東京つばめ鍼灸院長のブログ( ´∀`)

完全無所属、無宗教、東京つばめ鍼灸院長が不定期に更新中。

不眠と針灸

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昔から酷く疲れると、眠れなくなることがある。20歳を過ぎてから約10年間、完全夜型の不摂生な生活を続けていたことや、遺伝的に筋肉が凝りやすいことなどが少なからず影響しているのだろう。 

 

確かに北京堂で師匠に施術してもらったり、自分で自分に鍼灸を施すようになってからは何もしていなかった頃に比べて心身の状態も良く、QOLは断然に上がっている。しかし今でも疲労が重なると、途端に眠りの質が落ちる傾向にある。昔、NIRVANAKurt Cobainが「毎日背中が痛くて、疲れているのに眠れない」と語っていたように、背中の痛みと不眠は大いに関係している。

 

もちろん仕事が第一だから、普段から食生活に気を付けたり、体調管理には人一倍気を使っているつもりだ。しかし私も所詮は凡人だから、全てを完璧にこなせているわけではない。とは言っても、酒もタバコもやらないし、適度に運動もしているし、食事の改善や鍼灸のおかげもあってか、ここ10年くらいは大きく体調を崩したことがない。鍼灸師になって以来、病気で仕事を休んだことは一度もない。多くの患者をみるようになってから、術者として己の体調を可能な限り管理することは最低限の責務だと考えているから、他の鍼灸師のように飲み会で群れることもなくなった。そもそも酒を飲むことも、集団で集まることも、あまり好きではない。

 

他人の不眠を治すことは比較的簡単だ。とりあえず、顎と頭、首、背中に鍼を刺してやれば良い。凝りが強ければ刺鍼時の痛みも増すから、特に痛がるような人には顎関節付近への速刺速抜、脊際に20~40本くらい、20~40分程度置針するだけでも良い。人によっては、どこへ刺鍼しても、施術当日はぐっすり眠れるようになるから、特に凝りが強いような、いわば阿是穴だけを狙って刺すのも良い。

 

私はいつも背中の真ん中あたりが凝りやすい。棘下筋や大腰筋あたりは自分で刺せても、背中の脊際あたりは手が届かず刺せないから、下肢に10~15本くらい置針して前腕に台座灸をするくらいしか出来ないが、それでも抜鍼後はすぐに快眠出来る。しかし根本的には背中が凝っているのが原因だから、背中の筋肉をゆるめなければ、またすぐに不眠が再発してしまう。

 

一般的に、中国語で「不眠症」は失眠と言うが、中医学では失眠のほかに不寐(難経四十六難)、不得卧(霊枢大惑論第八十)、不得眠(金匮要略)、不能眠などという呼称があり、その原因は多岐にわたるとされる。

 

例えば、思慮過度、内傷心脾、気鬱化火(气郁化火)、擾動心神(扰动心神)、肝胃不和、痰熱内擾、陰虚火旺、心腎不交、心脾両虚などである。これらの多くは肝気や心気の乱れによって起こるとも言われている。

 

まぁ現代医学的にみれば、自律神経の神経根付近の筋肉が凝って、自律神経のオンオフが不安定になり、交感神経が優位になり続けてしまうことに原因があるのだろうと思う。つまり、布団に入って「さて寝るか」と脳が体に命令しても、交感神経のスイッチがオフにならず、ずっと体内の電灯が点きっぱなしになっているような状態が「不能眠」な状態と言えるのかもしれない。

 

人はストレスなどによって過緊張が続くと、重心が上半身で固着しがちになり、普段から首や肩の力を自発的に抜きにくくなる。気が付くと肩が怒っていた、というような状態だ。また、常にイライラしているような人は胸式呼吸がメインになっていて、傍からみても呼吸が浅く、乱れていることが多く、近くにいる他人をもイライラさせるような雰囲気を醸し出している。それゆえ常時、上背部の筋肉が強く凝っていて、自律神経系に異常を来しやすいようだ。

 

不眠症鍼灸と言えば、日本では失眠への多壮灸が有名だ。しかし、これは全く効かないケースが多いように思えてならない。むしろ、効いたケースをみたことがない。日本には「失眠へ灸をしなさい!それだけで眠れるはずじゃ!」なんて叫ぶオエライ鍼灸師がいるけれども、『ファティマ第3の秘密』的な奇跡でも起こらない限り、効果は実感出来ないかもしれない。

 

ちなみに日本ではこれ以外の有名な针灸技术方法を聞かない。そもそも、米粒大のもぐさをひねって左右の失眠へ100壮すえるとか、「眠くなるまで灸をすえろ!」と言うのは、全くもって現実的ではない。これでは施灸の効果云々より、施灸の疲労で眠くなるとか、逆に疲労感が増すとか、眼が冴えて余計に眠れなくなるとかいう感じになるのが実態かもしれない。

 

だいたい米粒大のもぐさを沢山据えるなんて、鍼灸師でさえ麻烦なことなのに、不眠症で意識が冴えない素人には尚更面倒なことだろうと思う。むしろ、もぐさを沢山ひねらなければならぬストレスで、不眠がひどくなりそうだ。鍼灸師にやってもらうならまだマシかもしれないが、他に簡単かつ確実に効果がでやすい刺鍼法があるのだから、わざわざ「灸は効かせるものだ!」なんて騒いで、施灸のみにこだわり続ける必要はないと思う。何でもかんでも灸で解決しようなんてのは、現代中医からみたら失笑されそうなレベルの話であって、もはや針と灸をうまく使い分けたり、それらをより効果的に併用するなんてことは、議論するまでもない、当然のことだろうと思う。

 

昔、近所に「何でも灸で治すけん!」と自称するジジイがいた。そのジジイは癌を治すと評判だったが、とにかくどんな病気でも灸だけで治すと患者から伝え聞いていた。で、評判を聞きつけた坐骨神経痛の患者が灸をすえてもらいに行ったらしいのだが、数回施術を受けたものの、全く変化がみられなかったそうだ。その後、腰部と臀部に100円玉大の有痕灸を10~20か所すえられて、ものすごい熱さに耐えてみたものの、皮膚に一生モノの大きな灸痕を残すだけで、治らなかった、と訴える患者が何人もうちへ来院した。灸痕が可哀想なほどひどく残っていた。

 

そもそも、坐骨神経痛は大腰筋が強く萎縮して腰椎への張力、圧力が増大することや、梨状筋が神経を絞扼することなどに原因があるケースが多いのだから、灸で表面だけを温めても筋肉がゆるまず、効果は得難い。癌治療の一環として、蛋白変性を目的とする施灸ならそれでも効果はあるだろうが、神経痛ならばほとんどのケースで針を刺さないと効果は見込めない。結局、坐骨神経痛の患者はうちで数回針を打って完治した。

 

基本的にどんな病態でも、灸よりも針が効くケースが断然に多いから、鍼灸院では針をメインに施術してもらい、自宅で補助的に施灸するのなら良いと思う。ちなみに、灸は熱ければ熱いほど効くと信じていて、皮膚をこれでもかと言うほど焼く人がいるけれども、蛋白変性による効果を必要としなければ、痕が残るほど火傷させる必要はない。むしろ、糖尿病患者や易感染傾向にある患者のように、皮膚を焼いてはいけない病態や疾患も色々あるから、何でもかんでもすぐに皮膚を焼くような鍼灸師は信用しない方が良いかもしれない。

 

一方、中国には様々な不眠の針灸治療がある。確かに効かない治療もあるが、日本鍼灸界に比べると遥かにバリエーションが多い。「失眠」と言う言葉は中国語で不眠症の意味があるから、もちろんこのツボを使うことも多々あるけれど、主に背中に様々な灸法を試みることが多い。とにかく中国には様々な灸法がある。例えば患者をベッドに寝かせ、砂浜で砂浴させるように、もぐさと漢方薬で全身を包んで蒸したり、皮膚に保護布を敷いてから、大椎から仙骨あたりまでの脊際に仕切り板を置いて、その中に大量のもぐさと漢方薬をぶち込んで火をつけたり、下肢に巻きつけたバスタオルにアルコールランプ用のアルコールを大量にぶちまけて火をつけたりと、灸法と呼べるのかと疑うような過激な灸法も珍しくない。背中には背部脊柱灸盒と呼ばれる蓋付き箱型の温灸を当てるマイルドなやり方もある。ちなみに、バケツ数杯くらいに大量のもぐさを使う時は、煙が沢山出るから、施術者はゴーグルとマスクを着用する必要がある。おそらく煙が大量に出るから、自宅でやったら周辺住民に火事だと勘違いされて通報されるかもしれない。スプリンクラーが設置されている室内なら水浴びが出来るだろう。

