が元気に遊んでいて平和だった。

 

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ほとんどの観光客はここで引き返していた。ここまでの道のりでバテてしまう人が大半のようだった。

 

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奥の院参道の入り口には、軽装で入山することを拒ませるかのような看板が立っていた。ヤマカガシもいればオオスズメバチもいるらしい。黒い服装ならアウトでしょうな。

 

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1時間くらいひたすら歩くと、奥の院に着いた。すでに参拝者が数人佇んでいた。奥の院は確かに雰囲気が違ったけれど、パワースポットなのかどうかはよくわからなかった。

 

10分くらい休んで、貴船方面へ下ることにした。貴船神社の近くにある飯屋で昼食をとる予定だった。貴船神社は丑の刻参りやら藁人形やら呪詛やらで有名らしいが、昼間に訪れる分には特に怪しい感じもしなかった。 新緑が眩しいくらいだった。

 

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3日目は嵐山へ行く予定だったが、やはり前からちょっと気になっていた奈良へ行くことにした。

 

そもそものキッカケは、2か月前に枻出版社のDiscover Japan5月号で水野南北翁の特集を組んだ時の話だ(http://ameblo.jp/ryudoumizuki/entry-12005146203.html)。

 

当院へ取材に来られた編集部のAさんに、「何故に今更、南北先生の特集を組むことになったんですか?」と問うたら、「編集長が春日大社宮司から“御宣託”を受けたんですよ。」という話を聞いていたのだ。

 

私は7~8年前から南北翁について独自に研究しているのだが、春日大社と南北翁の関係については初耳だった。実際に所以があったのかはわからないけれども、何かしらかの縁があったと推察されるならば、自称研究者としては行かずにはいられぬ。何某かの発見があるやも知れないからだ。

 

奈良へ行くのは中学校時代以来である。 

 

中学生の時は、確か修学旅行だか何とか訓練だかの名目で奈良を訪れたのだと思うが、特に楽しい出来事もなかったからか、当時の記憶はほとんど残っていない。微かに覚えていることと言えば、突然の雨で財布が濡れてしまって、一生懸命に旅館の一室で夏目漱石さんを乾かしている友人S村君の姿を眺めていたことや、旅館の夕食時にクラスメート数人が、瓶入りのコーヒー牛乳片手にしゃぶしゃぶ用の少ない豚肉をうばい合いながら食べているのを眺めていたこと、京都限定らしかったファンタのレモン味をお土産に買ったこと、学校の課題だかで見ず知らずのイギリス人に無理矢理、英語で街頭インタビューさせられたことくらいだ。

 

今回の奈良でも坊主頭の男子中学生が、アメリカ人らしき見ず知らずの女性に突如脈絡なく「サインプリーズ」と言っていた。しかし、ネイティブなら有名人などにサインをくれと言う時はautographを使うようだが、滅茶苦茶な字幕映画などが溢れる日本で普段からわけのわからぬ和製英語に毒されている中学生にとっては、そんなことはどうでも良いのかもしれないなどと思ったりした。

 

奈良と言えば、20代初めの頃、奈良の山奥にある天河神社という所へ行った時の事を思い出す。なぜ行こうと思ったのか詳しくは覚えていないが、急に思い立って、小さなバックパックを背負って独りで出かけたのだろうと思う。

 

天河神社へは下市口という駅から公共のバスで山中を行くのだが、その時は一人旅的な、影のある感じの若い女性がチラホラ乗っていた。

 

泊まる場所をどうやって確保したのか、どんな感じで過ごしたのかもほとんど覚えていない。旅館近くにあった、閑古鳥が鳴いているような飯屋で初めて馬刺を食べたことや、単なる民家のような旅館の女将に「相部屋になりますが良いですか」と聞かれたこと、相部屋になった同年代らしき男が明かな電波系で、「天川村はよくUFOが出るんですよ。私は何回か見たことがあります。」とか、「寝る前にちょっと川へ行って来ます。私には川の声が聞こえます。」などと神妙な顔をして語っていたこと、旅館の朝食で私の嫌いな高野豆腐が出たこと、当時洗脳されて雲隠れしていたらしいX(エックス)のTOSHIが奉納演奏に来ていたが、少人数ながらも女のファンが群れていて、歌声だけしか拝めなかったこと、くらいしか思い出せない(生の歌声は素晴らしかった)。

 

もはやどうやって帰ったのかさえも覚えていないが、今思い返してみれば、その電波系青年は影がほとんど無いかのような男だったから既に彼岸へ逝ってしまったかもしれない。しかし今思えば、見知らぬ男と相部屋になっても爆睡出来たなんて、平和な時代だったもんだと思う。今の日本じゃ、電車の中で寝顔を盗撮されてSNSに無断で投稿されたり、毒入りチョコを喰わされて財布をパクられたりしかねないから、気軽に相部屋なんて出来たもんじゃない。

 

15年くらい前はネットも大して発達していなかったし、SNSなんてのも存在しなかったし、携帯電話なんぞはメールか電話くらいの機能しか持ち合わせていなかった。ゆえに他人との関わりも希薄であって、お互い大して干渉しなくても済んだから、あれはあれで良かったと思う。いや、むしろ、他人との関わりあいにおいては昔の方が精神的には楽だったかもしれない。

 

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奈良公園鹿せんべい売り場では、中国人家族が鹿に襲われていた。中国語で「アイヤ―(あれまー)」とか「トントントン(痛い痛い痛い)」と叫んでいた。

 

公園内で鹿せんべいを売る老人は数人いたが、みな一様に無表情で「でぃあーでぃあー(Deer,deer.)」と念仏のように呟いているもんだから、せんべいを買うつもりが、即身成仏しているのかと思って、小銭を渡した後、合掌しそうになった。

