インチョーのブログ(表)( ´∀`)

「東京つばめ鍼灸」インチョーの独り言ブログ。「南北相法」の翻訳ページはこちら→http://www.varianttuning.com/index.html

黄泉比良坂のその後

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黄泉比良坂へ行ったあと、私は午後から用事があったので、師匠のお父さんを自宅まで車で送って、そこでお別れする予定だった。

 

その頃私が乗っていた車は10万円で買ったボロクソワーゲンで、左ハンドル車だった。お父さんは毎回左側にある運転席のドアを開けて乗り込もうとするものだから、毎度右側にある助手席へエスコートしなくてはならなかった。

 

お父さんを乗せたあと、指示通りに黄泉比良坂正面の裏道を進み、9号線を抜けて揖屋駅方面へ向かった。すると、お父さんは「ちょっと寄り道して行きましょう」と言って、中海(なかうみ)沿いの道へ行くように促した。

 

中海というのは東出雲のとなりにある汽水湖で、宍道湖とつながっている。中海は宍道湖同様に淡水と海水が混じっているが、宍道湖よりも海に近いためか塩分濃度が高いらしい。しばらく走ると平屋ばかりが並ぶ集落に入った。お父さんはある大きな一軒家を指さして、「これがウチの本家です」と言った。私に本家の場所を教えた意図は不明だった。

 

その後、三菱農機の工場がある狭い路地を抜けて9号線へ戻ることになった。山陰本線の踏切を渡り、左折して再び9号線に入ろうと信号待ちをしていると、お父さんが予想外にもこう言った。「星上山へ行きましょう」。

 

お父さんは「星上山はすぐそこです。車ならすぐです」とニコニコしながら言ったが、「私を星上山へ連れていきなさい」という雰囲気が満ちていた。かつてお父さんは、妻であるお母さんを背負い投げで投げ飛ばして怒りを露わにしたことがあったらしいが、お母さんはその時以来、お父さんのことを恐ろしいと言っていた。そんなわけで止むを得ず信号を直進して、星上山へ行くことにした。

  

山へ向かっている途中、お父さんは突然、「周はここで落ちました」と言い、田んぼの一角を指さした。どうやら師匠は実家に住んでいたころ、軽自動車を運転していて何を血迷ったのか、田んぼへ突っ込んだことがあるらしい。お父さんは落ちた理由はわからないと言っていたが、神話色が濃厚な八雲町との境目であったから、狐か狸に化かされたのかもしれないな、と思った。

 

実際につい最近まで、東出雲からほど近い枕木山のふもとの村ではポン太だか権太などと呼ばれた狐や狸が畑を荒らしたり、村人を化かしていたと、その村に住んでいる患者が証言していた。俄かには信じがたいが、水木しげるが育った境港や島根半島が近い町だから、そんなこともあるのかもしれないな、とシティボーイらしく想像した。そう言えば島根の山奥に住むある患者曰く、山間部のある村では昭和くらいまでいわゆる狐憑きの現象が見られたそうで、今でもその村の近くに狐憑きを専門に祓うお寺があるそうな。

 

 

 星上山は東出雲から見ると確かにそんなに遠く感じなかったが、ナビをすると言っていたはずのお父さんが道を覚えていなくて、結局何度も行ったり来たりで山道に入るまでに1時間くらいを費やした。

 

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星上山は東出雲町の隣町である八雲町に位置する454mの小さな山だ。頂上付近には星上山スターパークというキャンプ場がある。車はお父さんの案内で、この施設の近くの空き地に止めた。とりあえず車1台がギリギリ通れるくらい狭い、ガードレールが所々にしか設置されていない危険な山道をやっと走り終えたことにホッとした。

 

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「星上(ホシガミ)」が「星神(ホシガミ)」に通ずるという山の名称の通り、大昔に天から星の神が降臨した山だとか、霊火で中海を照らし、遭難した船を救ったという言い伝えがある山だとか言われている。

 

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「出雲観音記」によると、第45代聖武天皇の時代であった天平二年(730年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、突然の暴風にあって方向を見失い、海上を漂いながら夜を迎えた。漆黒の闇の中では右も左もわからず、一心に大慈大悲の観世音を祈った。すると、突如として星光が星上山の上に出て暗夜を照らし、漁夫はその一点の星を目印にして船を漕ぎ続け、無事に揖屋港へ帰り着くことが出来た。翌日、漁夫はこれを観世音のお導きと思い、星上山へ登ると、山頂から約200mほど下ったところに小さな池を見つけた。ふと水面を眺めると、十一面観世音の御影が映っていて、観世音様が岩壁の上に立っていた。漁夫は感涙にむせび、仮堂を作って安置し、その御徳を広く四方へ伝えたという。この池が現在、星の池と呼ばれている池らしい。こんな内容が記された案内板を、しばしお父さんと眺めた。

 

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草木が生い茂った山道には所々に小さな石彫りの仁王像が祀られていたが、何故かそのほとんどの首や胴体がもげていたもんだから、若干寒気がした。周囲にはお父さんと私以外に誰もおらず、鳥の声と枯葉を踏みしめる音しか聞こえないもんだから、より一層不気味に感じられた。一応、仁王像はもげた部分が丁寧に立てかけられていた。きっと信仰心のある人が直したのだろうな、と思った。山頂には無住の寺というか、質素なお堂があった。

 

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お父さんは80歳を超えていたが、毎朝自転車で「しんぶん赤旗」を配っていたせいか足腰は案外丈夫で、慣れた感じでスタスタと山道を先に歩いて行った。そういえば、お父さんはいつも私の鍼灸治療が終わったあと、待合室の椅子に腰掛けて、私が出したお茶を飲み干してから「お世話になりました」と言って帰るのだが、毎回「しんぶん赤旗」を1部椅子の上にさりげなく置いていく習性があった。これは確信犯だな、と思った。

 

山の南側、中海方面にはテイカカズラヤブコウジなどのシイ林が広がっていた。お堂の周辺にはアカシデやイヌシデなどのシデ林があり、北側、中国山地側にはカシ林、スギやブナの巨木が混在していた。暖帯のシイ、シデ、カシと寒帯のブナが混生している状況は大変珍しいらしい。

 

島根半島にある美保関には過去に隕石が落ちているから、もしかしたら星上山にも隕石の類が落ちて、山の生態が変化したのかもしれない。隕石を見たことのない古代人にとって、光を放って落下する得体のしれぬ物体は畏れ多き神に見えぬこともない。星の池は小隕石が落下した痕だろうか、などと想像した。