 

また、神庭と本神へ刺鍼する三神針や、四神聡を進化させた靳三针の四神針などが精神や自律神経の安定に効果があるとして、不眠治療に用いられたりしている。もちろん、弁証的に肝気や心気を整えるようなツボへ刺鍼したり、例えば「単穴针灸治急症(人民衛生出版社)」という本には弁証によって神門、豊隆、後溪、照海の何れか1穴を使って治療する、という新しそうで昔ながらの方法もある。ちなみにこの本は2015年に出版された本で、山東省徳州市の苗子庆という苗族と誤解されそうな名前の中医師が書いたものだけれど、中々面白い本だ。柳谷素霊のプレミア付きの本を買うより、32元出してこの本を買った方がお得かもしれない。

 

他に奇抜な刺鍼法では、太さ0.5mmくらいの毫針で舌先(中医学で心気の状態が現れるとされる部位)へ即刺即抜を何度も繰り返す、というやり方もある。ちなみに、これは自分にやってみたが、激痛なだけで効かなかった。まぁ心気が亢進しているような、舌先に熱症状が現れているような人には効くのかもしれないが、あまりにも痛いからお勧め出来ない。さらに、脊際に沿って火針でブスブスと、ひたすら皮膚が赤くなるまで刺すという熱痛そうな刺鍼法もある。これは主に湿邪が溜まっているような人に使うが、痕が残るからあまり宜しくない。他にも刮痧や拨罐を用いた方法もあるが、これらも皮膚にエグいくらいのダメージを与える割に効果がずば抜けているわけではないから、おすすめ出来ない。

 

私は自分が眠れぬ時、夜中に自分の体へ刺鍼することがあるのだが、座位でやることもあって、下関や腓骨筋、前脛骨筋、太衝、足三里、三陰交あたりに刺鍼することが多い。

 

特に顎は不眠に大いに関係しているから、下関付近へ刺鍼するだけでも、交感神経の興奮がおさまり、末梢血管が拡張して四肢の冷えが改善し、快眠できるようになる。最近はストレスによる食いしばりで不眠になる人が多いから、顎への刺鍼は特に重要であると考えている。

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中国では足三里に毎日灸を据えると100歳以上まで寿命が延びるとか、実際に万病を治すと言って足三里だけに灸痕が残るほど強めの生姜灸をする中医師もいるくらいだが、確かに足三里は不眠にも効きそうなツボだと思う。

 

ちなみに、TVなんかではオエライ医者が「カルシウムは神経の興奮を鎮めますから、眠れない時は牛乳を飲みましょう」なんて発言することがあるが、就寝前に牛乳を飲むと血中カルシウム濃度が上昇するから、就寝中に結石が出来やすくなると言われている。最近は医学の専門家であるはずの医者が医学的に可笑しいことを公言するもんだから、病気になる人が増えて困ったことになる。まぁ確かに医者は病人が来ないと食っていけないから、あえてそういうことを言うのかもしれない。客が来なくて困った自転車屋が、近くに停めてある自転車のタイヤを片っ端からパンクさせて儲けた、という事件と似たようなものかもしれない。

 

とりあえず、不眠症には顎付近の筋肉への刺鍼以外に、背中の筋肉をゆるめることが最も効果的であることが多いから、別に針をせずとも、抜罐やヨガ、ストレッチング、体操、ストレッチボールなどで背中を伸ばしたり、赤外線や温泉で背中を温めるのも良いとは思う。それらを日常的にやっていれば、再発の予防にもなるだろう。しかし仕事であまりにも疲れている人は、仕事が終わって帰宅したら何もやる気がせず、飯食ってバタンキューであろうから、体操をしたり、湯船に浸かる気力もないかもしれない。それに筋肉は凝り過ぎると体操しても温めても、どうにもならぬ様相を呈することがあるから、そんな時は針を刺すしかない。

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台座灸なら自宅でも比較的やりやすいかもしれないが、誤って火傷するまで焼いてしまう人もいるだろうから、慣れるまでは難しいかもしれない。何より、火事の危険性もある。(灸法はこちらをご参照下さい→家庭で出来る灸治療 of 東京つばめ鍼灸

 

そうなると、ある程度筋肉がゆるむまでは、週1回くらいのペースで、しばらく鍼灸院で鍼を打ってもらうのが楽かつ効果的だと思うが、何せ鍼は痛いのと、下手くそが打つと肺に当たって気胸になる可能性もあるから、中々万人に勧められるものではない。

 

 

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無慈悲なピーポ

久々に師匠に針を打ってもらうため、師匠ハウス(小菅の北京堂)へ行ってきた。もう何年も針を打ってもらっていないから、背中がかなり凝っていた。

 

9:30の予約だったから、遅れないように7:30に家を出た。渋滞が無ければ45分くらいで到着するが、朝はどのルートで行ってもラッシュは避けられぬから、最低でも2時間前に出ないと間に合わない。

 

甲州街道はいつも通り高井戸の交差点で渋滞していたが、何とか40分くらいで永福町を通過して、首都高に入ることが出来た。幸い首都高は空いていて、C2(環状2号線)から千住新橋まではガラガラだった。今は小菅ジャンクション付近の4車線化工事の真っ最中だから、北京堂最寄りの小菅出口は封鎖されていて出られなくなっている。

 

そもそも、神田橋から6号線を抜けて小菅へ行くルートは、C2ルートとは対照的に元々湿地帯だった場所で震災の時に崩落しないとも限らないし、何より交通量が多くて、特に小菅出口手前での車線変更がリスキーだから、C2ルートで地下を抜けてゆく方が安心感がある。

 

小菅には9:00前に到着した。早く着き過ぎるのも迷惑だろうと思い、北京堂近くのコモディイイダというスーパーで時間をつぶすことにした。

 

2Fの駐車場に車を止め、1Fの入口へ降りると、地元民らしき人々が今か今かと開店するのを待っている姿が見えた。

 

店員が自動ドアのロックを外すと、地元民が我先にと水汲みスポットへ駈け出した。どうやら、開店早々に水をもらいに来たらしい。

 

とりあえず、店内を徘徊したあと、自宅用のスリッパを2つ買って、師匠ハウスへ行くことにした。スリッパが島根なみに安くて、少し感動した。

 

9:00の予約が入っていなかったから、一番乗りだった。1Fのベッドで施術してもらうことになった。同伴していた嫁に刺鍼中の動画を撮ってもらっていたが、撮影中におかんから電話がきたため、一旦撮影を中止せねばならなかった。師匠は手を止めないもんだから、一部動画を撮り損ねてしまった。

 

おかんはこの日の前日に、渋谷のオーチャードホールで某歌手のコンサートを観ていたらしいのだが、ライブ中、突然天皇陛下が現れて、自分のすぐ近くに座ったもんだから、その興奮を誰かしらに伝えたいらしかった。 f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150057j:plain

 

与太話をしながら針を刺してもらっていると、鍼灸師のFさんが出勤してきた。最近は毎日のように見学しに来ているらしい。まことに誠実そうな人だ。師匠は鍼を刺し終えると、2Fへ上がって次の患者の治療を始めた。天井からドスドスと慌ただしく歩き回る音が聞こえたが、それほど気にならなかった。

 

10:30からは私も見学させてもらう予定だったので、30分くらいの留針で抜いてもらうことにした。とにかく三角筋への刺鍼が痛過ぎた。久々に刺鍼したこともあり、抜鍼後はしばらく動けなかったが、何とか気合で起き上がり、白衣を着て2Fに上がった。

 

2Fの患者の施術が終わると、今度は1Fに患者が来た。肩周りが異常に硬い患者で、刺鍼される度に悲鳴を上げていたが、患者が悲鳴を上げる度に、師匠はニタニタしていた。

 