 

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春日大社には初めてお参りした。国宝の御本殿は20年に1度の御開帳で賑わっていた。秘仏を公開するような感じだから当然にして撮影は禁止されていたが、恐れ知らずの中国人観光客がパシャパシャと撮りまくっていた。中国語ではああいう人のことを「无知无畏」と言うのだろう。

 

結局、何となく、宮司に会って南北翁の話を聞こうという気持ちにならなかったので、ふらりとお参りするだけにした。

 

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春日大社をあとにして奈良公園付近を徘徊していると、独特な雰囲気のメニューを掲げた茶屋があった。うどんのトッピングが奇抜でドン引きしたが、外国人は喜んで食べている様子であった。茶屋といえば箱根の甘酒茶屋の外観が好きだったが、こちらの方が茅葺の雰囲気といい、全体的な佇まいは上質であった。

 

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奈良公園に行った後は定番の東大寺へ行ってみた。奈良は京都と違って全体的なスケールが小さいから、短時間・低予算で回れて日帰り観光にはウッテツケである。

 

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東大寺を回った後は新幹線に乗り遅れるといけないので、早めに京都駅に戻ることにした。

 

手相といえば、20代初めの頃、イロイロあって路頭に迷っていた時期に、手相の大家であられた門脇尚平先生に、下北沢のご自宅で鑑定していただいたことがあった。ご自宅は下北沢駅から5分くらい歩いた住宅街にあって、インターホンを押すと気さくな感じで門脇先生がお出迎えになり、玄関左脇の居間に通された。10畳くらいの部屋に小さなちゃぶ台と座布団が2枚敷いてあって、部屋の奥には西式健康法の平牀(へいしょう、≒木板)と硬枕を置いたスペースがあった。

 

先生に促されて座布団に座ると、すぐに代金を請求された。3万円だった。先生は現ナマを手にするまで、会話をしない様子だった。随分高いと思ったが、門脇先生にお会い出来て感動していたし、鑑定内容に期待していたので、すぐに諭吉を3枚取り出した。ためらいながらも3万円を差し出すなんて、あの頃の私は今よりは遥かに純朴であったと思う。

 

門脇先生の手は随分と手荒れが酷く、表皮が剥けてカサカサになっていたので、つい「どうしたんですか」と言ってしまったが、先生は「ちょっとね」と言って話をはぐらかした。先生は西式健康法で完全なる健康体になっていると思い込んでいたが、西式に問題があるのか、先生に問題があるのか、当時の私にはわからなかった。

 

先生はしばらく私の手相をジッとみていたが、「あなたはちょっと変わった人と結婚するね」とか「吉相、吉相」と大きな声で言うだけで、私が聞きたかった内容はあまり判然としなかった。

 

結局、先生が話した内容の大半は下ネタ的な自慢話ばかりで幻滅した。まぁ大体、巷の占い師の多くは、客が望んでいる答えを推量してうまいこと言うだけの、鏡台みたいなモノなのかもしれない。

 

とりあえず、鑑定の時間が終わる前に、一つだけ聞いておきたいことがあった。門脇先生は多くの著書を残されているが、どの著書が一番お勧めなのかということが知りたかったのだ。

 

先生は、“手相はアリストテレスに始まって門脇尚平に終わる”、と自著で毎度のようにおっしゃっていたが、「本を書けて実際に観れる人は少ないでしょ。私は観れるし本も書ける。」と実際に語っていた。

 

先生は座りながら電話の受話器を取ると、おもむろに内線ボタンを押して、2階にいる娘さんだかに「『手相への招待』まだあったっけ?」と聞いた。私はどの著書がお勧めなのかを知りたかっただけで、本を買って行くつもりはなかったが、先生は本を売る気満々のようであった。とりあえず、先生が勧める本が『手相への招待』であることがわかったのは収穫であった。

 

鑑定の時間が終わると、先生は「手相の改善と健康のために、西式健康法をやりなさい。明日から朝食を廃止しなさい。」と言いながら、私に帰宅を促した。

 

こうして私が15年前に木枕の存在を知り、今、多くの患者に感謝されるような木枕の使用法を考え出すことが出来たのも、そもそもは門脇先生のおかげである。手相に関しての恩恵は少なかったけれども、西式の存在を教えて下さったことに関しては、門脇先生には大いに感謝している。

 

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そんなこんなで、京都から東京へ向かう新幹線の中で、デイパックの中に忍ばせていた携帯用の木枕を首にあてがいながら、若かりし頃の懐かしい日々を昨日のことのように思い出していた。

 

そういえば、最近、何人かの患者さんから携帯用の木枕を売ってくれと言われたのでメーカーに問い合わせてみたのだが、残念ながら携帯用は既に販売中止になっていた。以前はメーカーもバンバン作っていたらしいが、最近は需要がないのと職人が引退したとのことで、生産を中止せざるを得なくなったらしい。

 

木枕はしばらく使っていると旅行や出張にも携帯したいと思うようになるわけだが、うちの患者さんにもそんな感じの人がチラホラ現れてきたようだ。携帯用は折りたたむと通常の木枕の1/3くらいの大きさになるので、バッグに入れても邪魔にならず便利である。

 

ちなみに私の親戚に建具師がいるので、早速唯一所有している携帯用の木枕を送って、安く作れぬかと頼んでみたのだが、1つ作るのに1日かかるわ1万円以上はもらわないと割に合わないわなんていう話だったので、結局断った。個人的には5000円くらいまでなら買っても良いと思うが、あまりにも高いと誰も買わないだろうし、だいたい木枕にも相場というものがある。将来的には安くて、比較的作りの良いものを量産して販売したいが、今はまだ需要が少ないので、とりあえずこの案件はペンディング中である。

 

 

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