 

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お堂の前を過ぎると、「展望がすばらしい 東展望台」と記された案内板が見えた。前日の雨で少しぬかるんだ小道を抜けると、急に視界が開けた。

 

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東展望台は島根半島、中海が一望できるようになっていた。東屋のような屋根付きの休憩所らしき建物と、「宍道湖から中海の景観」と記された案内板が立っていた。お父さんは久しぶりに登ったためか、少し感慨深そうに景色を眺め、私に目の前に広がる景色の説明を始めた。当然ながら、お父さんの横顔もお母さんと同様、やはり師匠に似ていた。薄い雲が広がっていたため遠くまでは見渡せなかったが、なかなか良い眺めだった。

 

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続・2011年前後

砂丘は島根にあると思い込んでいた自称シティーボーイにとって、島根での生活は不安だらけだった。

 

2010年の7月中には、前院長であったTさんから島根の北京堂を引き継がねばなかった。それゆえ、出来るだけ早く島根へ行っておかねばならなかった。しかし、私の島根行きが突然の話だったのと、Tさんがなるたけ早く退職したいとのことで、私の東京での弟子入り期間は実質3ヶ月しかなかった。

 

北京堂の弟子は通常、最初の3~6ヶ月くらいは治療の見学と抜針だけで、実際に患者に鍼を打たせてもらえるようになるのは、弟子入りしてから半年後程度、ということになっている。しかし私は3か月後に島根の北京堂を引き継がねばならなかったため、弟子入りして1ヶ月くらいで患者に鍼を打たねばならぬような状況を強いられた。しかし幸いなことに、弟子入りする前の1年間は卒業した鍼灸学校の付属施術所で実際に患者に触れたり、毎週末は狭いワンルームの自宅に友人を招いて刺鍼練習をしていたから、とりあえず弟子入り1ヶ月後には何とか針が刺せるようになっていた。あの頃練習台になってくれた友人達には今でも感謝している。

 

ちなみに、鍼灸学校を卒業すればすぐにマトモな治療が出来るようになる、と思い込んでいる人が少なくないが、実際には卒業してすぐに治せるようになる鍼灸師なんて皆無に等しい。高い学費を払い、専門性習得を謳う厚生労働省お墨付きの学校を卒業してもスペシャリストになれぬとは何とも皮肉なことだが、未だに卒業後10年経ってもロクに治せない鍼灸師は珍しくない。会員ビジネスの餌食となって徒党を組んで安心感を得るだけで、患者と真剣に向き合おうとしないようなケースも、日本の鍼灸業界ではアルアルである。

 

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島根には事前に日通の単身パックで荷物を送っておき、バイクで行くことにした。島根で生活するためにはバイクがあった方が便利だと思ったからだ。私のバイクは「スポーツツアラー」と呼ばれるジャンルで一部の変人から愛されていた、スズキのRFというバイクだった。これまで、スズキは刀やガンマ、TL1000Rなどと変態的なバイクを量産してきたが、RFは私の好みにピッタリのバイクだった。

 

RFは1992年に製造された旧車で、島根-東京間、往復1600キロをよくノントラブルで走ったと思う。今思えば恐ろしいことだ。結局、RFは2015年に廃車にするまで50000キロ以上、大きなトラブルもなく走ってくれた。キャブ車は燃料タンク内のサビやスラッジでニードルジェットが詰まって走行不能になるのが定番だけれど、定期的なキャブのオーバーホールやタンクの交換、ワコーズフューエル1の定期注入で、何とか走行不能は免れることが出来た。RF唯一の構造欠陥として、スタータスイッチ部分に水が入るという事例があったが、これは自分でうまく改造して問題なく走れた。チョークワイヤーは固着しやすかったが、寒い日はエンジンがかかりにくくなるから、これも定期的な交換と注油が必須だった。あとはイグニッションコイルクラッチワイヤー、アクセルワイヤー、プラグ、バッテリーの交換、フロントフォークのオーバーホールが必要だったが、エンジンやミッションは触らずに済んだ。

 

結局、2010年の7月に島根へ移住したのだが、北京堂を引き継いだ当初はヒマすぎて、本当に食っていけるかどうか不安だった。しかし、師匠がすでに島根で20年ほど北京堂をやっていたこともあり、徐々に患者が戻ってきて、何とか生活していけるようになった。あまりにもヒマな時は、一人で市内を観光したり、鍼灸院のウェブサイトを作ったり、南北相法を翻訳したりした。ウェブサイトの作成は独学で一から始めたから大変だったけれど、今となってはコツコツやってきて良かったと思っている。

 

そういえば去年だか一昨年くらいに、某出版社からの依頼で南北相法の一部を抜粋して、現代語に翻訳したことがあった。結局その翻訳は雑誌で公開・出版されたが、つい最近、その翻訳をウリにした別冊を出版するとのことで、出版社から転載承諾の許可を乞うメールがあった。私は二つ返事で承諾したが、結局担当者からは返信がなく、そのまま新たな特集本が出版された。私の翻訳を最大のウリにしたような本なのだから、報酬は無くとも、どんな感じで刷り上がったのか1冊見本を送ってくれたって良いじゃないかと思ったりした。まぁ昨今の出版社なんてそんなものなのかもしれない。

 

島根では師匠のお父さんとお母さんにお世話になった。師匠のお父さんは針治療も好きだったが、特に灸施術が好きで、1ヶ月に1~2回くらいのペースで私の治療を受けに来ていた。毎回灸を据える前に「私はね。熱いのが平気なんですよ」と言っては、遠回しに熱めの灸を要求した。

 

私は針を刺し終えると、いびきをかいてすぐに寝落ちするお父さんの横で、付き添いで来ていたお母さんとおしゃべりするのが常だった。お母さんは色々な話を聞かせてくれたが、毎度同じような話を何度も繰り返すので、毎回初めて聞いたような素振りで相槌を打たねばならなかった。お母さんは来院するたびに、東出雲町で最も美味いという越野の天ぷら(魚のすり身を揚げた山陰名物)を手土産に持参してくれて、話疲れると待合室の長椅子でリッラクマのティッシュケースを枕にして、お父さんの治療が終わるまで昼寝していた。師匠も疲れるとすぐに横になる習性があるが、お母さんの寝姿は師匠とソックリだった。お母さんとお父さんは、たまに私を自宅に招いてくれて、松江の名物である茶菓子やら魚料理やらをご馳走してくれた。お母さんは夕方になると、ホースで庭の植木に水をやるのが日課になっていた。