午前中、最後の患者の施術が終わると、師匠は冷凍庫からおもむろに「モナ王」を箱ごと取り出し、「あんたらもせっかく来たんだから、良いものをあげましょう」と言って、アイスを1つずつ差し出した。師匠はFさんにも「あんたも食べる?」と言ったが、Fさんは「僕はいいです」と答えたため、師匠は「あっそ」と言った。

 

こういう時は、喜んでアイスを頂戴するのが北京堂の弟子の流儀である。「空きっ腹にいきなりアイスを食べたら血糖値が急上昇して危険だろう」など野暮なことを考えて、師匠の好意を拒否してはいけない。アイスを食べながら、しばし与太話をしたあと、帰ることにした。

 

外の気温はすでに30℃を軽く超えていて、日差しがジリジリと地面に照りつけていた。車に乗り、千住新橋を渡って、久しぶりに上野でブラブラしてから帰ることにした。浅草に行っても良かったが、最近の浅草ランチは暴利を貪っている感じがあるため、あまり昼時に行きたいと思わない。

 

上野に車で来た場合、上野公園下の京成上野駅駐車場に止めるのが無難だ。出入りしやすいし、丸井やヨドバシカメラで商品をなんぼか購入すると、最大2時間まで無料になる。

 

本当は恐竜展を観に行こうかと思っていたが、すでに終了しており、観たい展示がなかったので、駅前を徘徊することにした。

 

12時を回っていたので、先にランチを食べることにした。とりあえず、駐車場と提携している丸井で食べることにした。

 

食事を終えて外へ出ると、田中真紀子氏が演説していた。どうやら選挙に出馬する夫の応援らしい。田中真紀子氏は小柄なお婆さんという感じだった。テレビで観るより小さく観えた、というのはよくあることだ。大して興味が無かったので、アメ横をブラブラすることにした。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150125j:plain

 

アメ横ですれ違う人の8割以上が中国人と白人、という感じだった。最近は成金タイプの爆買い中国人が減った代わりに、ミドル層の中国人が増えているらしいが、確かにそんな風貌の中国人が多く歩いていた。

 

中高生の頃、アメ横にはよく来ていたが、あの頃の客層とは随分違ってきているように感じた。あの当時はアメ横のあちらこちらに、黒人やら中東系の外国人がうろついていて、束になった偽造テレホンカードをペラペラめくりながら近寄って来ては、「10マイ1000エンダヨ!」と耳元でささやいて、購入を迫ってきたりして、やかましかった。その当時はまだ携帯電話なんて普及しておらず、ポケットベルが大流行していた時代だったから、金の無い中高生はアヤシイ繁華街の片隅で偽造テレホンカードを購入しては、公衆電話を使って、大して内容のないメッセージをやり取りしていたものだった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150302j:plain

 

当時はスマホなんて便利なものは想像出来なかったが、本当に科学技術というものは日進月歩で、あと20年も経ったら、iPhoneなんて化石に等しいくらいガラパゴス的な存在になっているかもしれない。

 

20年前のアメ横と言えば偽造テレホンカードのほかに、中田商店のイメージが強い。中田商店は今もアメ横に健在の、マニアにはよく知られたミリタリーショップだ。私が中学生の頃は、何故か米軍のフライトジャケットが大流行していて、みな質の良いMA-1を羽織ることに憧れていたから、なけなしの金を握りしめては、中田商店へ行ったものだった。中田商店には米軍払い下げ、モノホンの軍モノが並べられていたから、涎を垂らして通い詰めるマニアも少なくなかった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150339j:plain

 

中田商店近くには、中国式に、カットしたフルーツを割りばしに刺して売っている店があった。北京でも夏になると、路上の屋台で長細くカットしたハミウリなんかを、串刺しにして売っている。ここでもスイカやメロン、パイナップルを串刺しにして売っていた。主に中国人が喜んで買っているようだった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150328j:plain

 

しばらく歩くと、ケバブ―を売っている店が見えた。ケバブ―の店は原宿と秋葉原で見た以来だ。トルコ人らしき男の店員が店頭に2人立っていて、店の前を通りかかる人を強引に引き込もうとしていた。「ケバブ、タベヨウヨ」などと馴れ馴れしい日本語で通行人を塞ぐように営業するもんだから、大抵の人は嫌がって近寄らないようだった。

 

ケバブの隣は中国人が経営するいわば小吃(軽食)な店で、店頭では揚げたての油条を売っていた。油条はいわば揚げパンみたいなもので、日本の揚げパンとはちょっと違うが、中国ではメジャーな軽食である。よく朝っぱらからこんな脂っこいもん食べるな、と思うが、北京では朝食で食べる人も少なくない。

 

東京では珍しいから、思わず「油条だ」と中国語でつぶやくと、店頭で客引きしていた中国人のオバハンが、「おいしいよ。中で座って食べてって」と中国語で話しかけてきた。昼食を食べたばかりだったので、断ることにした。何となく店にカメラを向けると、店頭のオバハンは笑顔でおどけたポーズをとった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150351j:plain

 

少し歩くと、仮面を売っている店があった。アメ横は通りを外れると途端に人気が失せる。ガード下には年季の入った小さな店が密集していたが、どうやら全面改装するのか、ほとんどの店が養生シートで覆われていた。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150402j:plain

 

御徒町まで行くのは面倒なので、Uターンして上野駅方面へ戻ることにした。再びガード下でウロウロしていると、突然、見知らぬオバハンが片言の日本語で「スイマセン」と声をかけてきた。

 

どうやら中国人観光客らしい。オバハンは中華製スマホの画面を私の方に向け、何やら日本語をしゃべろうとしているように見えたが、勉強不足なのか、それ以上、言いたい日本語が出てこない様子だった。

 

画面を見ると「百货公司」とだけ表示されていて、スマホの辞書アプリを使って表示したらしいが、日本語は表示されていないかった。私が「baihuo gongsi」と中国語で読み上げると、オバハン3人は声をそろえて「哎!」と叫んだ。日本語しか通じないと思っていた人間が、予想外にもいきなり中国語をしゃべったから、喜びつつもビックリしたらしい。

 

そもそも「百货公司」の「公司」は「~会社」の意味だと覚えていたし、「デパート」に該当する中国語は「百货商店」か「 百货大楼」のはずだろうと一瞬戸惑った。しかし、どうみても観光客らしきラフな格好をしたオバハン達が、これから何某かの会社を訪問するような雰囲気でもなかったから、きっと「百货公司」は「デパート」の意味だろうと判断して、スマホの画面を指さしながら「ここへ行きたいんですか?」と中国語で聞いてみた。

 

すると、スマホを差し出したオバハンが嬉しそうにうなずきながら、スマホを指さして「Go!Go!」とわけのわからぬ英語をしゃべるので、「この付近にデパートは無いですよ」と中国語で答えると、オバハン達が「谢谢」と言って会話が終了した。

 

そういえば、さっき行ったばかりの丸井がデパートみたいなもんだな、などと思いついたりしたが、丸井は基本的に若者向けだから、あの中年中国人の好みでは無いかもしれないな、などと勝手に判断した。

 

あまりにも暑いので、上野公園入口付近のビルにある、タリーズコーヒーへ行くことにした。嫁はタピオカ入りの冷たいミルクティーを飲みたいと言った。どうやらこのビルは最近出来たようだが、確かここには上野土産で有名な饅頭屋があったはずだ。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150426j:plain

 

タリーズコーヒーは満席だったので、しかたなくテイクアウトして、再び街を徘徊することにした。何となく、さっき見かけた中華系軽食店にあった煎饼が気になっていたので、買いに行くことにした。煎饼は北京の屋台でよく見かけるファストフードだが、北京では衛生的に危なそうな雰囲気が多かったから、これまで食べたことがなかったのだ。で、話のネタにするため、一度は食べてみようと思った。

 

店の前にはさっきと違う中国人のオバハンが立っていて、「煎饼果子を1つ下さい」と中国語で言うと、「ここで食べるか、持ち帰りか?」と聞いてきた。すかさず私が「带走,带走(持ち帰り)」と答えると、オバハンは厨房に向かって「煎饼果子一个,打抱!」と叫んだ。オバハンに300円を渡すと、オバハンはニコニコしながら「あんたら日本人?」と中国語で言い、椅子を差し出して、座って待つよう促してきた。店の奥では、中国人らしき先客が豆乳を飲んでいた。中国人は本当に豆乳が好きだな、と思った。

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改めてメニューを眺めると、あやしい日本語が書かれていることに気が付いた。メニューには「煎饼果子(菓子入り焼き餅)」と書かれていたのだ。「煎饼」は日本語的に読めば「せんべい」だが、中国語の「煎饼」はせんべいでもなければ餅でもない。「果子」は本来は「馃子」の意味で、油条や焦圈儿などの揚げパンを意味する。

 

そもそも、煎饼果子は天津発祥の小吃で、天津の方言で油条を果子と呼ぶから、煎饼果子と呼ぶだけの話だ。歪果仁、特に漢字圏の日本人は、油条が包んであるのに何故に果子と呼ぶのかという疑問を抱いていたかもしれない。

 

「果子」には、古い中国語では菓子を意味するが、おそらくこの店の看板を作った中国人が日本語の「菓子」と勘違いして、「揚げパンを挟んだ中華風クレープ」と訳すべきところを、「菓子入り焼き餅」と誤訳したのであろうな、と想像した。「菓子入り焼き餅」と言ったら、日本人はアツアツのお餅の中に、アンコやぷっちょなんかが入っていると思うに違いない。

 

5分くらいして商品が出てきた。小麦粉と刻みネギ、卵を混ぜて焼いた生地に、甜麺醤を少し塗って、レタスと油条を挟んだだけの煎饼だった。果子も菓子も入っていなかったし、甜麺醤が甘すぎて、私の嗜好には合わなかった。「菓子入り焼き餅」だと思って食べた日本人は、「なんじゃこりゃあヾ(*`Д´)ノ!」と発狂するかもしれない。

 

中華系軽食店に別れを告げ、再び来た道を戻ると、中国人との会話を盗み聞きしていたらしきケバブ売りのトルコ人が、我々に向かって「ケバブ、ハオチー、ハオチー」と慣れ慣れしく話しかけてきた。どうやら私が中国語を話していたから、我々を中国人だと思ったらしい。トルコ人には中国人と日本人の見分けがつかぬのだろう。今度、機会があったらケバブを買ってあげよう。

 

アメ横を抜けて、上野公園へ行くことにした。身長に比して明らかに顔がデカすぎる西郷さんの銅像を見つつ、寛永寺へ向かった。昔は、このあたりにホームレスが沢山いたものだが、今も似たような人がチラホラいた。

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寛永寺へ行き、月の松を見た。広重が描いた松とは大違いで残念だったが、まぁ趣があって良かった。寛永寺徳川家康が天海という謎多き坊主に作らせた、鬼門封じの寺としてマニアには有名だ。江戸城から見て表鬼門、丑寅の方角に位置していて、江戸を守る結界を張るための重要な寺だったと言われている。江戸城、つまりは今の皇居の表鬼門に位置するスカイツリーと、裏鬼門に位置する東京タワーは、東京の結界を破るために秘密結社の陰謀によって建設されたとまことしやかに囁かれているが、真実はどうなのだろう。確かに、あんな電波塔があの2か所にあるのは不可解だ。荒俣宏の本を愛読していた青春時代の私なら、きっと将門の怨念だとか、わけのわからぬことを想像してしまいそうだが、きっと庶民には将来も真相などわからぬだろうと思う。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150455j:plain

 

寛永寺をお参りした後は不忍池へ行って、弁天堂へお参りすることにした。嫁と参道を歩いていると、大胆にも素手でたこ焼きを食べている白人家族がいた。このあたりは何故か中国人よりも白人が多かった。みな一眼レフを首からぶら下げて、写真を撮っていた。 f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150518j:plain

 

お堂の横にある休憩所では、観光客らしき白人少女2人が、小さな亀を片手にスマホで写真を撮っていた。どうやら、地元民らしきジジイが、自分が飼っている亀を連れてきて、観光客が座るテーブルに放して、遊んでいるようだった。老若男女が集う境内で、可愛げなteenagerばかりを相手に亀を放している様子は、どうも猥褻な感じと言うか、スケベな感じがしたが、もしかしたら私の豊かな想像力が暴走しているだけかもしれぬから、放置することにした。 f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150528j:plain

 

その後はしばらく、池の中にチョコチョコ咲いている蓮の花を眺めたりしていたが、あまりにも暑いので、帰宅することにした。  

 

自宅へ帰る途中、新宿通りでピーポ君とピー子を見つけたので、ここぞとばかりに、記念撮影しようということになった。早速、交差点を左折し、新宿2丁目付近の「男性マッサージ専門」という怪しげな看板を掲げた店の近くのコインパーキングに車を止め、急ぎ足で交差点へ向かった。

 

しかし、ピーポ君とピー子の「中の人」の勤務時間は17時までらしく、通りかかった時は16時50分くらいだったが、無慈悲にも2匹は交番に吸い込まれるように消えてしまって、記念撮影は出来なかった。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160713150548j:plain

 

東京バブル

今年の初詣は、何となく浅草へ行くことになった。祖父が昔浅草で商売をしていたこともあって、幼少時から幾度となく訪れているが、正月に行くのは初めてかもしれない。

 

浅草までは自家用車で行ったのだが、駐車場はどこも満車で行列が出来ていたもんだから、言問通りの外れにあるコインパーキングに車を停めて、浅草寺までしばし歩くことにした。

 

明るいうちに浅草寺へお参りするつもりだったけれども、駐車場を探している間にスッカリ日が暮れてしまっていた。浅草の外れは元旦になるとほとんど人が歩いておらず、半ばゴーストタウンのようだったが、むしろ歩きやすくて快適だった。あれなら露出狂が裸で路地を徘徊したり、突然時空が裂けてジョンタイターのような未来人が現れたりしても、誰も気が付かないかもしれない。

 

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 言問通りある交差点には、テント看板に「中村」と書かれた、商店らしき建物があった。そういえば、昔刊行されていた某B級雑誌には、街中の意味不明な看板を撮った写真を集めるという企画があった。「中村」というテント看板をみて、久々にそんなことを思い出したりした。

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子供の頃は、隅田川の上にそびえるアサヒビールの金の炎が浅草の象徴みたいなもんだったが、いまはスカイツリーが強烈過ぎて、金の炎も寂しそうに見えた。ちなみにうちの親はあれが何なのかをちゃんと子供に解説しなかったから、私は小学生くらいまで、ビルの上にウ〇コがあるとはなんと奇特な会社なのだろうなどと思い込んでいた。 

 

浅草寺は予想を超えた行列で、雷門のあたりまでギュウギュウに参拝客が並んでいた。先頭あたりでは警察が柵を立てていて、通行を制限したり、行列を整理していた。

 

これはさすがに並ぶのはアホらしいと思ったので、飯でも食ってから様子をみて、参拝するかどうか決めることにした。雷門あたりの飲食店は満席だったから、人混みを避けて裏通りへ行くことにした。

 

裏通りは結構空いていた。お好み焼きを食べようかと思ったが、先日新宿で関西風と偽った到底お好み焼きとは呼べぬ代物である某国風のお好み焼きを騙されて食べたばかりで、東京のお好み焼きには心底失望していたので、別のモノを食べることにした。

 

最近は関西風やら広島風と偽った外国風のお好み焼き店があったりするから、よく吟味しないと騙されてしまうらしい。個人的には広島の平和記念公園近くのお好み焼き屋と、幼少時に西明石で食べたお好み焼き屋が最も好きだが、東京では未だ美味しいお好み焼き屋を知らぬ。 

  

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餃子の王将かと思ったら、餃子の王さまがあった。中国にはこういうややこしい店がよくある。

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飯を食べて仲見世に戻ると、通行規制が解除され参道も空いていたから、ちょっくら並んで参拝することにした。途中、じゅん散歩で高田純次が食べていたオムレツ屋や、芸大生が描いたというシャッター画を眺めつつ、食後のデザートに人形焼きなどを買って、境内の行列に並んだ。

 