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お父さんは山陰の郷土史について語ることが好きで、ヒマを見ては私を松江近辺の名所に案内してくれた。お父さんは毎日ヒマを持て余していたのか、私をどこかへ連れて行くことが楽しい様子だった。

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東出雲の一番の名所であると思しき黄泉比良坂(よもつひらさか)へ一緒に行った時、お父さんは「これは黄泉(死者のいる場所)に通じる入口を塞いだ石だと言われていますが、この石は我々が若い頃に運ばされたものです」と出雲訛りの標準語で言った。お父さんは神話やら仏教説話には懐疑的で、どちらかと言えば唯物論者に近かった。まぁ一応、東出雲町の名誉のために言っておこう。

 

ここには黄泉の入口が存在します。

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島根で初めて迎えた冬は大変だった。2010年の大晦日から降り始めた雪がずっと止まず、一夜明けた正月には、松江の学園通り付近で積雪が60cmを超えた。

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豪雪地域では何てことのない積雪量なのかもしれないが、ほとんど雪の降らぬ東京で育った人間にとっては、メジャーで深さを測りたくなるほど衝撃的な量だった。

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島根の大東町という場所から来ていた患者の話では、山間部は積雪が1mを超えており、玄関から公道まで自家用車を出すための除雪が大変だったそうだ。公道は市の除雪車が走るから時間が経てば何とか通れるようになるが、当然ながら自分の敷地は自分で除雪せねばならぬから、自宅の庭が広い人は地獄を見ることになるのだった。松江の北京堂では、マンションから30mくらい離れた場所に患者用の駐車場を2台分借りていたのだが、たかだかそれだけの範囲でも、1人で除雪するのに1時間以上はかかった。何より、マトモな道具が無かったのと、慣れていなかったので大変だった。 

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例年の松江市では12/15頃から冷え込んで徐々に雪が降り始めるのだが、毎年積もっても10cmくらいらしい。大雪が降ったのは幸い大晦日から正月までだったから仕事に大きな影響はなかった。1/2からは駐車場に積もった雪を除雪するため、川津にあるジュンテンドーというホームセンターまで歩いて行った。途中、ローソンの前でスタックしている小型車があり、後輪が滑ってローソンの駐車場から抜け出せなくなっていた。店長らしき男が迷惑そうに眺めていたが、可哀想なので手伝ってやることにした。小型車の運転手らしき小柄なオバハンは申し訳なさそうにしていて、スコップは持っていないと言うから、見知らぬ通りがかりの男と一緒に後輪付近の雪を手で除けて、ローソンの外に置いてあった段ボールをタイヤの下に敷いて、何とか脱した。結局ジュンテンドーに行くまでに、スタックした車を男が数人がかりで押している光景を2回見た。島根では車にスコップを積んでおくべきだと思った。 

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ジュンテンドーの前にはすでに開店を待つ10人くらいの市民が座っていた。みな除雪用のスコップを求めているようだった。開店してすぐに「スコップはありません!」と店員が叫んだので、みな残念そうに散っていった。その後、田和山と春日にある「いない」と、東出雲にあるナフコに電話してスコップの在庫を問い合わせたが、どこも売り切れだった。どうやら在庫切れというより、そもそも在庫を持っていないらしかった。東京と違ってどの店も店舗数が限られていたから、こりゃ困ったな、と思った。

 

仕方がないので東京に住む母親に電話して、宅急便でスコップを送ってもらうことにした。スコップが届くまで、除雪が出来なかった。かつて「サンパチ豪雪」と呼ばれた大雪が松江市を襲ったらしいが、今回はそれ以来の大雪だったと、後で患者から聞いた。寺田寅吉が言ったように、概して災害は忘れた頃にやってくるもんだから、常々備えておかねばならぬと痛感した。

 

島根から戻って来て、改めて東京の冬は過ごしやすいと感じるようになった。30年くらい前には東京でも庭でカマクラが作れるほどの雪が降ったものだけれど、最近は雪景色を忘れてしまう程の暖冬が続いている。

 

確かに東京は雪がほとんど降らないから楽だけれど、山陰でしばらく雪に囲まれて生活をしていたせいか今では時折雪が恋しくなって、冬になるとわざわざ雪の降る町へ出かけたくなったりする。

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2011年前後

 

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島根に住んでいた時の話。

 

島根の北京堂は、まだ八束郡と呼ばれていた頃の東出雲町で、師匠が30年ほど前に開業した。今も9号線を米子方面に走っていると「北京堂鍼灸」と書かれた看板が見える。ちなみに東出雲町と言えば三菱農機と黄泉比良坂(よもつひらさか)が有名だが、私は島根へ行くまで知らず、師匠のお父さんに案内されて初めて知った。 

 

2008年頃には短期間であったが、松江の菅田町あたりで師匠が営業していたらしい。学園通りの北京堂は2009年から営業している。最初は師匠の中国時代の旧友であった鍼灸師のTさんが経営していたのだが、イロイロと諸事情があり、2010年から私が一時的に北京堂を引き継いでいた。現在は師匠の弟子の研修所というか、訓練施設のような感じで、新しい弟子が数年ごとに引き継ぐようなスタイルになっている。 

 

2010年も学園通りの北京堂は松江駅から徒歩10分くらいの場所にある、茶色い外壁のビルの6階で営業していた。このビルは7階建てで築30年ほどになるが、完成当初は松江で最も高いビルとして、市内でもひと際目立つ存在だったらしい。今は1階におしゃれなカフェが入っているそうだ。 

 

基本的に鍼灸院の立地は、可能な限りバリアフリーである方が良いため、師匠は6階に鍼灸院を構えることに反対していた。しかし、友人であったTさんが「眺めが良い方が良いでしょ」と主張したため、断ることが不得手な師匠はTさんに言われるがまま、606号室の賃貸契約書にペタンと判子を押してしまった。師匠はあとになってから、「馬鹿と煙はなんとやら、だからなぁ」と言い訳がましくTさんの陰口を叩いていた。 

 

鍼灸院には様々な患者が訪れる。特に強度のぎっくり腰や捻挫、肉離れ、脳血管障害後遺症などの患者は歩行困難であることが多いから、上階まで上がるのには多大な労力を費やさねばならぬ可能性がある。さらに、北京堂のような響きの強い針灸治療は施術後のダメージが大きいため、数段の階段さえ降りることが困難になるケースが珍しくない。 

 