私が行列に並びながら「スリには気を付けないといかんで。」と言うと、こびと(嫁)は「東京にスリなんかいるんか。」と言っていた。しかし案の定、この日の深夜に、浅草寺で83歳と67歳のベテランスリ師が逮捕されたらしい。

 

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中国では空港での盗難被害が未だに多いらしいが、やはり平和ボケしている外国人や、中国語がロクに話せぬ外国人が狙われているらしい。空港で預けていたスーツケースを受け取り、ホテルへ向かうタクシーやバスを探してキョロキョロしていると、どこからともなくカタコトの日本語をしゃべる女が近寄ってくる。そして、タクシーの場所はこっちだから案内してやるとか、私もタクシーを探しているが一緒に探してくれないかなどと猫なで声で話しかけ、犯罪仲間の黑车(違法タクシー)のトランクに旅行者から奪い取ったスーツケースを放り込む。で、そのまま呆気に取られている旅行者を放置して逃走する、というパターンなんかがあるらしい。

 

アホな日本人ならすぐに良いカモになりそうだ。悪徳中国人からみたら、日本人旅行者はネギを背負ったカモにみえるのかもしれない。いや、中国人は羊のしゃぶしゃぶが好きだから、鍋を背負った羊だろうか。羊肉は元々ウイグル族の食い物で、羊の串焼きなぞはクセのある味だが、日本人はクセが無いから悪徳中国人には最高の獲物なのかもしれぬ。

 

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最近の都内はどこへ行っても中国人だらけで、元旦の浅草にも中国人が沢山いた。お花見ツアーとか初詣ツアーとか、初売りツアーなどが人気らしいが、とにかくここ2年くらいは年中、中国人が大挙して爆買いに来ているように思える。

 

北京の本屋には「东京攻略完全制覇」という日本人がとってつけたような題名の本が売っていたが、そんな本の影響か、近頃は中国人なんてほとんどいなかった吉祥寺も中国人だらけだ。f:id:tokyotsubamezhenjiu:20160110162741j:plain

 

地元民しか知らぬような中道通りのドーナツやら、商店街で売られている某メンチカツなどを買い求める行列をみると、本当にうんざりしてしまうから、なるべく休日は中国人のいない静かな街へ出かけたいと思うが、そういうわけにもいかないので困ってしまう。

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先日も、新宿のル〇ネ6Fにある某家具屋に入ったら、観光中らしき中国人BBAが展示品のソファーで偉そうに休憩していて、デカいスーツケースを狭い通路を塞ぐように置いてくつろいでおり、向かいに座った下僕らしきBBAと日本人の悪口を言っていた。

 

このBBAはかなりの極悪顔で、店内にいる日本人を見ながら、ああだこうだと中国語で汚い言葉を口にしていたから、私はお前の言っていることは全部わかっているんだぞ、てな具合でBBAの顔をジッと見ていたら、BBAは苦虫を噛んだような顔で不満そうに眼をそらした。いや、悪相のBBAだったから、飛んでるハエでも捕まえて食べていたのかもしれない。

 

日本に来てまで日本人の悪口ばかりを言っているような輩や、何も買う気が無いのに家具屋のソファーでひたすらくつろいでいるような輩は日本に来なくてよろしい、と思ったりもするが、最近は止め処なく、バンバンバンバン中国人が流れ込んでくる。日本の商人も儲かるからか、中国語で店頭に「いらっしゃいませ」とか「中国語のメニューがあります」など大歓迎ムードだから、どうにもならぬ。今年は初売りで新宿小田急アニエスベーに初めて行ったが、客の9割くらいは中国人で、商品を滅茶苦茶に掻き回していて、修羅場だった。

 

先日、近所のマツキヨで、爆買いしたパンパースを必死な形相で自転車の荷台にくくり付けている中国人を目撃した。初売りでも同じような商品を爆買いして、国内のブローカーに横流しして小銭を稼いだり、淘宝(中国版ebay)なぞで高値で売り飛ばして荒稼ぎしているのかもしれない。まぁ、大人しくて良識ある中国人なら歓迎しても良いとは思ったりするのだけれど、とかく最近の東京はどこへ行っても喧しい中国人ばかりで平和が乱されている感じがしてならぬ。今のバブリーな感じは一過性であって、いつかまた東京が平穏を取り戻すといいが。

 

 

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富貴は浮き雲の如し

先日、久々に上海へ出向している旧友と会った。彼は高校時代の同級生で、私の数少ない友人の一人だ。私は高校の頃から群れることに嫌気が差すようになっていて、元来の奇人気質が年を追うごとに強くなっているからか、未だに友人と呼べる人間は片手で数えるくらいしか存在しない。まぁ今も昔も、友人を増やそうとか、友達がいないと寂しいという思いが微塵もないから、友人が少なくても別に気にならない。そもそもは人付き合いが面倒な性分なのだ。

 

夕方に会って一緒に夕飯を食いに行くだけの予定だったが、先に鍼を打ってくれというので、休診日だったが仕方なく鍼を打ってやることにした。

 

鍼を打った後はマトモな日本食を食べたいと言うことで、高尾にあるうかい鳥山へ行くことにした。友人が予約の電話をかけると、個人情報を喧しく確認した後、20時がラストオーダーだと言われたらしかった。調布から高速に乗ればギリギリ間に合いそうだったが、調布IC付近の渋滞と降り続いている雨の影響でラストオーダーまでに間に合うかどうかは怪しかった。

 

結局、渋滞はあっけなくつつじヶ丘付近で終わり、調布ICから高速道路へ入るとガラガラだったので、ナビの予想よりも早く八王子を通過することが出来た。

 

八王子ICを過ぎて圏央道へ入ると雨はスッカリ止んでいて、山間に大きな月が見え隠れしていた。最近話題のスーパームーンだとかで、通常よりも大きく見えた。

 

高尾付近の圏央道は完全に山に埋もれている感じで、ロクに照明灯が設置されていないもんだから月は綺麗に見えるのだが、ヘッドライトがハロゲンでは如何せん目が疲れて運転し難い。高速道路で反射板の光だけを頼りに運転するのは、島根に住んでた時に中国道山陰道米子道を走った時以来である。どれも首都高と違って道はひたすらストレートで日中は走りやすいのだが、日が暮れるととにかく暗過ぎて目が疲れるし眠気を誘うから、正直夜は慣れた首都高を走った方が楽だ。島根の患者さんには首都高なんて恐ろしくて走れないと言う人もいたが、まぁ慣れだと思う。

 

圏央道は開通直後はガラガラで赤字路線の雰囲気がプンプンしていたが、今もあまり変わらぬように思える。まぁ、走るほうとしては空いていて走りやすいのだが。そういえば圏央道の工事で高尾山をブチ抜いた時、滝が枯れたとか生態系に影響が出たとか聞いたが、実際はどうだったのだろうか。

 

高尾山ICを降りて右方へ数分走ると、すぐにうかい鳥山に到着した。山中にあるもんだから、店へとつながる未知の暗い山道を走っていると、こんな所に本当に店があるんかいなと心配になったが、とりあえず無事駐車場へ辿り着くことが出来た。

 

駐車場から入口までは篝火(かがりび)が点々と備えつけられていて、月明かりが届かない敷地内は、来客を古都へいざなうかのような独特の雰囲気を醸し出していた。

 

駐車場まで迎えに出てきていた店員に促されて店内へ向かうと、自分がVIPになったかのような気がして、腐敗した高級官僚の日常的なアホ接待はこんな感じか、おそらくはもっとグレードが高い塩梅なんだろうと想像した。ちなみに著名な芸能人や文豪もお忍びで度々訪れているらしいが、確かに密会するには良い場所かもしれぬ。

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どんな部屋で、どんな料理が出るのかとワクワクしながら、心地良い気分で入口へ向かって広い駐車場を歩いているのも束の間、後方から光軸が滅茶苦茶で明らかに違法改造的な青いHIDを放ちながら、荒い運転で下品な様相のT社製1BOXカーが、駐車場の砂利を撒き散らしつつ、入口に近い場所を陣取ろうと先に入庫している最中の小型車をぶち抜いて、迷惑を顧みずに無理矢理入ってきていた。

 

どんな人相のアホ人間が乗っているのか想像に難くはなかったが、念のため今後の勉強のためにも、どんな野郎が降りてくるのかしばし観察することにした。

 

下品な黒塗りの国産1BOXカーから降りてきたのは、成金らしき風貌で40代くらいの日本人のような夫婦と、その娘と息子らしき子供の4人だった。みな落ち着きがなく、場の雰囲気からみると明らかに浮いていたが、店員は何事もないかのようにジェントルに出迎えていた。最近は評判を聞きつけた中国人の団体客がバスで乗り付けてくるらしいが、とりあえず大人しくしていて欲しいものだと思ったりした。

 

敷地は6000坪あるらしく、40室余りの客室のほとんどは離れの個室になっていて、敷地内の草木を眺めながら、川のせせらぎをBGMに舌鼓を打ちつつ、安らぎのひと時を過ごせるようになっていた。

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夜は数種のコースから料理を選べるようになっていて、女中さんが良いタイミングで料理を運んでくれるから、コース料理にありがちな次の料理はまだかいな的なお待たせ感は皆無だった。料理の総量は少な目だったが、のんびり食べるからか、少量でも十分な満腹感があった。やはり食事はゆったり食べる方が良い。

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 友人は久々の美食と場の雰囲気を大そうお気に召したようで、また来たくなる稀有な店だと興奮して語っていた。私も普段は質素な食生活だがらこういう場所へは滅多に来ないけれども、大事な来客があった時や、外国人観光客が来た時なんかに連れて来たら、喜ばれるんじゃなかろうかと思う。

 

11月からは高尾のもみじ祭りも始まって、この辺りの木々も美しく色付くだろうから、紅葉の頃ランチタイムにでも訪れたら、脳もリフレッシュされてよろしいかと思う。

 

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芸は一代

先日、久々に師匠の治療を見学するため、小菅の北京堂へ行ってきた。まぁ久々とは言っても1年くらいしか経っていない。

 

とりあえず、今年北京で買うべき本を一冊教えてもらった。線維筋痛症の治療法が書かれている数少ない本だ。人民衛生出版社の本屋は店員がクソみたいな感じだけれども、出版社自体には良書が多い。

 

私がすかさず写真を撮ろうと表紙をフォーカスしたら、「こうやって撮ったほうが良いでしょ。」と、師匠が背表紙をこちら側へ向けてくれた。確かに背表紙を撮っておいた方が本屋で探しやすい。やはり師匠はアタマが良い。

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私は北京堂の内弟子になってからだいたい6年くらいが経つのだけれど、未だに1年に数回くらいは師匠のところへ行って、己の技術を再確認するようにしている。島根で初めて独立した頃に比べれば遥かに技量は上がっているとは思うが、まだまだ満足出来るレベルには達していないから、より上を目指して精進しなければならぬ。

 

基本的に北京堂では半年~1年くらいが弟子入り期間と決められていて、その後は師匠の下を離れ、独立開業しなければならないことになっている。しかし、特に細かいカリキュラムが組まれているわけではなく、その都度来院する様々な病態の患者を診ながら治療というモノを随時覚えていくシステムになっているため、弟子によっては習得出来なかった技術がそのままに、独立してしまうことも珍しくない。

 

ゆえに弟子によっては得手不得手があったり、技術のレベルに差があったりする。あまり覚えの悪い弟子は破門になったりするケースもあるから、北京堂という看板を掲げている鍼灸院は他院に比べればそれなりの技量を持ち合わせていると思われるが、屋号が同じだから全く同じレベルの施術を受けることが出来るかというと、そういうわけでもないらしい。

 

北京堂グループはいわば暖簾分けとかフランチャイズみたいなものだけれど、結局は技術職であるから、外食産業のように全店ほぼ同じサービスを提供し続ける、ということを実現するのは難しい。例え同じように教えてインプットさせているつもりでも、弟子によってアウトプットの仕方は様々だし、その解釈が異なっていたりするもんだから、師匠と完全に同じように施術するというのは土台無理な話である。

 

しかしながら出来る限り師匠の技を真似て、より効果的な施術が出来るよう努めることは可能なわけで、独立した直後は下手くそであっても、弟子の努力の如何によっては師匠と同じくらいのレベルの施術を提供することが可能であろうし、創意工夫によっては師匠を超える技術を習得することも不可能ではないはずだ。

 

芸事には守破離という言葉があるが、どんなテクニックも、まずは基本を完全にマスター出来ていなければ、その先の段階へ進むことは出来ない。基礎的な部分を疎かにしたままでは、いつかは技術的な面で行き詰まるだろうし、最悪は己の技術レベルが低いことや技術面に誤りがあることにさえ気が付かないまま、あらぬ方向へと暴走してしまう可能性もある。

 

毎日毎日、先生先生と呼ばれ続けていると、己が未熟であるという事実を、己は熟達しているという記憶に無意識に刷り変えてしまったりして、果てには自分がカリスマであるとか、ゴッドハンドであるとか勘違いして、最終的にはあの鍼灸師老害であると陰口を叩かれても気が付かない、というパターンになることも少なくない。実際に、日本の鍼灸業界にはそんな輩と、それらを取り巻く愚者が数え切れないくらい実在する。

 

つまり、最初は自分の愚かさに気が付いていても、アホな取巻きに祀り上げられてゆくことで、次第に自分の都合の良いように記憶を入れ替えて、自分が高尚な人間であると思い込むようになってしまうのである。

 

世阿弥の『花鏡』には「初心忘る可からず」という言葉があるけれど、謙虚さを失った鍼灸師ほど不愉快なものはない。師匠のところには日々、数多見学者が訪れているけれども、初対面にも関わらず、タメ口で馴れ馴れしく話しかけてくる鍼灸師には本当に辟易してしまう。ちなみに以前、私が弟子入りしていた頃、そういう無礼な鍼灸師がいたもんだから、私がほぼ無視を決め込んでいたら、後日、師匠に「あの弟子は陰湿ですね」などと悪口を言っていたらしい。まぁ、アホな鍼灸師の話など今となってはどうでも良いが、ブログを書いていたら、そんなことがあったのを思い出した。

 

基本的に私は「The Mentalist」のPatrick Jane並みに観察眼が優れているからか、アホな鍼灸師やトラブルメイカーな鍼灸師は一瞥してしてわかるので、端から関わらぬようにしている。まさに転ばぬ先の杖とか、濡れぬ先の傘とか、良い内から養生とか、触らぬ神に祟りなしとか、寝ていて転んだ例はないとか、故事格言にある通りである。昔は色々と失敗して苦労したから、とにかく最近は慎重である。 

 

そんなこんなで、私は惰性で鍼灸業を営み、無駄にキャリアだけを積み、鍼灸業界の「頂点」でふんぞり返っている老害にならぬためにも、毎年1回は師匠のところへ行くようにして、初心を忘れず、驕らぬよう己を戒めている。

昔の記憶

先月、20年ぶりに京都と奈良を旅行してきた。基本的に東京に住んでいると何でも揃ってしまうから特段用事がない限り、わざわざ関西の都市部へ出向くことはない。今回は、とりあえず名所と呼ばれる場所を中心に巡ることにした。

 

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初日は京都タワーへ上ってみた。修学旅行シーズンゆえか、1階の土産売り場は中学生でごった返していた。

 

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京都タワーは大そう不安な外観であるが、実際に展望室に上ってみると予想通り変な揺れ方をするもんだから、望遠鏡にかじりついている中学生を傍目に、長居せずに降りることにした。

 

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しかし、まぁ高いところだから眺めは良かったが、大地震がきたことを想像すると、長居出来たものではない。

 

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とりあえず何もしないで降りるのはもったいないので、望遠鏡をiPhoneで覗いてみた。案外綺麗な写真が撮れた。

 

展望台から下ると、2階には怪しい電脳手相コーナーがあった。1回300円でコンピューターが占ってくれるらしい。とは言っても全自動ではないから半ば人力で占うようになっていた。

 

ヒマそうに立っていた受付らしきおばはんに代金を渡すと、よく使う方の手を出せと言われた。通常手相は両手をみて判断することが多いが、電脳手相コーナーではどうやら利き手だけで判断するらしかった。この時点で怪しさは倍増した。

 