ゆえに北京堂のような鍼灸院の立地は1階かつ、入口付近に段差がないのが理想だ。エレベーターがついていれば問題なかろうと思う人もいるかもしれないが、マトモなビルであればエレベーターの定期点検が必ずあるから、ビルによっては1ヶ月に数回エレベーターが使えなくなることもある。 

 

実際に北京堂が入っていたビルでも、定期的かつ予告なしにエレベーターが止まるもんだから、運悪くその時間に予約を入れていた患者は、ヒイヒイ言いながら6階までの階段を上らねばならなかった。島根人は普段は車の移動が主であって、東京人のように歩く習慣が少ないから、たかだか6階までの移動であっても相当な負担を強いられるらしかった。また、島根の北京堂は東京と違って高齢者も多く来院していたから、90歳前後の老人が息を切らせながら階段を使う時は、昇降途中で逝ってしまって焼香が必要になるのではないかとヒヤヒヤした。

 

そういえば、オスマン・サンコン氏は日本で初めて通夜に参列した時、焼香のやり方がわからなかったらしい。それで前に並んでいた人の作法を真似ようと思ったそうだが、「ご愁傷様です」と言う日本語が「ご馳走様です」と聞こえ、香木を額に近づける仕草を後ろから見た時、香木を食べているように見えたため、香炉へ落とすはずの香木を口の中へ入れて食べてしまったそうだ。

 

松江の北京堂を引き継いで数か月ほど経つと、日中ずっと日が当たらない玄関横の部屋で、カビと結露が大発生していることに気が付いた。和室だったが、畳が一部腐っていて、置いていた物のほとんどがカビていた。 

 

このカビ事件を管理会社に伝えると「すぐに確認に行きます」とのことで、本当に管理人が数分で飛んできた。どうやら、この部屋は北向きであったことと、壁に断熱材が入ってなかったため、カビと結露が大量発生したらしかった。ちなみに現在、島根のように寒くて多湿な地域ではペアガラスと呼ばれる2重窓が主流になっているらしいが、このビルは古いためか、窓は1重にしかなっていなかった。とにかく断熱材を入れていないのは致命的だと思った。 

 

その後、管理会社は断熱材が入っていないことが不味いと思ったのか、606号室を含めた空き部屋は全てペアガラスと断熱材を入れるリフォームを施していた。これ以降しばらくは、患者との会話はカビ事件の話で持ち切りになった。なにせ田舎にいると話題が乏しいから、ちょっとした事件でも針小棒大なネタになる。 

 

するとある日、いつも不動産経営でガッポリ儲けて笑いが止まらないような顔をしていた患者のEさんが「うちの自社ビルの1階のテナントが空いてるけん。安くしちゃるで」と言った。島大近くの学園通り沿いで、川津のバス停も近くて、立地はまぁまぁ良い物件だった。Eさんはその物件の上をオフィスとして使っていたから、その下に鍼灸院が入れば、気軽に鍼灸治療を受けられるようになるだろうという魂胆があったらしい。

 

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しかし師匠にこの件を話したら「移動するのは困るよ。患者さんが混乱するから」と言ったため、結局、2012年に同じビルの7階へ移動するという妥協案に至った。管理会社は悪いと思ったのか、家賃を据え置きにしてくれた。松江城が見える眺めの良い部屋だった。南向き、角部屋、最上階の7階だったから、湿気の害から逃れることは出来たが、相変わらずエレベーターの点検問題は解決出来ないままになった。 

 

2011年に東日本大震災が起きた時は、まだ6階で営業していた。3LDKの間取りで、ベランダ側の2部屋を治療部屋にして、4畳半くらいのリビングダイニングを待合所にしていた。待合所にはテレビを置いていて、患者が暇を持て余さぬよう、テレビをつけっぱなしにしながら治療する、というスタイルだった。 

 

東北から島根までは直線距離でも1000キロくらいはあるからか、さすがに揺れは感じられなかった。現在のようにスマホが普及していなかったから、おそらくテレビをつけていなかったら、地震があったことには気が付かなかっただろう。テレビをつけておいて良かったと思った。 

 

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ちょうど私は患者に鍼を刺し終わったあとで、水道で手を洗っていた。すると突然テレビの画面が騒がしくなり、キャスターが大地震が起こったと興奮しながらしゃべっているのが見えた。しばらくすると津波警報が発令され、画面に映し出された日本地図の沿岸が赤く点滅し始めた。赤いマーカーが点滅している場所に津波が来るから注意して下さい、という報道だったが、島根県鳥取県沿岸だけは何故か赤いマーカーが点滅していなかった。針を刺されたまま、うつ伏せになっていた80歳過ぎの女性患者に地震があったことを伝えると、「島根は神の国じゃけん。地震は起こらんし、津波も来ない」と悟りを開いた聖人のように、落ち着いた様子で答えた。 

 

その後しばらくは、患者との会話は地震の話で持ち切りになったが、「島根は神の国であるゆえに災害が少ない」と語る人が少なくなかったことに少々驚いた。東京で生まれ育った自称シティーボーイにとって、これは島根で初めて受けたカルチャーショックだった。 

 

そういえば、島根県雲南市大東町には、知る人ぞ知る海潮温泉という秘湯がある。海潮温泉は出雲風土記にも載っているという古い温泉で、無色透明の湯だ。この温泉が好きだと言って、毎日のように入り浸っている患者がいた。彼は東日本大震災が起こる前日にも湯船に浸かっていたが、その時急に湯船が茶色くなって、驚いたそうだ。これまで海潮温泉で茶色い湯が出たことはないらしく、のちに彼は「あれは大地震の前兆だったんだろうか」と語った。東北から島根まではかなりの距離があるし、フォッサマグナを隔てているけれども、結局は同じ地殻の上にあるわけだし、地球規模で見れば1000キロなんてのはわずかな距離であるから、そういうこともあるかもしれないな、と思った。 

 

地震が起きて数日後、仙川で店を経営している高校時代の先輩から、「東京はどこも電池が売り切れで困っている。そっちで買って送ってくれないか」と電話があった。その日の夜に春日町の、あるのに「いない」というホームセンターに行って、電池を大量に買った。駅前のイオンでは東北に住む親戚に送る物資を沢山買ったが、店内は予想外にも在庫であふれていた。

 

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2012年には島根から師匠と北京へ行った。北京では針灸用具店で大量の棒灸を買って船便で送ってもらった。薬監証明書などの面倒な書類を厚生局やら税関やらとやりとりして、苦労して手に入れた棒灸だったけれど、数箱使っただけで、残りは全て東日本大震災の被災地に送ってしまった。

 