右手をコピー機の上に置くと、すぐに私の手相がプリントアウトされた。おばはんはコピーされた手相を見て、慣れぬ手つきで機械を操作すると、私に相応しいと思われる鑑定書をプリントアウトして私に差し出した。鑑定書には無難なことしか書いてなかった。どうやらプリントアウトされる鑑定結果は数パターンしかないように見えた。

 

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京都タワーを出た後は近場の寺を巡って、ホテルへ帰ることにした。

 

2日目は早朝にホテルを出発して、鞍馬山へ登ることにした。患者さんから素晴らしいパワースポットだと聞いていたので、実際にどんなもんか確かめてみたいと思っていたのだった。私は良いと聞くと、確実に怪しいと思われるモノ以外はなるべく実体験してみることにしている。

 

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東京には三軒茶屋があるが、京都には二軒茶屋があるらしい。とりあえず写真を撮ってみた。

 

鞍馬山はあいにくケーブルカーが運休していて、全路徒歩で登ることになった。登山するつもりの恰好で出かけてきていたが、夏場だから暑くて結構大変だった。感覚的には山の起伏や生態系は高尾山に似ている。

 

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30分くらい黙々と登ると、鞍馬寺の本殿に着いた。目的は山中深くにある奥の院だから、とりあえず一休みすることにした。境内では鞍馬山にある保育園の子供が元気に遊んでいて平和だった。

 

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ほとんどの観光客はここで引き返していた。ここまでの道のりでバテてしまう人が大半のようだった。

 

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奥の院参道の入り口には、軽装で入山することを拒ませるかのような看板が立っていた。ヤマカガシもいればオオスズメバチもいるらしい。黒い服装ならアウトでしょうな。

 

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1時間くらいひたすら歩くと、奥の院に着いた。すでに参拝者が数人佇んでいた。奥の院は確かに雰囲気が違ったけれど、パワースポットなのかどうかはよくわからなかった。

 

10分くらい休んで、貴船方面へ下ることにした。貴船神社の近くにある飯屋で昼食をとる予定だった。貴船神社は丑の刻参りやら藁人形やら呪詛やらで有名らしいが、昼間に訪れる分には特に怪しい感じもしなかった。 新緑が眩しいくらいだった。

 

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3日目は嵐山へ行く予定だったが、やはり前からちょっと気になっていた奈良へ行くことにした。

 

そもそものキッカケは、2か月前に枻出版社のDiscover Japan5月号で水野南北翁の特集を組んだ時の話だ(http://ameblo.jp/ryudoumizuki/entry-12005146203.html)。

 

当院へ取材に来られた編集部のAさんに、「何故に今更、南北先生の特集を組むことになったんですか?」と問うたら、「編集長が春日大社宮司から“御宣託”を受けたんですよ。」という話を聞いていたのだ。

 

私は7~8年前から南北翁について独自に研究しているのだが、春日大社と南北翁の関係については初耳だった。実際に所以があったのかはわからないけれども、何かしらかの縁があったと推察されるならば、自称研究者としては行かずにはいられぬ。何某かの発見があるやも知れないからだ。

 

奈良へ行くのは中学校時代以来である。 

 

中学生の時は、確か修学旅行だか何とか訓練だかの名目で奈良を訪れたのだと思うが、特に楽しい出来事もなかったからか、当時の記憶はほとんど残っていない。微かに覚えていることと言えば、突然の雨で財布が濡れてしまって、一生懸命に旅館の一室で夏目漱石さんを乾かしている友人S村君の姿を眺めていたことや、旅館の夕食時にクラスメート数人が、瓶入りのコーヒー牛乳片手にしゃぶしゃぶ用の少ない豚肉をうばい合いながら食べているのを眺めていたこと、京都限定らしかったファンタのレモン味をお土産に買ったこと、学校の課題だかで見ず知らずのイギリス人に無理矢理、英語で街頭インタビューさせられたことくらいだ。

 

今回の奈良でも坊主頭の男子中学生が、アメリカ人らしき見ず知らずの女性に突如脈絡なく「サインプリーズ」と言っていた。しかし、ネイティブなら有名人などにサインをくれと言う時はautographを使うようだが、滅茶苦茶な字幕映画などが溢れる日本で普段からわけのわからぬ和製英語に毒されている中学生にとっては、そんなことはどうでも良いのかもしれないなどと思ったりした。

 

奈良と言えば、20代初めの頃、奈良の山奥にある天河神社という所へ行った時の事を思い出す。なぜ行こうと思ったのか詳しくは覚えていないが、急に思い立って、小さなバックパックを背負って独りで出かけたのだろうと思う。

 

天河神社へは下市口という駅から公共のバスで山中を行くのだが、その時は一人旅的な、影のある感じの若い女性がチラホラ乗っていた。

 

泊まる場所をどうやって確保したのか、どんな感じで過ごしたのかもほとんど覚えていない。旅館近くにあった、閑古鳥が鳴いているような飯屋で初めて馬刺を食べたことや、単なる民家のような旅館の女将に「相部屋になりますが良いですか」と聞かれたこと、相部屋になった同年代らしき男が明かな電波系で、「天川村はよくUFOが出るんですよ。私は何回か見たことがあります。」とか、「寝る前にちょっと川へ行って来ます。私には川の声が聞こえます。」などと神妙な顔をして語っていたこと、旅館の朝食で私の嫌いな高野豆腐が出たこと、当時洗脳されて雲隠れしていたらしいX(エックス)のTOSHIが奉納演奏に来ていたが、少人数ながらも女のファンが群れていて、歌声だけしか拝めなかったこと、くらいしか思い出せない(生の歌声は素晴らしかった)。

 

もはやどうやって帰ったのかさえも覚えていないが、今思い返してみれば、その電波系青年は影がほとんど無いかのような男だったから既に彼岸へ逝ってしまったかもしれない。しかし今思えば、見知らぬ男と相部屋になっても爆睡出来たなんて、平和な時代だったもんだと思う。今の日本じゃ、電車の中で寝顔を盗撮されてSNSに無断で投稿されたり、毒入りチョコを喰わされて財布をパクられたりしかねないから、気軽に相部屋なんて出来たもんじゃない。

 

15年くらい前はネットも大して発達していなかったし、SNSなんてのも存在しなかったし、携帯電話なんぞはメールか電話くらいの機能しか持ち合わせていなかった。ゆえに他人との関わりも希薄であって、お互い大して干渉しなくても済んだから、あれはあれで良かったと思う。いや、むしろ、他人との関わりあいにおいては昔の方が精神的には楽だったかもしれない。

 

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奈良公園鹿せんべい売り場では、中国人家族が鹿に襲われていた。中国語で「アイヤ―(あれまー)」とか「トントントン(痛い痛い痛い)」と叫んでいた。

 

公園内で鹿せんべいを売る老人は数人いたが、みな一様に無表情で「でぃあーでぃあー(Deer,deer.)」と念仏のように呟いているもんだから、せんべいを買うつもりが、即身成仏しているのかと思って、小銭を渡した後、合掌しそうになった。

 

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春日大社には初めてお参りした。国宝の御本殿は20年に1度の御開帳で賑わっていた。秘仏を公開するような感じだから当然にして撮影は禁止されていたが、恐れ知らずの中国人観光客がパシャパシャと撮りまくっていた。中国語ではああいう人のことを「无知无畏」と言うのだろう。

 

結局、何となく、宮司に会って南北翁の話を聞こうという気持ちにならなかったので、ふらりとお参りするだけにした。

 

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春日大社をあとにして奈良公園付近を徘徊していると、独特な雰囲気のメニューを掲げた茶屋があった。うどんのトッピングが奇抜でドン引きしたが、外国人は喜んで食べている様子であった。茶屋といえば箱根の甘酒茶屋の外観が好きだったが、こちらの方が茅葺の雰囲気といい、全体的な佇まいは上質であった。

 

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奈良公園に行った後は定番の東大寺へ行ってみた。奈良は京都と違って全体的なスケールが小さいから、短時間・低予算で回れて日帰り観光にはウッテツケである。

 

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東大寺を回った後は新幹線に乗り遅れるといけないので、早めに京都駅に戻ることにした。

 

手相といえば、20代初めの頃、イロイロあって路頭に迷っていた時期に、手相の大家であられた門脇尚平先生に、下北沢のご自宅で鑑定していただいたことがあった。ご自宅は下北沢駅から5分くらい歩いた住宅街にあって、インターホンを押すと気さくな感じで門脇先生がお出迎えになり、玄関左脇の居間に通された。10畳くらいの部屋に小さなちゃぶ台と座布団が2枚敷いてあって、部屋の奥には西式健康法の平牀(へいしょう、≒木板)と硬枕を置いたスペースがあった。

 

先生に促されて座布団に座ると、すぐに代金を請求された。3万円だった。先生は現ナマを手にするまで、会話をしない様子だった。随分高いと思ったが、門脇先生にお会い出来て感動していたし、鑑定内容に期待していたので、すぐに諭吉を3枚取り出した。ためらいながらも3万円を差し出すなんて、あの頃の私は今よりは遥かに純朴であったと思う。

 

門脇先生の手は随分と手荒れが酷く、表皮が剥けてカサカサになっていたので、つい「どうしたんですか」と言ってしまったが、先生は「ちょっとね」と言って話をはぐらかした。先生は西式健康法で完全なる健康体になっていると思い込んでいたが、西式に問題があるのか、先生に問題があるのか、当時の私にはわからなかった。

 

先生はしばらく私の手相をジッとみていたが、「あなたはちょっと変わった人と結婚するね」とか「吉相、吉相」と大きな声で言うだけで、私が聞きたかった内容はあまり判然としなかった。

 

結局、先生が話した内容の大半は下ネタ的な自慢話ばかりで幻滅した。まぁ大体、巷の占い師の多くは、客が望んでいる答えを推量してうまいこと言うだけの、鏡台みたいなモノなのかもしれない。

 

とりあえず、鑑定の時間が終わる前に、一つだけ聞いておきたいことがあった。門脇先生は多くの著書を残されているが、どの著書が一番お勧めなのかということが知りたかったのだ。

 

先生は、“手相はアリストテレスに始まって門脇尚平に終わる”、と自著で毎度のようにおっしゃっていたが、「本を書けて実際に観れる人は少ないでしょ。私は観れるし本も書ける。」と実際に語っていた。

 

先生は座りながら電話の受話器を取ると、おもむろに内線ボタンを押して、2階にいる娘さんだかに「『手相への招待』まだあったっけ?」と聞いた。私はどの著書がお勧めなのかを知りたかっただけで、本を買って行くつもりはなかったが、先生は本を売る気満々のようであった。とりあえず、先生が勧める本が『手相への招待』であることがわかったのは収穫であった。

 

鑑定の時間が終わると、先生は「手相の改善と健康のために、西式健康法をやりなさい。明日から朝食を廃止しなさい。」と言いながら、私に帰宅を促した。

 

こうして私が15年前に木枕の存在を知り、今、多くの患者に感謝されるような木枕の使用法を考え出すことが出来たのも、そもそもは門脇先生のおかげである。手相に関しての恩恵は少なかったけれども、西式の存在を教えて下さったことに関しては、門脇先生には大いに感謝している。

 

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そんなこんなで、京都から東京へ向かう新幹線の中で、デイパックの中に忍ばせていた携帯用の木枕を首にあてがいながら、若かりし頃の懐かしい日々を昨日のことのように思い出していた。

 

そういえば、最近、何人かの患者さんから携帯用の木枕を売ってくれと言われたのでメーカーに問い合わせてみたのだが、残念ながら携帯用は既に販売中止になっていた。以前はメーカーもバンバン作っていたらしいが、最近は需要がないのと職人が引退したとのことで、生産を中止せざるを得なくなったらしい。

 

木枕はしばらく使っていると旅行や出張にも携帯したいと思うようになるわけだが、うちの患者さんにもそんな感じの人がチラホラ現れてきたようだ。携帯用は折りたたむと通常の木枕の1/3くらいの大きさになるので、バッグに入れても邪魔にならず便利である。

 

ちなみに私の親戚に建具師がいるので、早速唯一所有している携帯用の木枕を送って、安く作れぬかと頼んでみたのだが、1つ作るのに1日かかるわ1万円以上はもらわないと割に合わないわなんていう話だったので、結局断った。個人的には5000円くらいまでなら買っても良いと思うが、あまりにも高いと誰も買わないだろうし、だいたい木枕にも相場というものがある。将来的には安くて、比較的作りの良いものを量産して販売したいが、今はまだ需要が少ないので、とりあえずこの案件はペンディング中である。

 

 

小児針

八王子中央診療所所長、小児科医の山田真氏が書いた『はじめてであう 小児科の本(福音館書店)』という本を読んだ。小児科関係の医学書はいくつか読んでいるが、これはとても良い本だと思う。最近、第三版が出たので、早速最新版をアマゾンで注文した。予防接種に関しての内容が加筆されたようだ。

 

題名からすると小児科に限った内容に思えるが、医療全般について記されているから、成人を診ているような医療者にとっても有益な内容であると思う。すでに子供がいる人も、これから子供を授かるであろう人も、この本は是非とも一読して、手元に備えておかれるのが良いと思う。

 

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基本的に医者が書く本も、鍼灸師が書く本も、思想や知識が偏っていることが多くて読むに堪えぬ内容が多いが、山田氏のスタンスは中医、西医に関しても比較的バランスが取れていて、嫌味も偏向もなく、文体も柔らくて非常に読みやすい。

 

やはり文章というモノは当人のアタマが透けて見えるようなモノで、その人の書いた文章を数行読んだだけでアタマの程度が知れてしまうから恐ろしい。私も恥ずかしげなくブログなどやっているわけだが、これはあくまでも独り言だから優劣などはどうでも良いし、批判されようが気にしない。

 

昔から日本では小児鍼一筋でやっている鍼灸師が少なからず存在するわけだけれど、私は以前から小児鍼だけに特化した鍼灸院に対して、何だか腑に落ちない嫌な感じの思い(軽蔑感みたいな)をずっと持っていたのであるが、今回この本を読んで、自分と同じような感覚を持つ医師がいることがわかった。

 

山田氏の考え方に完全に賛同するわけではないけれど、少なくとも他の医者や鍼灸師が言う論よりも的を射た正論だと思うので、ちょっとその文章を引用させて頂きたいと思う。ちなみに美容鍼に対しても、同様のことが言えると思う。

 

『わたしは実のところ、小児針はしていません。小児針がよいとされているような「病気」はおおむね、経過をみていれば自然によくなるものであったり、心理的なものが原因になっているので針以外にもっと適当な治療法があったり、からだの鍛錬の方が針よりもずっと根本的な治療法であったりと、そんな種類のものであるからです。わざわざ針灸治療に通わせるだけのメリットがあるのかどうか、わたしにははっきりわからないのです。(『はじめてであう小児科の本』山田真/2002年/福音館書店)』

 

日常的にみられる小児の病態の多くが心因性のものであることは医学的にも常識であるとは思うが、医学を掻い摘んだだけの似非医学しか学んでいない鍼灸師や、無知な親にとっては、小児針は無くてはならない存在なのかもしれない。

 

確かに私も希望があれば小児に針治療を施すことはあるが、基本的に子供の病気というものは家庭における環境因子が根因となっているパターンが多い(多くの場合、親に問題がある)から、針をやりたければローラー針などを買ってもらって、親自身に施術してもらうよう勧めている。鍼灸師の出番が必要になるのは小児麻痺のリハビリであったり、脳神経系統の病態くらいであろうと思う。

 

そもそも、小児は精神構造が未熟であるため、心理的反応が身体症状として現れやすい(ちなみに、成人していても幼児性が強く残っている場合は、難治性の病態が発現しやすい。)。そういう至極常識的なことを知っていれば、子供を無暗やたらに病院へ連れて行って検査したり、投薬したり、針をしたりすることはないだろうと思う。

 

しかし、小児針を生業としている鍼灸師からしてみれば、子供が定期的に通ってくれなければ鍼灸院が立ち行かなくなるわけで、「子供の健康維持には鍼灸が必要です。」なんていう方便が必要になってしまうのかもしれない。日本ではそういった鍼灸師が教壇に立っていたりするもんだから、どうにかしようにも多勢に無勢で、中々難しいものがある。