定期的に被災地へ訪問し、物資を届けているという某会社のお偉いさんであったSさんという患者がいた。鍼灸師として現地へ行って何か出来ないかと思ったが、針灸に対する誤解が多く、針灸治療の社会的許容度が低い日本においては、行かずに物質的な援助をする方が良いだろうと考えた。で、ライター、ロウソク、棒灸、棒灸の使い方を書いた説明書を1セットずつに個別包装して箱詰めし、Sさんに荷物を託した。Sさんはとある仮設住宅で、この棒灸をすべて配ってくれたそうだ。 

 

しかし今考えれば、あれは失敗だったな、と思う。当時の私はまだ棒灸を使い慣れていなかったため、棒灸の煙の酷さに気が付いていなかったのだった。狭い仮設住宅で有煙棒灸を使ったら、衣類やカーテンに臭いが付くし、部屋中がモクモクになって大変なことになるだろう、という想像が出来なかったのは愚かだった。今は台湾製の良い無煙棒灸があるけれど、当時は細くて小さな、火力の弱い無煙棒灸しか販売されていなかった。

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花甲

先日、師匠の還暦パーティーがあった。私は予約しておいたホールのケーキと、還暦祝いに剪纸を持参することにした。 

 

ケーキは最も見た目が美しく、実際に食べても美味しそうなケーキを選んだ。近所では見当たらなかったので、新宿のアンテノールで予約注文した。ケーキに載せる板チョコには「祝愿师父万寿无疆!(師匠が永遠に逝きませんように!)」と、チョコペンで書いてもらった。「师傅」と書いてもらっても良かったが、おそらく細かすぎて字がつぶれるだろうと予想したので、「师父」にしておいた。ロウソクは60本用意しようかと思ったが、数字のロウソクがあったので、6と0のロウソクを買っておいた。便利な世の中になったものだ。 

 

剪纸(jianzhi)は中国で2000年以上前に始まったとされる民間芸術の一つで、中国では現在、非物質文化遺産に登録されている。

 

剪纸というと赤紙の単色が多いが、影絵芝居で使われる皮影(piying)と呼ばれるカラフルな切り絵を買った。種類は色々あったが、無難なデザインにした。「吉祥如意(jixiang ruyi)」とはお祝いなどで使用されるメジャーな成语で、要するに「幸運が訪れますように」みたいな意味だ。ガラス製だから、北京から割れないように持って帰るのが大変だった。 これは王府井書店で買った。

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北京图书大厦(北京図書ビル)では針灸関係の古典の繁体字本を沢山買った。画像の本は『中医古籍珍本集成』という湖南科学技術出版社のシリーズ本で、木版刷りの内容がそのまま印刷されている。去年あたりから発売されていて、有名な古典、経典はほとんど網羅されている。中医関係の本はいつ売り切れになるかわからないから、在庫があるうちに買っておくのが賢明だ。とりあえずアホな鍼灸師と思われないように、針灸大成、甲乙経、聚英、内経、霊枢、問対、摘英集、玉龍経あたりを買っておいた。その他に本草綱目やら成语大全なんぞも買ったら、荷物の総重量が40キロを超えてしまい、帰国時に地獄を見た。まぁ、これで私もアホ鍼灸師のカテゴリーからは何とか離脱したであろうと思う。

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ついでに、経穴図もやっと良いのが発売されていたので買っておいた。人民衛生出版社が出した第4版の穴位図で、確か4枚セットで40元(約600円)だった。針灸中医関係の本もそうだが、こんな良質な穴位挂图は日本では一生手に入らないかもしれない。特に4枚目には頭部や顔面部の細かい穴位が記されていて、非常に良い。これでいちいち本を開く必要がないし、患者さんや見学者にツボの位置を説明しやすくなる。額はネットでオーダーメイドしてもらった。1つ7000円くらい。

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西单の北京图书大厦にも『中医古籍珍本集成』の在庫があったが、王府井書店に比べると種類が少なかった。大胆にも壁際で寝読みしている輩がいた。 北京の本屋では、以前から座り読みは頻繁に目撃してきたが、寝そべって読む輩は初めて見た。

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今年も北京の大気汚染は例年通りな感じだった。最近は植林など緑地化の成果が出て来ていて黄砂は減ったらしいが、PM2.5はまだ減っているという感じがない。今は中国よりも、むしろインドの方が酷いらしい。

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師匠には8月にグンゼ製の真紅のパンツをプレゼントしておいた。中国では日本と違い年男は凶だから、赤いモノを身に着けておくことで、魔除けになると言われている。ちなみに赤いパンツは1枚しかあげていないが、大そう気に入ったらしく、毎日履いているらしい。 

 

また中国ではお祝いの時や大晦日に爆竹をならす習慣があるが、あれは元々、ある村を害していた年(nian)という怪物を、どこからともなく現れた自称仙人が火に竹を投げ入れ、竹が爆発する音で怪物を撃退した、という逸話が起源になっていると言われている。これで毎年大晦日になると山へ逃げていた村人たちが、無事に村で新年を迎えることが出来るようになったそうだ。

 

爆竹という名称は、そもそもは火に竹をくべたのが始まりなのだろう。空を飛ぶとか、空中浮遊をするとか噂されている仙人が爆竹というアイデアを村民に伝授したのである。北京へ行ったついでに爆竹を買ってきて師匠ハウスで鳴らそうかと思ったが、空港の保安検査で別室へ連れて行かれるのも嫌なので諦めた。 

 

還暦パーティーの参加者は9人であったが、主役がわかるように赤い三角帽子と眼鏡を買い、師匠にプレゼントした。師匠はこれを装着したまま、針灸について熱く語っていた。

 

師匠が「ついでに本の宣伝もしてもらいましょう」と言うので、刷たてホヤホヤの本と一緒に写真を撮った。治せず路頭に迷っている鍼灸師は、淺野周著「鍼灸院治療マニュアル」をどうぞ。AKBのCDのように、1人50冊も買えば師匠も喜ぶでしょう。私は1冊買いました。

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これまで師匠とマトモに写真を撮ったことがなかったので、集まったみんなで還暦記念の集合写真を撮った。三脚を装着したキャノンの一眼レフで撮ったので、綺麗に撮れて良かった。最近の一眼レフはオートタイマーで連続撮影が出来るから便利だな、と思った。

*プライバシーに配慮し、一部画像処理してあります。

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またバインド

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BiND8で上海での日記をまとめていたら、突然編集画面がシャットダウンした。それから全く起動しなくなってしまった。どうやらインポートした画像が増えたせいか、ファイルが壊れたらしい。

 

私の日記の中の、上海で暴走タクシーに遭った件(くだり)には、中国のニュースを翻訳した部分が含まれていた。何だかんだで1時間くらいかけて書いた内容だったのに、バックアップする前にファイルが壊れたもんだから、発狂しそうになった。しかし、奇跡的にファイルが壊れる前、試験的にデーターをウェブ上にアップロードしてi-phoneのブラウザで確認していたから、何とかそのブラウザのデータをメールに貼り付けて送信して、大事に至らず済んだ。

 

公式ウェブサイトによると、同じような事案がいくつも発生していて、一部の事案が未だに解決出来ていないそうだ。私のケースは0.05%のユーザーに発生しているらしいが、こんな低い確率ホンマかいなと勘ぐってしまう。確かに使いやすさは進化している。しかし、いつになったらこのソフトは不具合がなくなるのだろうかという怒りや不信感が増すばかりだが、とにかくこのソフト以外に自分の好みがないもんだから致し方ない。

 

とりあえず、毎度のようにサポートセンターに不具合を報告すると、「同様の現象が他のユーザー様や弊社複数の検証環境にて確認できておらず、明確なご案内が難しい状態です。製品の再インストールをお試しいただけますでしょうか。再度起動の操作後に下記の位置にあるログデータをお送りいただけますか。弊社専門部署にて調査をさせていただきます」と返信がきた。

 

全く、ユーザーがまるで治験者となり、無償でデータを提供し続けねばならぬような状態とは如何なものかと思うが、BiNDというソフトは私のような一部の変人、または愛あるユーザーによって進化する奇特なソフトなのかもしれない。まぁ車などの工業製品も消費者から上がってくる負のデータを拾い集めてマイナーチェンジを繰り返してゆくものだけれど、こう何度も再インストールが必要になると、いい加減嫌気が差してくる。

 

とりあえずは、面倒でもこまめにデータをバックアップして、ソフトが安定して動くようなアップデータの提供を待つしかないのだろう。おそらくデータ容量の少ないウェブサイトであれば、BiND8であってもトラブルは起きにくいのかもしれないが、余程の変人か忍耐力のある人でないと、このソフトは使い続けられないだろうと思うから、なかなか他人には勧めらたモノではない。ちなみにBiND8は再インストールすると、インポートしていた画像やらファイルが全て消えてしまうから、予め1つにまとめて別で保存しておくのが賢明かもしれない。

 

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上海へ行った

連休をとって上海へ行ってきた。高校時代からの友人S氏が上海での出向を終え、9月いっぱいで日本へ戻って来るとのことだった。そんなわけで、「俺がいるうちに遊びに来いよ」ということになった。

 

いつかは上海へ行くつもりだった。上海市内の針灸用具店と書店を巡って、中国鍼灸の状況を調べてみたいと思っていたのだ。北京は師匠がすでに開拓しているが、上海の状況は不明だったから、この機会にどんなもんか調べておくことにした。だいたい、積極的に中国へ行く鍼灸師なんて日本にはほとんどいないから、日本で上海の鍼灸事情を調べるには、中国語で書かれたウェブサイトを漁るしかない。事前に5つくらい、針灸用具が売っているという通りを調べ上げ、地図をプリントアウトして、上海へ飛んだ。

 

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地下鉄乗り放題の1日乗車券を買い、いくつもの大病院の周辺を半日かけて駆け回ったが、結局、針灸用具を売っている店は見つけられなかった。さすがに上海中医薬大学と上海市鍼灸経絡研究所の近くにはあるだろうと期待していたが、それらしき薬局を見つけたものの、着いた頃にはすでに閉店していた。17時で閉店とは、なんともやる気のない店だとちょっと憤慨した。

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ちなみに、北京の東直門にある針灸用具店は、年中無休で20時くらいまでやっている。全体的に巡った感じでは、药房と呼ばれる素人向けの薬局ばかりだった。薬や車椅子、血圧計、入院時に患者が使う日用品くらいしか揃っていない店だ。詳しい事の顛末はそのうち自分のウェブサイトの日記コーナーに記そうと思う。

 

師匠から買ってきてと頼まれていた黄帝内経繁体字本は、上海書城で良いのが買えた。この本屋の中医コーナーにいた店員はオカマのような風貌だったが、随分と親切で、まるで検索機のように針灸書の在庫を熟知していて、少し感動した。内経は上下巻400元で、こりゃ高いなと思ったが、何故か上下セットだと半額で買えた。自分用のも欲しかったが、1セットしかなかった。今度北京へ行ったら探してみよう。おそらく日本では、買う鍼灸師などいないだろうから、今後半世紀経っても流通しないだろうと思う。

 

上海書城では前から欲しかった中薬大辞典も上下巻セットで、縮小版を安く買えた。オカマ店員は「縮小版は大きいのと中身が同じで安いからお勧めヨ」と言っていた。内経は高かったから、師匠には代金を請求しようと思っていたが、帰国後に「お土産は内経だけで十分です」とメールがきた。ちなみに師匠には最高級の獅峰龍井茶をお土産として渡す予定だったが、結局お土産は内経と龍井茶になった。まぁ師匠にはお世話になったから、仕方ない。きっと師匠に出逢わなかったら、私は中国語の出来ない浅針専門のアホ鍼灸師で終わっていただろう。

 

友人S氏が連れて行ってくれた、外灘のビルマ料理(雲南料理)の店や鼎王无老锅という台湾火鍋の店では、普段御目にかかれぬ美食を大いに堪能出来て、良い思い出になった。ビルマ(Burma)と言うと旧国名だから知らない人も多かろうが、間違ってもロリコンが好きなブルマを想像してはいけない。画像の春巻きは未知の味で、本当に美味しかった。

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千葉にあるのに東京と言うディズニーランドには1回行って飽きてしまったが、上海ディズニーランドはまた来たいと思った。とにかくカリブの海賊パイレーツ・オブ・カリビアン)が面白かった。ちなみに、日本の某ウェブサイトでは「チケットはネットで事前購入しておいた方が早く入園出来て良い」とのことだったが、実際には大嘘で、現地の窓口で買った方が瞬時に入れるような具合だった。

 

ネットでチケットを事前購入していても、結局は奥の窓口で正規チケットに引換えなければならないのだが、常時空いている窓口が3~4つしかなく、常に中国人客がトラぶって窓口を塞ぎ、行列が出来ている様子だった。チケットを現地で買うなら金を出すだけで良いのだが、中国人の予約客は、「予約した」とか「予約されてない」とかでトラブルになっていたようで、欧米人と日本人がスムーズにチケット交換出来ないというのが現状のようだ。

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不眠と針灸

昔から酷く疲れると、眠れなくなることがある。20歳を過ぎてから約10年間、完全夜型の不摂生な生活を続けていたことや、遺伝的に筋肉が凝りやすいことなどが少なからず影響しているのだろう。 

 

確かに北京堂で師匠に施術してもらったり、自分で自分に鍼灸を施すようになってからは何もしていなかった頃に比べて心身の状態も良く、QOLは断然に上がっている。しかし今でも疲労が重なると、途端に眠りの質が落ちる傾向にある。昔、NIRVANAKurt Cobainが「毎日背中が痛くて、疲れているのに眠れない」と語っていたように、背中の痛みと不眠は大いに関係している。

 

もちろん仕事が第一だから、普段から食生活に気を付けたり、体調管理には人一倍気を使っているつもりだ。しかし私も所詮は凡人だから、全てを完璧にこなせているわけではない。とは言っても、酒もタバコもやらないし、適度に運動もしているし、食事の改善や鍼灸のおかげもあってか、ここ10年くらいは大きく体調を崩したことがない。鍼灸師になって以来、病気で仕事を休んだことは一度もない。多くの患者をみるようになってから、術者として己の体調を可能な限り管理することは最低限の責務だと考えているから、他の鍼灸師のように飲み会で群れることもなくなった。そもそも酒を飲むことも、集団で集まることも、あまり好きではない。

 

他人の不眠を治すことは比較的簡単だ。とりあえず、背中に鍼を刺してやれば良い。本当は首や頭部にも刺鍼すると効果的だが、何せ鍼はちゃんと刺すと痛いし、凝りが強ければ刺鍼時の痛みも増すから、特に痛がるような人には脊際に20~40本くらい、30~40分程度置針するだけでも良い。人によっては、どこへ刺鍼しても、施術当日はぐっすり眠れるようになるから、特に凝りが強いような、いわば阿是穴だけを狙って刺すのも良い。

 

私はいつも背中の真ん中あたりが凝りやすい。棘下筋や大腰筋あたりは自分で刺せても、背中の脊際あたりは手が届かず刺せないから、下肢に10~15本くらい置針して前腕に台座灸をするくらいしか出来ないが、それでも抜鍼後はすぐに快眠出来る。しかし根本的には背中が凝っているのが原因だから、背中の筋肉をゆるめなければ、またすぐに不眠が再発してしまう。

 

一般的に、中国語で「不眠症」は失眠(shimian)と言うが、中医学では失眠のほかに不寐(bumei、難経四十六難)、不得卧(budewo、霊枢大惑論第八十)、不得眠(budemian、金匮要略)、不能眠(bunengmian)などという呼称があり、その原因は多岐にわたるとされる。

 

例えば、思慮過度、内傷心脾、気鬱化火(气郁化火)、擾動心神(扰动心神)、肝胃不和、痰熱内擾、陰虚火旺、心腎不交、心脾両虚などである。これらの多くは肝気や心気の乱れによって起こるとも言われている。

 

まぁ現代医学的にみれば、自律神経の神経根付近の筋肉が凝って、自律神経のオンオフが不安定になり、交感神経が優位になり続けてしまうことに原因があるのだろうと思う。つまり、布団に入って「さて寝るか」と脳が体に命令しても、交感神経のスイッチがオフにならず、ずっと体内の電灯が点きっぱなしになっているような状態が「不能眠」な状態と言えるのかもしれない。

 

人はストレスなどによって過緊張が続くと、重心が上半身で固着しがちになり、普段から首や肩の力を自発的に抜きにくくなる。気が付くと肩が怒っていた、というような状態だ。また、常にイライラしているような人は胸式呼吸がメインになっていて、傍からみても呼吸が浅く、乱れていることが多く、近くにいる他人をもイライラさせるような雰囲気を醸し出している。それゆえ常時、上背部の筋肉が強く凝っていて、自律神経系に異常を来しやすいようだ。

 

不眠症鍼灸と言えば、日本では失眠への多壮灸が有名だ。しかし、これは全く効かないケースが多いように思えてならない。むしろ、効いたケースをみたことがない。日本には「失眠へ灸をしなさい!それだけで眠れるはずじゃ!」なんて叫ぶオエライ鍼灸師がいるけれども、『ファティマ第3の秘密』的な奇跡でも起こらない限り、効果は実感出来ないかもしれない。

 

ちなみに日本ではこれ以外の有名な针灸技术方法を聞かない。そもそも、米粒大のもぐさをひねって左右の失眠へ100壮すえるとか、「眠くなるまで灸をすえろ!」と言うのは、全くもって現実的ではない。これでは施灸の効果云々より、施灸の疲労で眠くなるとか、逆に疲労感が増すとか、眼が冴えて余計に眠れなくなるとかいう感じになるのが実態かもしれない。

 

だいたい米粒大のもぐさを沢山据えるなんて、鍼灸師でさえ麻烦なことなのに、不眠症で意識が冴えない素人には尚更面倒なことだろうと思う。むしろ、もぐさを沢山ひねらなければならぬストレスで、不眠がひどくなりそうだ。鍼灸師にやってもらうならまだマシかもしれないが、他に簡単かつ確実に効果がでやすい刺鍼法があるのだから、わざわざ「灸は効かせるものだ!」なんて騒いで、施灸のみにこだわり続ける必要はないと思う。何でもかんでも灸で解決しようなんてのは、現代中医からみたら失笑されそうなレベルの話であって、もはや針と灸をうまく使い分けたり、それらをより効果的に併用するなんてことは、議論するまでもない、当然のことだろうと思う。

 

昔、近所に「何でも灸で治すけん!」と自称するジジイがいた。そのジジイは癌を治すと評判だったが、とにかくどんな病気でも灸だけで治すと患者から伝え聞いていた。で、評判を聞きつけた坐骨神経痛の患者が灸をすえてもらいに行ったらしいのだが、数回施術を受けたものの、全く変化がみられなかったそうだ。その後、腰部と臀部に100円玉大の有痕灸を10~20か所すえられて、ものすごい熱さに耐えてみたものの、皮膚に一生モノの大きな灸痕を残すだけで、治らなかった、と訴える患者が何人もうちへ来院した。灸痕が可哀想なほどひどく残っていた。

 

そもそも坐骨神経痛は大腰筋が強く萎縮して腰椎への張力、圧力が増大することや、梨状筋が神経を絞扼することなどに原因があるケースが多いのだから、灸で表面だけを温めても筋肉がゆるまず、効果は得難い。癌治療の一環として、蛋白変性を目的とする施灸ならそれでも効果はあるだろうが、神経痛ならばほとんどのケースで針を刺さないと効果は見込めない。結局、坐骨神経痛の患者はうちで数回針を打って完治した。

 

基本的にどんな病態でも、灸よりも針が効くケースが断然に多いから、鍼灸院では針をメインに施術してもらい、自宅で補助的に施灸するのなら良いと思う。ちなみに、灸は熱ければ熱いほど効くと信じていて、皮膚をこれでもかと言うほど焼く人がいるけれども、蛋白変性による効果を必要としなければ、痕が残るほど火傷させる必要はない。むしろ、糖尿病患者や易感染傾向にある患者のように、皮膚を焼いてはいけない病態や疾患も色々あるから、何でもかんでもすぐに皮膚を焼くような鍼灸師は信用しない方が良いかもしれない。

 

一方、中国には様々な不眠の針灸治療がある。確かに効かない治療もあるが、日本鍼灸界に比べると遥かにバリエーションが多い。「失眠」と言う言葉は中国語で不眠症の意味があるから、もちろんこのツボを使うことも多々あるけれど、主に背中に様々な灸法を試みることが多い。とにかく中国には様々な灸法がある。例えば患者をベッドに寝かせ、砂浜で砂浴させるように、もぐさと漢方薬で全身を包んで蒸したり、皮膚に保護布を敷いてから、大椎から仙骨あたりまでの脊際に仕切り板を置いて、その中に大量のもぐさと漢方薬をぶち込んで火をつけたり、下肢に巻きつけたバスタオルにアルコールランプ用のアルコールを大量にぶちまけて火をつけたりと、灸法と呼べるのかと疑うような過激な灸法も珍しくない。背中には背部脊柱灸盒と呼ばれる蓋付き箱型の温灸を当てるマイルドなやり方もある。ちなみに、バケツ数杯くらいに大量のもぐさを使う時は、煙が沢山出るから、施術者はゴーグルとマスクを着用する必要がある。おそらく煙が大量に出るから、自宅でやったら周辺住民に火事だと勘違いされて通報されるかもしれない。スプリンクラーが設置されている室内なら水浴びが出来るだろう。

 

また、神庭と本神へ刺鍼する三神針や、四神聡を進化させた靳三针の四神針などが精神や自律神経の安定に効果があるとして、不眠治療に用いられたりしている。もちろん、弁証的に肝気や心気を整えるようなツボへ刺鍼したり、例えば「単穴针灸治急症(人民衛生出版社)」という本には弁証によって神門、豊隆、後溪、照海の何れか1穴を使って治療する、という新しそうで昔ながらの方法もある。ちなみにこの本は2015年に出版された本で、山東省徳州市の苗子庆という苗族と誤解されそうな名前の中医師が書いたものだけれど、中々面白い本だ。柳谷素霊のプレミア付きの本を買うより、32元出してこの本を買った方がお得かもしれない。

 

他に奇抜な刺鍼法では、太さ0.5mmくらいの毫針で舌先(中医学で心気の状態が現れるとされる部位)へ即刺即抜を何度も繰り返す、というやり方もある。ちなみに、これは自分にやってみたが、激痛なだけで効かなかった。まぁ心気が亢進しているような、舌先に熱症状が現れているような人には効くのかもしれないが、あまりにも痛いからお勧め出来ない。さらに、脊際に沿って火針でブスブスと、ひたすら皮膚が赤くなるまで刺すという熱痛そうな刺鍼法もある。これは主に湿邪が溜まっているような人に使うが、痕が残るからあまり宜しくない。他にも刮痧や拨罐を用いた方法もあるが、これらも皮膚にエグいくらいのダメージを与える割に効果がずば抜けているわけではないから、おすすめ出来ない。

 

私は自分が眠れぬ時、夜中に自分の体へ刺鍼することがあるのだが、座位でやることもあって、腓骨筋や前脛骨筋、太衝、足三里、三陰交あたりに刺鍼することが多い。これで前腕のツボに少し台座灸をするだけでも良く眠れる。中国では足三里に毎日灸を据えると100歳以上まで寿命が延びるとか、実際に万病を治すと言って足三里だけに灸痕が残るほど強めの生姜灸をする中医師もいるくらいだが、確かに足三里は不眠にも効きそうなツボだと思う。

 

ちなみに、TVなんかではオエライ医者が「カルシウムは神経の興奮を鎮めますから、眠れない時は牛乳を飲みましょう」なんて発言することがあるが、就寝前に牛乳を飲むと血中カルシウム濃度が上昇するから、就寝中に結石が出来やすくなると言われている。最近は医学の専門家であるはずの医者が医学的に可笑しいことを公言するもんだから、病気になる人が増えて困ったことになる。まぁ確かに医者は病人が来ないと食っていけないから、あえてそういうことを言うのかもしれない。客が来なくて困った自転車屋が、近くに停めてある自転車のタイヤを片っ端からパンクさせて儲けた、という事件と似たようなものかもしれない。

 

とりあえず、不眠症には背中の筋肉をゆるめることが最も効果的であることが多いから、別に針をせずとも、ヨガやストレッチング、体操、ストレッチボールなどで背中を伸ばしたり、赤外線や温泉で背中を温めるのも良いとは思う。それらを日常的にやっていれば、再発の予防にもなるだろう。しかし仕事であまりにも疲れている人は、仕事が終わって帰宅したら何もやる気がせず、飯食ってバタンキューであろうから、体操をしたり、湯船に浸かる気力もないかもしれない。それに筋肉は凝り過ぎると体操しても温めても、どうにもならぬ様相を呈することがあるから、そんな時は針を刺すしかない。

 

台座灸なら自宅でも比較的やりやすいかもしれないが、誤って火傷するまで焼いてしまう人もいるだろうから、慣れるまでは難しいかもしれない。何より、火事の危険性もある。(灸法はこちらをご参照下さい→家庭で出来る灸治療 of 東京つばめ鍼灸

 

そうなると、ある程度筋肉がゆるむまでは、週1回くらいのペースで、しばらく鍼灸院で鍼を打ってもらうのが楽かつ効果的だと思うが、何せ鍼は痛いのと、下手くそが打つと肺に当たって気胸になる可能性もあるから、中々万人に勧められるものではない。

 

 

 

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